信じる道を歩み続ける修行~藤波源信・比叡山飯室不動堂長寿院住職
2018年09月28日 公開 2023年10月04日 更新
自分の信じた生き方を貫き通す
千日回峰行は、比叡山の峰々を巡礼する修行です。志半ばで挫折すればみずから命を絶つという掟があり、天台宗の修行の中でも最も厳しい荒行として知られています。歩く距離は、一日30キロメートル。その合計は地球一周に相当します。
行の中で最大の難関である「堂入り」は、9日間、不眠・不臥・断食・断水をしながら、十万遍の真言を唱えるというもの。満行すれば、「阿闍梨」の尊称が与えられます。この千日回峰行を2回満行したのが、故・酒井雄大阿闍梨で、私はその弟子になります。
私は三重県四日市市の出身で、高校を出ると近所の天台宗のお坊さんの勧めで比叡山に入りました。阿闍梨のもとで小僧として4年間お仕えしましたが、身のまわりのお世話や食事づくりなどの雑用に追われ、僧らしい修行もできず、日々同じことの繰り返しでした。
一般家庭の生まれなので、いくら修行しても帰るお寺はありません。何の保障もない生活と、先の見えない不安に押しつぶされそうになり、ある日、お山を飛び出してしまいました。
下界で様々な経験を積む中で、自分を見つめ直し、それからの生き方を真剣に悩みました。迷いながら、苦しみながら回り道をして、「もう一度、お山で修行し、阿闍梨のもとで千日回峰行をやりたい」と、強く思うようになったのです。
再び阿闍梨のもとを訪ねましたが、一度逃げ出した者には会ってもくれません。1年間通い続け、ようやくお許しが出てお会いできましたが、「すぐには比叡山に戻せない」と言われました。
その後、1年間、東京の建築関係の会社で働いていたところ、やっと「もう戻ってこい」との嬉しい便りが届きました。阿闍梨は、私の覚悟を試しておられたのでしょう。阿闍梨のご厚情でまたお山に戻り、修行することができました。
それからはもう、目の前のことに打ち込んでいくのみです。一日、また一日と積み重ねるうちに自然と不安はなくなり、千日回峰行の満行に至りました。みずから依って立つ土台が、ようやくできたという思いでした。
私が修行を通して得た気づきの一つは、物事は心のとらえ方一つで違ってくるということです。それを覚ってからは、他人の評価は気にならなくなり、人を肩書や学歴、財産・収入などで評価することもなくなりました。
この世の中には、不条理で不平等なことが満ち溢れています。だからこそ、自分の心で信じる道に一歩踏み出す勇気と、その道を歩み続ける覚悟が大切ではないでしょうか。
実は、千日回峰行は千日まで25日をあえて残して満行となります。つまり、満行後も修行はまだ終わっていないのです。
自分の信じた生き方を、一生貫き通す。それが真の修行なのだと思います。