日常的には日本茶やコーヒーを飲む方が多いかもしれませんが、たまには紅茶もいかがですか?
イギリス発祥の文化である「アフタヌーンティー」の歴史をたどると、そこには日本の「茶の湯」へのあこがれが秘められているそうです。
本記事では、ティースペシャリストの藤枝理子さんにアフタヌーンティーの発祥や歴史から、おいしい淹れ方まで、豊かな紅茶文化の世界をお聞きしました。
※本稿は、月刊誌『PHP』2023年3月号掲載記事を抜粋・編集したものです。
東洋へのあこがれの象徴
アフタヌーンティーはイギリス発祥の文化です。その歴史をたどると、そこには、"おもてなしとしつらえの美"としての日本の「茶の湯」へのあこがれがありました。
お茶には紅茶以外に緑茶、烏龍茶などがありますが、すべて同じ「チャ」の木から作られます。
そのチャの木が世界で最初に発見されたのは、中国からチベットにかけての山岳地帯。チャの栽培は4世紀ごろに始まり、7世紀ごろから飲み物として広く知られるようになりました。
アジアからヨーロッパにお茶が入ってきたのは大航海時代。アジアへの航路を開いたヨーロッパ人にとって、エキゾチックな東洋はあこがれの的でした。
西洋人があこがれたお茶(緑茶)がオランダ東インド会社によって、長崎県平戸からヨーロッパにもたらされたのは1610年のことです。
ヨーロッパ人は、日本の茶道をイメージしながら、持ち手のないティーボウルからお茶を受け皿に移し、音を立ててすするようにして飲んだそうです。それからお茶はシノワズリー(中国趣味)の象徴として、ヨーロッパ中に大ブームを巻き起こしました。
また当時、王侯貴族たちは贅沢病ともいわれる痛風に悩まされており、お茶は痛風の治療にも効果があるとされていました。
「東洋人はスリムで痛風知らず。しかも健康で長生きするのは、万病の薬であるお茶を日常的に飲んでいるからだ」という噂が流れ、彼らは、永遠の美と若さをお茶に求める貴婦人たちとともに、1日に何十杯ものお茶を飲んでいたといわれます。
紅茶文化を広めたイギリスの女王たち
お茶を飲む習慣がイギリスに持ち込まれるきっかけとなったのが、1662年の英国チャールズ二世とポルトガル皇女キャサリンとの結婚です。
東洋貿易に先んじていたポルトガルにはお茶を飲む習慣がイギリスより先に根づいていました。キャサリン妃は、自国から持参した茶道具一式を並べ、東洋風にしつらえたシノワズリールームに日本の有田や中国の景徳鎮などの小さな茶碗に緑茶を入れて茶会を開きました。
これが、上質な茶器とともにおいしいお茶と人とのコミュニケーションを愉しむ、英国式紅茶文化の発端となったのです。
その後、お茶好きなメアリー女王(17世紀)とアン女王(18世紀)がイギリス女王として君臨し、お茶を飲む風習はさらに上流社会に溶け込んでいきました。
富裕階級の婦人たちが豪華な部屋でお茶会を催すことは、自分たちの財力と社会的地位を誇示する絶好の機会にもなっていました。
アフタヌーンティーは茶の湯に通じる総合芸術
イギリスでアフタヌーンティーの習慣を始めたのは19世紀、7代目ベッドフォード公爵夫人アンナ・マリアです。
当時の貴族階級の生活は、朝はゆっくり起きて遅めの朝食兼昼食をとり、ディナーやパーティーまで食事をとらない1日2食の生活でした。
そこでアンナは午後の空腹をしのぐためにメイドに紅茶とクランペット(小麦粉と酵母で作るまるい軽食パン)をのせたトレイをベッドルームに運ばせ、こっそりお茶と軽食をとっていたのです。
最初は一人でその優雅な時間を愉しんでいましたが、社交的なアンナは親しい女友達を招くようになりました。そして、アンナの夫は政治家でもあったため、夫が男性ゲストと政治の話をしている間、アンナは別室で夫人たちとともにディナーまでの時間をお茶でもてなすようになりました。
きらびやかな空間で、おいしいお茶と軽食で政治家の妻たちをもてなすことは、夫の権威を支えることでもあったのです。
1870年ごろから、この習慣がアフタヌーンティーと呼ばれるようになりました。
一杯の紅茶は、喉の渇きを潤す飲料としてだけではなく、人と人を結びつけ、生活を豊かにするコミュニケーションツールであり、暮らしを潤す文化でもあるのです。
アフタヌーンティーは、茶の湯に通じるおもてなしとしつらえの美を重んじた総合芸術。その精神は今も変わりません。また、現代ではその成分と多くの健康効果が認められるようになりました。
ここからは、知っておきたい紅茶の知識や、おいしい紅茶の淹れ方、心と体を元気にする紅茶の愉しみ方をご紹介しましょう。