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社会

30年事業で強いリーダーを

冨山和彦(経営共創基盤CEO)

2011年06月13日 公開 2022年08月29日 更新

 今回の大震災で、やはり日本企業、いや日本社会全体の強みが依然、圧倒的に「現場力」に支えられていることが、いろいろな場所で証明された。それに比べ、目立ったのは中央政府や関連する巨大組織の司令部機能の弱さだ。とにかくそれを担うリーダーたちに決断力がない。悪い情報が迅速に上がらない(というか、悪い情報はつねに少なめ、遅めに上がるという組織経営の常識を知らないリーダーが多い)。判断ミスやマスコミの批判を恐れて、情報の収集と検討に時間をかけすぎる。自分一人にリスクが降りかかることが怖いのか、やたら本部や会議をたくさんつくるので、意思決定・指揮命令系統がますます混乱する。

 なぜ私たちは、相も変わらず「兵隊一流、将官三流」の罠にはまってしまうのか? 強いリーダーと強い現場はおよそ両立しないものなのか?

 典型的な日本型組織は良くも悪くも同質的で、共同体としての調和を重視する。それがすり合わせに代表される緻密で高品質なモノづくりや、きめ細かなサービスを可能にしている。意思決定過程も、それを反映して積み上げ型の意見調整、コンセンサス重視。その結果、あれかこれかの戦略的意思決定、とりわけ危機時にありがちな組織内に光と影が生まれるような決断は苦手。だからこそリーダーにはそうとうな人物を選んでおかないと、いざというときに大きな間違いを起こす。かつてのカネボウも、日本航空も、そして70年前のこの国全体も、本当のリーダーが不在なために決断の先送りを続け、いわば「不作為の暴走」の結果、悲惨な破綻に至った。

 では、なぜそういう不適格な人間たちがリーダー層に選ばれてしまうのか。4月末に、かねてより親交のあるスタンフォード大学のチャールズ・オライリー教授と、このテーマを議論する機会があった。オライリー教授は米国経営学界におけるリーダーシップ論の第一人者であり、最近は米国企業を中心に、いったん頂点に上り詰めた企業が、その後のパラダイム転換に対峙した際にどうなったか、そしてそれはなぜかを、リーダーやガバナンス構造に着目して研究している。

 あるパラダイムのもとで成功パターンを築き上げると、企業の内部構造、外部構造ともに、その枠組みを前提にした制度や既得権でがんじがらめになり、その後の経営革新を阻んでしまうという、いわゆる「イノベーションのジレンマ」はよく知られている。しかしそれを乗り越えて次の時代も繁栄を続ける例も少なくない。その鍵はやはりリーダーシップとそれを支えるガバナンス構造にあるというのが、オライリー教授の着眼点である。

 トップダウン型の、しかも株主や外部取締役の力が強い米国企業のガバナンス構造にあっても、順調な環境が続くと、性格温厚、優等生的、リスク回避的、調和重視で漸次改善志向の無難な人材がリーダー層に選ばれる傾向があるようだ。この手の人材がリーダー層を形成しているときに、不幸にも大きなパラダイムシフトに直面すると、かつてのトップ企業は転落への坂を転がりはじめる。さらには、そこでしかるべきリーダーへの交代期を逸すると、どんな大帝国も消滅から逃れられない。もちろん能力に陰りがみえたかつてのカリスマ創業者が居座っている場合にも転落は起きるが、いずれも「現状肯定的」な経営にすがりつくという点では同じ結果を招く。

 この議論を典型的な日本型組織に当てはめると、そこではいまだ年功終身雇用的で多様性に乏しく、内部的な調和重視で外部からのガバナンス作用を忌避している。しかも共同体型、ゲマインシャフト型の協調、調整、ボトムアップを基調とする組織文化が支配的。変革期を乗り切れるような資質をもった強烈な人材が、そんな組織の内部に温存され、しかもトップまで上り詰める蓋然性はきわめて低く、それは共同体自身が衰亡する蓋然性の高さも意味する。

 実際、官民(おそらくは政も)を問わず、日本の組織は既存のパラダイムにおける優等生を選抜し、組織や共同体内のさまざまな利害関係者に目を配り、利害調整に時間と手間をかけるタイプの人を昇進させる傾向が強い。逆に組織内の調和や既得権を根本からひっくり返すような狂気をもっている、それこそ小泉元総理のような「危険」人物は淘汰していくのが、良くも悪くも共同体原理を重視する組織の宿命だ。

 だとすれば、企業として、社会として、そうとうに強い意志をもって、しかるべき資質ももった人材を、少数でいいから各世代にわたり育成、温存し、いざというときに抜擢する努力を続けなくてはならないことになる。しかもそのリーダー人材には、当該共同体のクセ、強み弱みを十分に理解して人びとを動機づけ、統率する力と同時に、共同体の論理に縛られない冷徹かつ大胆な決断力も求められる。これはある意味、米国の経営リーダーたちが求められる以上に高度な条件だ。また、そういった人材が、いざというときにトップに就任(内部に適任者がいなければ外部人材を招聘)するようなガバナンス構造も整備しておく必要がある。

 現場力に強さのDNAがあるからこそ、むしろ変革の時代にはリーダーの問題が、企業、そして社会全体の持続的な繁栄を大きく左右してしまう逆説。過去の歴史において、新しい時代を切り拓く(≒過去の調和を破壊する)リーダーたちが、いつも非主流の若い世代から登場するのは、構造的必然なのだ。かくも甚だしいリーダー層の脆弱化は、日本社会が抱える構造的な逆説に、あまりにも無自覚にこの数十年を過ごしてしまったことに原因がある。わが国の企業や社会が、リーダー人材づくりという30年事業に、不退転で取り組んでいくことこそが、日本再生のもっとも根源的な道筋であり、「急がば回れ」の近道なのだ。

 私は、強いリーダー像と、日本型の共同体的、ゲマインシャフト的な組織特性とは相容れないという議論にまったく与しない。現実の優良企業、とくに世界レベルで通用している優良企業はそれを両立させているのが、過去も現在も未来も不変の真理かつ現実である。この大震災を機に、そういう企業が増え、さらには政府自身がそんな組織に進化してくれることを願っている。

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