《『PHPビジネスレビュー松下幸之助塾』2013年3・4月号Vol.10 「憂国対談」より》
日本には今、国のあり方を左右するような問題が山積している。原発問題、アジア外交、震災復興……。どれをとっても“待ったなし”の状況である上、方向を間違えれば、日本沈下は免れない。低迷という病にあえぐこの国に、特効薬はあるのか。日本を憂える世界的建築家と住宅業界トップリーダーに語り合ってもらった。
なぜ日本の停滞は終わらないのか
私はこの対談を引き受けたとき、あらためて松下幸之助さんの言葉をひもといてみたんですが、松下さんの言っていることは正しいですね。信念、行動力、それと発想力・着眼点がないと仕事はうまくいかない。樋口さんも、大和ハウス工業の創業者である石橋信夫さんから「生きていることの面白さ」を学んだとおっしゃいましたよね。それを礎に新しい世界を切り開いていくんだと。
樋口 先般、関西プレスクラブで講演をしてきたんですよ。そこで、こんなことを話してきました。人間、生まれたときはだれでもそう大差はない。持っている細胞の数もそれほど変わらない。揉まれて努力することで初めて能力差がつく。しかし、いくら努力しても運がついてこない人がいる。運と努力がマッチしないと芽は出ない。ならば、運はどうやってつくのか。不義理をするとか、王道を進もうとしない人には、運はついてこないんだ、と。
安藤 人として間違った道はありますよね。王道、つまりまっすぐな道を歩く途中で、失敗したり迷ったりすることはありますが、軸がぶれるとダメですね。
震災復興の取り組みを見ていて思うんですが、とにかく会議ばっかりやっている。会議をしているうちに疲れてしまって終わり。なぜ日本の企業はこうなってしまったのか。樋口さんはそういうことと闘ってこられたのだと思います。
樋口 会議は「回議」とも書くし「怪議」とも書きます。結論の出ない会議は、ただ回っているだけ。いまのようなスピードの時代に、そんなことをしていても、何も前には進みません。私は「独断」はするけど「独裁」はしないと言っています。組織が大きくなると、会議や協議が多くなって、なかなか物事が決まらなくなる。だから「カン」が大事になる。カンは経験を積まないとなかなか当たりません。当社は株式会社なので、もちろん会議に諮って了解をとるわけですが、「分かった、やろう」と決めたらあとは早いですよ。
安藤 大和ハウスさんは、会議が少ないんですか?
樋口 私はあまりやりませんね。プロジェクト単位ではやっている場合もありますが。経験上、会議はやらないほうが得てしてうまくいきます。部屋の中にこもっていたって、何も新しいものは出てきませんから。会議をするなら、現場に行ってやるべきでしょう。現物を目の前にすれば、話は早く進みますよ。
安藤 最近、ネット会議というのがあるでしょ。あれではたしてうまくいくのか。思うに、コンピュータというのは、決定している人に責任がないようにできている。うまいことなってますねえ。
樋口 責任逃れをする会議なら、しないほうがましです。だれかが責任を持たなければ。
以前、私がPHP研究所で講演させていただいたとき、松下さんが81歳のときの講演DVDを記念にいただきました。その内容の中で、こんな言葉がありました。「自分はこの年になっても、会社に大きな影響力を持っている。そんな人間が私心私欲に走ったら、会社をつぶす。だから、自分の中に私心私欲が出ないよう毎日葛藤している」。一時間足らずの講演でしたが、この部分だけ、今でも強烈に覚えています。
「豊かさ」が若者を弱体化させた
安藤 さきほど「カン」が大事だとおっしゃいましたが、やはり経験を積まなければ、直感力、カンは働きませんよね。ギリギリの状態に何度も追い込まれた人でないと、直感力は働かない。最近の若い人には優秀な人材がたくさんいますが、ギリギリまで追い詰められたという経験がないから、直感力がないんじゃないかと思います。だから、いざというときに逃げる。どうしようもない。日本は1970年代からずっと豊かですが、豊かさというのは、直感力を奪うんですね。
☆本サイトの記事は、雑誌掲載記事の冒頭部分を抜粋したものです。
樋口武男 (ひぐち・たけお)大和ハウス工業会長兼CEO
1938年兵庫県生まれ。1961年関西学院大学法学部卒業。1963年8月、大和ハウス工業入社。1984年取締役就任後、1989年常務取締役、1991年専務取締役。1993年グループ会社の大和団地代表取締役社長。2001年、大和ハウス工業代表取締役社長就任。2004年代表取締役会長兼CEO。社長就任後、数々の改革を打ち出した。著書に『熱湯経営―「大組織病」に勝つ』『先の先を読め―複眼経営者「石橋信夫」という生き方』(ともに文春新書)がある。
安藤忠雄 (あんどう・ただお)建築家
1941年大阪府生まれ。独学で建築を学び、1969年に安藤忠雄建築研究所を設立。1979年「住吉の長屋」で日本建築学会賞受賞。代表作に「光の教会」「大阪府立近つ飛鳥博物館」など。イエール大学、コロンビア大学、ハーバード大学の客員教授を務め、’97年東京大学教授、2003年から名誉教授。1993年日本芸術院賞、’95年ブリッカー賞、2005年国際建築家連合(UIA)ゴールドメダルなど受賞多数。’10年文化勲章受章。著書に『仕事をつくる』(日本経済新聞出版社)、『建築を語る』(東京大学出版会)がある。