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比叡山・一日回峰行体験~酒井雄哉大阿闍梨を偲んで

櫛原吉男(マネジメント誌『衆知』編集主幹)

2016年03月28日 公開 2024年12月16日 更新

「酒井阿闍梨さまの遺徳を偲んで、一日回峰行をしませんか」

昨年、黒田義兄弟(居酒屋で意気投合して、焼酎で義兄弟の契りを結んだ一人。ちなみに長男が人気講師の黒田クロ氏)の4男・細溝氏からお誘いをいただいた。

以前、NHKのテレビで『行~比叡山 千日回峰』という番組が放映された。千日回峰とは、比叡山の峰々を巡礼するもので、行半ばで挫折すれば自ら命を絶つという厳しい掟があり、天台宗の修行の中でも最も荒行として知られている。歩く距離は一日で40キロメートル、その合計は地球一周にも相当する。

行の中で最大の難関「堂入り」は、9日間、不眠不休断食断水をしながら百万遍の真言・法華経を唱えるという常人では成し得ないもの。満行したものは、阿闍梨の尊称が与えられ、土足で御所参内が認められる。阿闍梨は「不動明王の化身」と信じられ、信者の篤い信仰を集めている。この千日回峰を2回満行したのが、酒井雄哉。歴史上、たった3人しかいないという。(もっとも、織田信長の比叡山焼打ちにより、それ以前の歴史は焼失したので不明なのだが……)

酒井阿闍梨さまは、若い頃ギャンブルと酒に明け暮れ、それが原因で妻が自殺し出家された。まさに、「人生の落ちこぼれが、生き仏になった方」である。

私は酒井阿闍梨さまの日めくりを企画したため、何度も自坊の長寿寺にお邪魔してお話を拝聴した。また、尊敬する鍵山相談役(イエローハット創業者)をお連れしたこともあった。

そんなことで酒井阿闍梨さまからは千日回峰行のことは何度もお聞きして大変、興味があったので「是非、参加します」と即答した。会費は1万円。前日から根本中堂の近くの比叡山会館で夕食をとり仮眠。そして午前2時に出発した。参加者は70名余り。女性の参加者が多いのに驚いた。ご高齢の方も結構いらっしゃった。しかし、服装からみると、日頃、歩きなれておられるだろうと思われた。私は先週、慌ててザックを買い求めたぐらいで、まるで準備不足(運動不足)だった。

「千日回峰行とほぼ同じコース・距離を歩いていただきます」と延暦寺のお坊さんから説明を聞いて、正直、驚いた。まったく運動をしていない私がほんとうに歩き通すことができるか不安がよぎった。

ちなみに「千日回峰行」は正確には「千日」でなく「九七五日」。残りの「二五日」は「一生かけて修行する」ということらしい。

いよいよ出発。道中は、延暦寺の先達のお坊さんが引率し、根本中堂をスタート。途中で、現在、「千日回峰行」をされている釜堀浩元師(延暦寺善住院・住職)からご加持を受けるという僥倖にも恵まれた。暗闇の山中で行燈をもって、礼拝されながら歩く釜堀師には一種の神々しさがあった。後日、千日回峰行の中でも難関といわれる「堂入り」を達成された。(2015年10月21日未明)

東塔・横川と歩き終えた。ほぼ全体の3分の1の距離に相当する。

「なーんだ、ハイキングと変わらないな。これなら私でも歩けそうだ」と思った。しかし、そこから麓の日吉大社まで下る急峻な道で、膝も足もがくがくになり、休憩のときにはもう少しも歩けない状態になっていた。

「これから麓の坂本から、また比叡山・山頂まで一気に登ります。でも、無理な方はケーブルで上がってください。ケーブルで上がっても回峰には違いありませんから」というお坊さんの悪魔の囁き(失礼)に「そうか、ケーブルで上がってもいいのだ」と自分を納得させました。

そのとき、義兄弟の細溝さんが「櫛原さんどうしますか。私はしんどいですが櫛原さんが続けるなら歩きます。でもケーブルで上がるというなら、義兄弟として櫛原さんを一人乗せるわけにはいけませんから、私も一緒にいきます」という温かい言葉(?)をかけてくれた。

しかしここでケーブルに乗ったら、細溝さんから「櫛原さんがケーブルに乗ったから、一日回峰行を断念せざるをえなかった」と一生いわれそうだと思った。

「勿論、私は歩きます。でも、細溝さんがケーブルでいくなら、義兄弟を見捨てるわけにはいかないから、ご一緒します」と虚勢を張って、細溝さんの反応を見た。しかし、予想に反して「それから、私も歩きます」といとも簡単に答えた。

結局、意地の張り合い(?)で比叡山・山頂を目指して登ることになった。

しかし、そういいながら「まだ、今からでもケーブルに乗っていきましょう」と弱音が喉まで出かかっていた。正直、一歩あるくのも辛かった。みんなからも、どんどん遅れていった。私よりもご年配の方にも追い抜かれて、最後尾をついてゆくのがやっとの状態だった。

特に、無動谷からの急峻な登りは、まさに地獄だった。一番最後が一番しんどい。これが千日回峰行なのだと実感した。初めのころのハイキング気分など、すっかりと吹き飛んでいた。

「一日回峰行などしなければよかった」という後悔の念がこのとき湧いてきた。

「阿闍梨さまもこの道を歩かれたのですか」と同行のお坊さんにふっと尋ねた。

「そうです。今日はいい天気ですが、雨が降ると道がぬかるんで大変ですよ」と微笑みながお答えになった。

―そうか。酒井阿闍梨さまもこの道を歩かれたのか―さっき見た釜堀師の姿が目に浮かんだ。2千日も雨の日、風の日、雪の日も毎日歩かれた酒井阿闍梨さまの姿が心の中にはっきりと浮かんできた。途中で断念すれば自害しなければならないという悲壮な決意を心に秘めて歩かれた阿闍梨さまに対して、私はたった一日で弱音と後悔をしていることが恥ずかしくなってきた。

みんなから遅れても構わない。一歩一歩、焦らず歩こう、そうすればいつか必ず山頂に着くだろう。そう思うと、心が軽くなり足に力が甦ってきた。

―私は今一人ではない。酒井阿闍梨さまと一緒歩いているのだ―という不思議な気持ちになっていた。無動寺明王院でやっと、みんなに追いつき、無事、根本中堂に戻った。比叡山会館の温泉につかりながら、もし、あの時、ケーブルに乗っていたらこんな爽快感は決して味わうことはできなかったと思った。

今度、酒井阿闍梨さまに会ったら、お礼を言おう。それまで、下界の世界の道を、一歩一歩、焦らず歩き続けようと心に誓った。

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