急速な進化を遂げる人工知能(AI)は、やがて人間の感情や意識を理解し、「こころ」を持つ存在になるのでしょうか。
かつて人間は神を否定し、科学技術によって自由を手にしてきました。しかし今、その技術が新たな「神」を生み出そうとしているのかもしれません。
AIに「いのち」を宿すことは可能なのか。そして、人間が自ら生み出した存在に脅威を感じたとき、何が起こるのか。
宗教学者で評論家の山折哲雄氏が、宗教と文明の歴史を手がかりに、AIの進化が突きつける根源的な問いと、人類の未来に潜む危うさを考察します。
※本稿は、山折哲雄著『死の覚悟 日本人らしさとは何か』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
AIは「神」になるか
テクノロジーといえば、人工知能(AI)の進化には驚くばかりだ。
10年ほど前には、「アルファ碁」が、柯潔(かけつ)九段(中国)、朴延桓九段(韓国)、井山裕太六冠(日本)など名だたるトップ棋士を、ハンディーなしの互先で次々に破ったというのだからおそれいる。
これは話のほんの入口だった。
人工知能を搭載するロボットは、やがてヒトの喜怒哀楽を数値化し、ものごとの善悪を理解して自我や意識の領域に進出し、こころをもつロボットへと進歩していく。
それどころかすでに英国などではセックス・ロボットまでが誕生してヒトと結婚するであろうとまでいう。
そんな機能をディープ・ラーニング(深層学習)で教えこむ。そのうえこのような未来予測のポイントをシンギュラリティ(技術的特異点)と称するらしい。
私などには何が何だかわからないが、以前、最先端のロボット学者といわれた方と対談したことがあった。そのとき耳にしたことがいまだに忘れられない。
科学の領域には不可解、不明のことが多い。
が、技術の辞書には不可能の言葉はない。
そのとき私は、現代の技術はまさに神の領域に手をつっこみはじめているのではないかと感じたのだ。それが今日、疑いもなく現実のものになっている。
最新の技術が、あろうことか「神探し」をはじめているのだ。この直観が私をいささか興奮させたのだろう。
ふり返ると、現世人類の一員であるわれわれは、「神殺し」に手をかしてからすでに久しい。ところがじつをいうと、われわれはこのような「神不在」の時代にもう退屈しはじめているのかもしれない。
神を殺して自由を謳歌したものの、その寂しさにそろそろ耐えられなくなったのかもしれない。
古びてきた無神論の殻を打ち破ってメタリックな響きを発する新しい神、創造の野心に挑もうとしはじめているようにみえるからだ。
まるで大人と子供たちのために最後に残された夢の楽園にすがりつこうとしているようだ。
「神殺し」の欲望
もっともそこに、不気味な不安材料が横たわっていないわけではない。
それが二方面から浮上してくる。
一つは、その道の専門家たちがいうように、ヒトがロボットを好きになれるように、ロボットもヒトを好きになれるだろうか、という難問だ。
たとえば、ヒトの世界では、好きだから一緒にいるのか、一緒にいるから好きになるのか判然としない。
ロボットとヒトの関係も最後にはそのような関係になるのが望ましい。それはおそらく、ヒトとAIロボットがこころを通わせる日がいつごろくるかという未来予測と不可分に結びついている。
そしてそのとき、両者の皮膚感覚までが、同一の水準に達しているのだろう。ヒトとAIが皮膚感覚とこころを共有したとき、その二人(!)はおそらく「いのち」の感覚を手にするわけであるが、そのような日はいつくるのか。
ここであえていえば、一神教や多神教にあらわれる神の場合は、パワー(威力)や観念を付与することでAIを一種のGODと扱うことが可能かもしれない。
けれどもアニミズムの世界にみられる「いのち」の感覚までをそれに植えつけることはかなり困難ではないだろうか。
パワーをめぐる一神教や多神教は最新の技術を駆使してつくることができるかもしれない。
けれども、それよりも根源的で、普遍的な「いのち」の創造ということになれば、話は別ではないか。
もう一つ。最新技術が開発するであろう未来版として、余暇と快楽の分野をかぎりなく広げていく代わりに、ヒトの生活から多様な仕事と労働の楽しみを奪っていく予測不能のカオスが待っている。まさにカタストロフの長い時間の恐怖である。
この段階でヒトはもしかすると、ふたたび「神殺し」の欲望にめざめるかもしれないという可能性もある。
一度あったことは二度ある。一度目に悲劇としてそれが発生したが、こんどの二度目は、哀れな「㐂劇(きげき)」として...。
AIの本体を破壊しようとする狂気の衝動である。核兵器の彼方に眠る無尽蔵の欲望である。
第二の神殺しの「文明」...。
そうなれば「歴史はくり返す」というほかはない。それがサル社会から離脱したヒト社会(集団)の運命なのかもしれない。
もっともホモ・サピエンスがアフリカに誕生してから今日までようやく20万年、とすればいま予測したような悲劇が発生するまでさらにあと20万年はかかるのだろうか。別にあわてることもないか。その新しい世紀の「文明」論ははじまったばかりだといえないこともない。
これからしばらくは、
「ロボットの死よ、早くこい」
「文明の蘇りよ、早くこい」
と夢みることにしよう。