「吉田昌郎所長と福島原発“現場”の真実」『死の淵を見た男』が描く当事者の想い
2014年09月12日 公開 2021年03月23日 更新
「あなたたちには、第2、第3の復興があるのよ」
「本当にみんな黙って、吉田所長をはじめ50名近くの管理職の人が円卓にいましたね。静寂というか、シーンとしていました。それまで緊対の中は、ずっとわさわさしてたのに、印象的な光景でした」
その円卓の向こう、入口から見れば、一番遠くの壁にあるテレビ会議のディスプレイの下に、3人の若者が床に車座になってすわり込んでいるのが見えた。消火班の人間だった。佐藤は、幹部たちが座る円卓の横を通って、ディスプレイの方に近づいていった。
「もうみんな装備して、下で待ってるよ」佐藤は、そう声をかけた。だが、彼らは反応を示さない。
「消火班の人は集まってるから下に行って。みんなバスに乗ってますよ」もう一度語りかけたが、それでも彼らは立ち上がろうとしなかった。彼らは佐藤に対して何も言葉を発しなかったのだ。
「私、ここに残るということは、本当に死ぬことだと思ってたので、ただ若い人は死なせたくないって思ったんですよね。管理職の方は責任があるから仕方がありませんが、その若い人たちは、ここでむざむざ死ぬのがわかっていて、どうしても置いていけないと思いました。他の人たちはバラバラと免震棟を出ているんだけど、“ね、下で待っているからね、早く行きましょう”って言ったけど、動かないんですよ」
3人は残る覚悟を決めていたのだろう。佐藤は、その意志が固いことを知った。
「もうここはダメだと思ってましたから、次に来る時は、本当の復興の時かなという感じでした。私は『きけわだつみのこえ』とかを読んだ世代ですから、戦争の時に若い人が特攻で命を落としていったことを知っています。だから、この若い人たちを絶対に死なせられない、と思ったんですよ」
その時、佐藤は自分でも驚くぐらいの大きな声で叫んでいた。「あなたたちには、第2、第3の復興があるのよ!」
それは、緊対室中に響く声だった。佐藤は必死だった。そうでも言わなければ、彼らは退避することを拒みつづけるだろう。時間はなかった。あなたたちは、「復興」に命を尽くしなさい――それは、彼らより年長の佐藤の心からの叫びだった。
あたかもあの太平洋戦争下で若き兵士たちに戦後の復興を託すようなものだった。しかし、佐藤の声は、円卓に座る幹部たちにも同時に聞こえている。復興というのは、彼らの「死」を前提にしたものにほかならない。
「円卓にいる幹部たちは、もう死ぬ覚悟をしていたと思うし、実際に私は彼らは最後まで残るべきだと思っていました。申し訳ないとは思いましたが、私は心の中で本当に若い人には、復興でやるべきことをやって欲しいと思ったんです。幹部の方たちは、もう死ぬのは仕方ないと思いました。そういう気持ちで皆さんを見たので、吉田所長たちが死に装束をまとっているように見えました」
やっと、3人は立ち上がった。佐藤の気合いが、彼らを動かしたのだ。彼らを連れて出る時、佐藤は、自分の上司である防災安全の部長に声をかけた。そのことを佐藤は、今でも後悔している。
「私、“部長も一緒に行きませんか”と思わず、言ってしまったんです。覚悟をして残ろうとしている部長にどうしてあんな声をかけてしまったんだろう、と今も思います。部長は、うーん、と返事に困りました。幹部たちが全員残るのに、うちの部長だけが出るわけにはいかないことを知っているのに、私は余計なことを言ってしまったと思ったんです」
そのすべてを吉田所長は、見ていた。それは実に穏やかな表情だったという。
「吉田所長は、私たちの方を穏やかな顔で見ていました。あの方は、とっくに覚悟を決めておられたと思います。吉田さんはいつも端然として座ってるんですよ。そわそわなんかしないです。黙ってこうやって座ってるんです。私は、皆さんと会うのはこれで最後だと思っていましたから、吉田所長だけでなく、全員に向かって礼をして緊対室を出たんです」
深く礼をした佐藤は。もう振り返らなかった。
「私は、振り返りませんでした。神聖な雰囲気ですから、その円卓に座っている50人ほどは、もう死に装束で腹を切ろうとしてる人たちですから、振り返るなんて、そんな失礼なことはできませんでした。私らみたいな雑兵はやっぱり、そそくさと出るだけです。本当に緊対室はシーンとしていましたから……」
会うのは、これが最後――復旧にかかわる技術系の人間を除いたほかの人間が退避する中で最後に部屋を出て行った佐藤眞理は、そう語った。