2024年末、史上初の「M-1グランプリ」2連覇を達成した令和ロマン。その快挙の裏には、関西の劇場を巡り1日11ステージをこなす徹底したネタ磨きがありました。松井ケムリ氏が、連覇を支えた劇場戦略と独自のキャリア観を明かします。
※本稿は、『THE21』2025年5月号の内容を一部抜粋・再編集したものです。(取材・構成:横山由希路)
「働く」の実態がわからない!? 今も続くモラトリアム
――「M-1グランプリ」(以下、「M-1」)2連覇達成、おめでとうございます。今回はケムリさんのキャリア論などをお聞きしたいのですが、最初にケムリさんがお笑い芸人を目指したのはいつ頃でしたか?
ケムリ お笑い芸人を最初に意識したのは小学校3~4年の頃でした。当時、「エンタの神様」をものすごく観ていて。その後、庄司(智春)さんがミキティ(藤本美貴さん)と結婚したり、ドラマに俳優として出演する芸人が増えたり、加藤浩次さんが「スッキリ」を担当するなど、帯の情報番組のMCをする人が増えたりして、芸人の可能性がどんどん広がっていきました。
だから芸人は「何でもできる人」と思っていたし、「テレビに出る仕事」と捉えていました。その代わり、「劇場でネタをする」という芸人の本分については、まったく理解していませんでした。
本格的に芸人になろうと思ったのは、高3ぐらいです。でも、目立ててちやほやされさえすれば、僕はアイドルでも俳優でも何でも良かった。スカウトされたくて原宿の竹下通りを3往復しましたし。
それでも誰からも声をかけられないし、大学受験は失敗してどこも受からない。そうしてお笑い芸人という選択肢だけが残って、両親に「NSC(吉本総合芸能学院)に行きたい」と話したら、普通に怒られました。
父親からは「大学まで行ったら別に何をしてもいい」と言われたので、浪人して大学に入学して、お笑いサークルに入りました。
――その後、慶應義塾大学のサークル「お笑い道場O-keis」で髙比良くるまさんとコンビを組み、令和ロマンの前身である魔人無骨を結成。いきなりNSCに入らず、大学お笑いを経験して良かったことはありましたか?
ケムリ 大学お笑いは本当に小さな世界ですが、その中の大会などで結果が出たことでプロになる勇気が湧きましたね。自分は芸人に向いていなくもないなと実感できたし、「漫才が何となくわかった」というか。今の仕事につなげて話すなら、インターンに近い感覚でした。
――それにしてもケムリさんたちと大学お笑いで切磋琢磨した仲間は、皆さんそれぞれ売れていますね。
ケムリ 確かにプロに行った目ぼしい人たちは売れているかもしれないですね。ラランド、ラパルフェ、真空ジェシカ、ナイチンゲールダンス、にゃんこスターのアンゴラ村長に、YouTuberの水溜りボンド。でも、やっぱり中には売れていない人もいるから、難しいですね。僕は大学を卒業してからNSCに通ったのですが、在学中からNSCに入るコンビもいました。
――仕事観についてもうかがいます。お父様は大和証券㈱取締役副会長で関西テレビ監査役の松井敏浩さんです。お父様の生き方を通じて、仕事というものをどう捉えていましたか?
ケムリ 子どもの頃は、働く父親の実態のないものだと思っていました。父は仕事の姿を自宅で一切見せない人だったので、僕自身、父に対して憧れを抱いたこともありませんでした。
母は専業主婦で、今では主婦も大変だと理解できますが、当時は子どもなので「ちびまる子ちゃん」に出てくるまるちゃんのお父さんや、「クレヨンしんちゃん」のひろしと同じぐらいだから「お母さんは存在であって、仕事じゃない」イメージで。だから僕、今も仕事に対する覚悟がずっと足りていないんですよ。働くってことが、実態としてよくわかっていないんです。
――非常にお忙しくされていると思うのですが、それでも実感はありませんか?
ケムリ そうですね。本当に学生気分というか。こう言うと良くないことのように思われるでしょうが、僕の場合はこの心持ちが功を奏しているところがあって。
学生時代、試験は嫌でしたけどひどい結果で恥をかくのはもっと嫌なのでちゃんと勉強はしていました。今も同じで、大げさな覚悟はないですけど、やれと言われたことはしっかりやります。この塩梅が自分の中でしっくりきていますね。
「M-1」の客層に合った劇場出番でネタを磨き続ける
――2023年末、「M-1」でチャンピオンとなったとき、番組のラストでくるまさんが「来年も出ます」と宣言しました。ケムリさんは事前にこのことを知っていましたか?
ケムリ 「M-1」の少し前に、くるまから「優勝したら『来年も出る』って言うかも」と言われていました。だから「あいつの中の色んな判断で、『言わない』結論になっていてくれー!」と思っていたら、「あ、言うんだ」と思って(笑)。
――(笑)。そうはいっても出ない判断もあったかと思います。それでも再挑戦した訳は?
ケムリ やっぱり「M-1」のあの場で宣言したら、正直出ないとマズいと思うんです。それでも再挑戦したことに関しては、僕の意志は一つもありません。全部、くるまの判断です。ただ「やれ」と言われたことは、僕はきっちりやるんで。
――歴代チャンピオンは、優勝直後から各局のテレビ番組への出演が一気に増えるものでしたが、令和ロマンは対照的にテレビ出演を抑え、舞台やYouTube活動に注力されていた印象です。
ケムリ 優勝後のメディア戦略についても、2人で決めたことは特にないんです。コンビの稼働に関してはくるまが都度判断していました。ただし僕はテレビに出たい人なので、個人でいただいたお仕事は全部受けていました。
――2024年は、東京吉本の所属でありながら関西の劇場にもたくさん出演されました。
ケムリ 所属していた神保町よしもと漫才劇場を2023年に卒業し、なんばグランド花月(以下、NGK)に加え、ルミネtheよしもとなどの全国の大劇場に出るようになりました。
連覇を狙って「M-1」用にネタを仕上げるには、関西での劇場出番が不可欠だと考えています。僕らは大阪に行くと、NGKに加えて近隣のよしもと漫才劇場や森ノ宮よしもと漫才劇場を行ったり来たりし、1日で11ステージこなします。
よしもと漫才劇場や森ノ宮よしもと漫才劇場は、客層がディープなお笑いファン。一方NGKは、そこまでお笑いに詳しくない、一般的なお客さんの集まりです。そのため、関西の劇場を回ると、その両方に対応できるよう、ネタが成長します。同じネタを客層に合わせずにかけるとどんな反応になるのかとか、色んな実験ができるので、劇場環境が素晴らしいんですよね。
ちなみに、「M-1」のお客さんは準決勝まではお笑いファンが多く、決勝は一般的なお客さんが多いんです。ですので、この1年の劇場巡りが、そのまま「M-1」の訓練になっています。
テレビやYouTubeの仕事をこなしつつ、吉本の劇場をフル活用して「M-1」のネタを叩いたら(叩く=実演と修正を繰り返してネタを良くしていくこと)、「これは連覇できるかも」と思いました。連覇した今の目標は、NGKのトリを取ることです。