なぜ、人は成長し続けなければならないのか。人生において成功は約束されていない。けれども、誰もが必ず手にすることができるもの――それが「成長」だと、思想家・田坂広志さんは語ります。
成長には、「職業人としての成長」「人間としての成長」「人間集団としての成長」という三つの段階があるといいます。本稿では、田坂さんの著書『成長し続けるための77の言葉』をより、第一の段階である「職業人としての成長」を遂げるための思想を紹介します。
※本稿は、田坂広志著『成長し続けるための77の言葉』(PHP文庫)より内容を一部抜粋・編集したものです
「職業人としての成長」を遂げるには、どうすればよいか
「専門的な知識」ではなく
「職業的な智恵」を身につけよ
では、「職業人としての成長」を遂げるには、どうすればよいか。
「専門的な知識」だけでなく、もう一つの大切なものを、身につけることです。
「職業的な智恵」です。
では、「専門的な知識」と「職業的な智恵」とは、何が違うのか。
「専門的な知識」とは、言葉で表せるものであり、書物や学校で学べるものです。
「職業的な智恵」とは、言葉で表せないものであり、書物や学校では学ぶことができず、「職業の現場」における経験と人間からしか掴つかめないものです。
例えば、いま、書店に行くと、本棚には、次のようなタイトルの本が並んでいます。
『営業力』『交渉力』『企画力』『会議力』......。
こうした『○○力』と名のつくものは、基本的に、すべて、書物や学校では学べない「職業的な智恵」と呼ぶべきものです。
なぜ、「知識」と「智恵」の区別をつける必要があるのか
「知識社会」とは
知識が価値を失っていく社会である
では、なぜ、「知識」と「智恵」の区別をつける必要があるのか。
「知識社会の逆説」があるからです。
いま、多くの識者が指摘するように、我々の生きる社会は、「知識社会」と呼ばれるものへと深化しています。
しかし、知識社会とは、「知識が価値を持つ社会」ではありません。
本当は、知識社会とは、「知識が価値を失う社会」なのです。
なぜなら、現代の社会においては、言葉で表せる「知識」は、その大半が、ウェブサイトにおいて無償で公開されており、いまでは、誰もが容易に、欲しい「知識」を手に入れることができるからです。
では、知識社会においては、何が価値を持つのか。
「言葉で表せない智恵」
すなわち、容易に手に入れることのできない「智恵」が、価値を持つようになるのです。
「智恵」とは、プロフェッショナルの「技術」のことか
プロフェッショナルの
「優れた技術」の奥には、必ず
「優れた心得」がある
では、「智恵」とは、プロフェッショナルの「技術」のことか。
そうではありません。
たしかに、スキル、センス、テクニック、ノウハウと呼ばれる「技術」は、プロフェッショナルが良い仕事をするために、極めて重要なものです。
しかし、プロフェッショナルが「優れた仕事」をするとき、そこには、「優れた技術」だけでなく、その奥に「優れた心得」があるのです。
「心得」とは、マインド、ハート、スピリット、パーソナリティと呼ばれるもの。
では、その「心得」を身につけず、「技術」だけを使ったならば、何が起こるか。
それが、「スキル倒れ」と呼ばれる状態です。
例えば、プレゼンのスキルは良い。けれども、「顧客に売りつけよう」との意識が強く、その強引さを感じて、顧客の気持ちが離れていく。
例えば、企画のスキルは良い。けれども、「自分の企画が最高だ」という傲慢さがあり、仲間の心が離れていく。
これが「スキル倒れ」と呼ばれる状態であり、その壁に突き当たったとき、我々は、「優れた仕事」を成し遂げるためには、「優れた技術」だけでなく、その奥に「優れた心得」を身につけなければならないことに、気がつくのです。
「智恵」を掴むには、どうすればよいのか
「智恵」とは
「経験」と「人間」を通じてしか
掴めないもの
では、「智恵」を掴むには、どうすればよいのか。
まず、一つの覚悟を定めることです。
「智恵」とは、「経験」と「人間」を通じてしか、掴めないもの。
その覚悟を定めることです。では、なぜ、その覚悟が必要か。
心の中の、安易な発想に流されないためです。
我々の中には、常に「楽をして大切なものを掴めないか」という安易な発想があります。
そうした発想は、長い時間を要する「経験」を積み重ねるということを、嫌います。
また、懸命に心を使わなければならない「人間」との真剣な交わりを、避けたがります。
その結果、安易な幻想に流されます。
「この書物を読むだけで、プロの智恵のエッセンスが学べるのではないか」や、「この学校で学ぶだけで、大切なプロの智恵が身につくのではないか」との幻想です。
しかし、「経験」の積み重ねを避け、「人間」との真剣勝負を避ける姿勢を持つかぎり、本当の「智恵」は身につかない。
だからこそ、最初に、覚悟を定めるべきなのです。
「経験」と「人間」を通じて、「智恵」を掴む。
その覚悟を定めるべきなのです。