ファストフードのように手軽に教養を得る姿勢が「ファスト教養」と言われるなか、東京女子大学学長で『教養を深める』著者の森本あんり氏と、ライター・ブロガーで『ファスト教養』著者のレジー氏は、学生も社会人もすぐに答えを求める風潮が広がっていると指摘する。
大学でリベラルアーツを実践してきた神学者と、ビジネスとエンタメの現場に精通するライターが、正解のない時代のファスト教養について対話する。構成:編集部(中西史也)
※本稿は、『Voice』(2024年5月号)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
「10分で答えが欲しい人たち」が増えている?
【レジー】森本さんは、いまの学生の知的好奇心を喚起するために意識していることはありますか。
【森本】私が専門とする神学でよく出てくる警句は、「自分が問うてもいないことに答えを与えられても、誰も面白いと思わない」です。いきなり古典的な問題を説明されても、学生には届きません。
でもそれが長い間自分の中で問い続けていたのと同じ問いだったことがわかると、俄然スイッチが入って、目の色を変えて学ぶことになる。
だから教師は学生が何を知りたいのか、まず彼らが漠然と心の中で言葉にできずにもっている問いを対話のキャッチボールのなかで見極めて、それに形を与えさせることが大切だと思います。
【レジー】本質的な話ですね。拙著『ファスト教養』(集英社新書)のサブタイトルは「10分で答えが欲しい人たち」ですが、学生にもそうした風潮は及んでいると思われますか。
【森本】すぐ答えを求めるという意味では思い当たる節があります。コロナ禍でオンライン講義が中心になったとき、学生から「先生、この部分はこういう解釈で合っていますか?」と聞かれることが増えたんです。講義のなかで「Aという考え方がある一方でBという意見もある」と話して、私としては学生に正解のない問いを探求してほしいのに、「結局、Bで合っていますか?」と早く答えを出そうとするんです。
【レジー】そのうち「わかりました。では、AとBどちらとも言えないということで合っているでしょうか?」と聞かれそうですね(笑)。
【森本】近ごろ、すぐに答えを求める風潮の反動としてなのか、ネガティブ・ケイパビリティ(不確実なものや未解決の事態に耐える力)が重要だと言われますね。答えの出ない宙ぶらりんの状態が大事なのだと。
【レジー】先ほどの授業でのやり取りをお聞きして、会社でも「○○で認識は合っていますか?」と聞かれることが最近増えたなと思いました。仕事の進め方を確認するのはいいのですが、僕が唯一の答えをもっているわけでもないのに、そういう前提で質問されるともやもやした気持ちになります。
ビジネスの世界ではシンプルな答えが求められがちなので、教養という曖昧さもありつつ大事な概念との食い合わせが悪いなと日々思っています。
「スティーブ・ジョブズはアートに造詣があった」となれば「イノベーションには教養が大事。美術館に行こう!」になるし、先ほどのネガティブ・ケイパビリティだって「不確実な事態に耐える力こそ確実に大事!」となってしまう(笑)。
今回の対談のような会社の外で得られる感覚をビジネスの場に正しく持ち込むにはどうすればいいか、というのは自分の問題意識としてあります。
【森本】レジーさんが体現されているように、会社以外の世界をもつのは一つのやり方ですね。外部で培った栄養源がビジネスでも活かされるはずです。でも一つの世界に閉じこもって「10分で答えが欲しい」と言っても、自力が固まっていないからその答えは表面的なものにしかならないのでしょう。
学問・エンタメの「面白さ」という原点
【レジー】ただ、「仕事で忙しいなか別の対話の場をもつのはなかなか難しい」という人もいるはずです。
そこで役割を果たすのがとくに動画・音声コンテンツだと思います。YouTubeだから「軽い内容」というわけではなく、活字とは違って身体に入ってくる感覚もあるでしょう。逆に本が「重い内容」かと言えば必ずしもそうではなく、物によって玉石混交です。
【森本】だけど、レジーさんのご著書『ファスト教養』のなかで出てくるように、教養の入口として要約本・動画を見てそこから勉強すると思ったら、導入だけで終わってしまう場合がほとんどという指摘もありますよね。ファスト教養的な人にとっては、周りから頭がよく見えるように上手に喋れることが重要なのであって、教養を深めることにはつながらないのではないか、という批判です。
【レジー】そこはコンテンツの仕掛け次第かなと思います。答えを示すわけではないけれど、次の学びに踏み込みたくなるようなつくり方ができるはずです。つくり手の志というか、力量が問われます。
【森本】なるほど。レジーさんは「教育者」ですね。「どうだ」と答えを見せて終わりではなく、次の問いへの誘いを重視されている。
【レジー】恐れ多すぎます(笑)。森本さんがYouTubeやポッドキャストで、重厚な教養について語るなんてコンテンツはいかがですか。
【森本】うーん、どうでしょう。私は正直、自分の話で誰かに教養を深めてもらいたいとは思わないんですよ。
【レジー】森本さんのご著書『教養を深める』(PHP新書)で書かれているように、教養は積極的に「身につける」ものではないということですよね。
【森本】そうですね。私の学問のモチベーションは教養につながるかではなくて、「だって、面白いじゃん」です。私にとって神学や哲学は純粋にワクワクする営みで、根源的な問いを皆と考えたい。
たとえば、「ドナルド・トランプ氏はなぜあれほど熱狂的に支持されるのか」という問いを、時事問題や政治論でなく人間論で考えるのは面白いし、皆も私の見解を求めている。
ちなみに私は、トランプ氏はファスト教養の体現者だと捉えています。彼が信奉していたアメリカのノーマン・ヴィンセント・ピール牧師はThe Power of Positive Thinking(邦訳『積極的考え方の力』ダイヤモンド社)の提唱者で、同書は聖書から都合の良い言葉を引っ張ってきてビジネスの成功を謳う自己啓発書です。
トランプ氏自身も若い頃彼の教会に通っていて、最初の結婚式も彼の教会で挙げています。トランプ氏の考え方の根源には、ピール牧師のファスト教養的な要素があるわけです。
【レジー】そうだったのですか。
【森本】ともあれ私は、自分が知りたい・教えたいと思ったことを探究し、それと周りが求めることが一致したとき、努力が報いられたという深い充足感をもちます。
【レジー】互いに通じ合っている感覚ですね。音楽でも映画でも、自分の好きな作品を誰かと共有したい、わかり合いたいという原初的な欲求はあると思います。教養以前に、私たちが本来もっている根源的な喜びを見つめ直すべきなのかもしれません。