コシノジュンコ ・ 向島、見るだけでは渡れない
2011年07月07日 公開 2013年06月20日 更新
《 『人生、これからや!』コシノジュンコ 著 より》
遠くに見える向島。はて、あの島には何があるのだろうか。もしかしたらそこには、すばらしい何かがあるかもしれない。ならばなんとかして渡ってみるしかない――。
この言葉は、お母ちゃんが大好きだったものです。
「あんな島に行っても、なにもないよ」
「どうせ大したものがないのだから、渡るだけ損だ」
「渡ってみて、もしも期待外れだったら損をするぞ」
お母ちゃんはそんな考え方が大嫌いでした。渡ってもいないのに、評論家みたいに知ったかぶりをする。はじめから渡ることをあきらめてしまう。そんな生き方は絶対に嫌だと思っていたようです。
何があるかわからない。もしかしたら、なにもないかもしれない。それでもかまわない。なにもないことがわかっただけで儲けもの。向島にはなにもなくても、そこからまた先に島が見えてくるかもしれない。そんな可能性やチャンスを探しつづけることこそが、人生というものだと考えていたのです。
「ぐちゃぐちゃ言ってんと、とにかく渡ってみ。まずはどうやって渡るかを考えることや。泳いでいくんか、船でいくんか、渡る算段をすることが大事や。結果なんて気にしてたらなにもできへんやろ」
向島というのは、言い換えれば人生のビジョンみたいなものです。将来自分はどこをめざすのか。何をやりたいと思っているのか。それらをしっかりと意識しながら、向島に向かって歩いていく。
口ばかりで偉そうなことを言うのではなく、まずはアクションを起こしてみる。失敗したってかまわない。行動することからしか、新しいものは生まれない。ほんとうに積極的な考え方を、お母ちゃんは持ちつづけていたのです。
80歳になっても、90歳になっても、お母ちゃんは将来の夢や目標を語っていました。5年後にはこんなことがしたい。10年後にはこうなっていたいと。普通はこれくらいの歳になると、どこかであきらめの気持ちが出てくるものでしょう。5年後、10年後なんて考えられない。そこまで生きているかどうかもわからない。そこで多くの人たちは、向島を見ることをやめてしまう。
お母ちゃんは、亡くなる直前まで向島へ渡ろうとしていたような気がします。たしかに歳をとってくると、物理的には残された時間は少なくなってくる。しかし気のもちようによっては、いくらでも時間は引き延ばせる。十年かけて向島へ渡るのは無理かもしれない。ならば三年で渡る方法を必死になって探してみる。
とにかくやってみなくてはなにもわからない。あきらめてしまったら、そこで人生の歩みはとまってしまいます。生きているかぎり走りつづけることが、お母ちゃんにとっては幸せなことだったのでしょう。
お母ちゃんのそんな生き方を見て育ったせいか、私もつねに向島をめざしてきました。なにか新しいことをしようとする。するとまわりの人が私に言います。
「それをやっても儲かりませんよ。儲からないのなら、やらないほうがいいですよ」
「そんなことやっても、くたびれるだけですよ。意味のないことはしないほうがいいですよ」
だから私は言います。
「どうせなにもしなくても儲からないんだったら、やって儲からないほうがいい。同じくたびれるのだったら、私はやってみてくたびれるほうをとる。なにもやらなければ、一歩も進まないと思うよ」
結果なんか気にしないで、とにかく向島をめざして泳ぎだすこと。一生懸命に泳いでいれば、溺れそうになったとき、必ず誰かが助け船を出してくれる。そうすると、助け船の人とご緑ができるでしょ。もしも泳ぐことさえあきらめたら、その人と知り合うこともできない。だから私もつねに、向島に渡ろうとしてきたのです。
でも、ちょっと考えたら、いまの若い人たちはかわいそうなところがあると思います。恵まれた世の中にはなりましたが、恵まれすぎて冒険心をなくしてしまった。情報がたくさんありすぎて、やらなくても結果が見えたりもします。
向島にはどんなものがあるか。そこに行けば何を得られるか。そんなことがはじめからわかってしまっている。「どうせなにもないのなら、渡ってもしかたがないや」―― そう考える若者が増えているような気がします。
私やお母ちゃんの時代には情報がありません。とにかく行ってみなければなにもわからない。だからこそ、行こうとするパワーが生まれた。失敗の数のほうが成功の数よりも圧倒的に多いけれど、失敗のおかげでたくさんのことを学ぶことができた。
だいたい、お母ちゃんがやっていた「立体裁断」なんて、当時はなかったのですから。みんなが工夫しながら新しいものを生み出していたわけです。そういった、未知なるものへのワクワクした気持ちが、いまは少なくなったのかもしれませんね。
それでも、なにも新しいことがないなどということはありません。まだまだ私たちには経験したことのないような世界はたくさんあるでしょう。それを信じて探しつづけることです。向島にはなにもないなんていう情報を鵜呑みにしないで、まずは自分の目で確かめることです。
自分で行ってみて、それでなにもなかったとしても、それでもいいじゃないですか。行かないよりは100倍もマシです。
大阪府岸和田市生まれ。文化服装学院デザイン科卒業。在学中に装苑賞を受賞。1978年よりパリコレクション。1985年北京、1990年ニューヨーク(メトロポリタン美術館)、1994年ベトナム、1996年キューバなど、世界各地でショウを開催。2005年中国歴史革命博物館(北京)においてデザイン展開催。2006年「イタリア連帯の星」カヴァリエーレ章受勲。2008年ワシントンD.C.でのJapan Festivalにてショウとオープニングプロデュース。同年VISIT JAPAN大使、上海万博PR大使に任命。10年5月中国人民大公会堂にて北京時装表演25周年記念、10月ローマ国際映画祭でJUNKO KOSHINOファッションパフォーマンスショーを開催。オペラやブロードウェイミュージカルの舞台衣装、マッスルミュージカル衣装プロデュース、スポーツユニフォーム、インテリアデザインなど幅広く活動している。