「右腕の切断」を宣告された少年に起きた“奇跡”
2019年11月08日 公開 2022年12月19日 更新
「切断」という二文字の衝撃
関西労災病院で、多田の後を継いで芦田の主治医となった田野確郎が、阪急電鉄武庫之荘駅の近くで開業していた。田野はよく陽に焼けた、温厚そうな医師である。
「半年に1回ぐらいのペースでMRIを撮りに来ていましたが、病院に来ると腫瘍と向き合わなくてはならないので、いつもしゅんとして下を向いていましたね」
田野が芦田の治療方針を大きく変えたのは、小学校5年生、11歳のときだった。
「デスモイド腫瘍は関西の手外科学会でも2、3の報告例しかないとても珍しい病気で、われわれも手探りで治療をしていました。10歳までは手術で腫瘍を取っていたのですが、手を出せば出すほど腫瘍が大きくなるので、放射線治療を試すことを提案したのです」
肘に放射線を当てれば腫瘍の成長を止められる可能性はあるが、骨端線の成長も止めてしまう。骨端線の成長が止まれば、骨は成長しなくなる。智恵が言う。
「たとえ骨は成長しなくなっても、それで腫瘍の成長が止められるならと思いました」
芦田は2回の放射線治療で、限度量いっぱいの照射を受けた。腫瘍の成長はとりあえず止まった。そして、芦田の右上肢も11歳の長さのまま、成長することをやめてしまった。
小四から猛勉強をした甲斐あって、芦田は中高一貫校で早稲田大学の系属校である早稲田摂陵に合格する(当時は「摂陵」)。これは智恵が強く望んだ結果でもあった。
小学校時代、芦田の学科の成績は抜群だったが、右手が短いためにリコーダーを持てなかった。おそらく柔道の組み手もできないだろう。公立中学に進学すれば、音楽と体育の成績が内申を引き下げてしまう虞があった。
「右腕のせいで彼の可能性が狭くなってしまうことは、どうしても避けたかったんです」
芦田は早稲田摂陵に入学すると卓球部に所属して、「ゆるい」中学生生活を送っていた。だが、3年生になったとき、活動を休止していた腫瘍が再び増殖を始めてしまった。腫瘍は神経を巻き込むように成長しており、神経を傷つけずに切除するのは不可能だった。
田野医師は大阪府立成人病センターにいる腫瘍の専門医に、芦田の再発について相談した。
成人病センターの医師は、芦田と両親の3人を前にして、こう言った。
「治療方法がもうないから、これは厳しいなぁ。このままいったら……」
腫瘍は芦田自身の成長のピークと重なったこともあり、すでにニワトリの卵の大きさにまでなっていた。智恵が先を促した。
「このままいったら、どうなるんでしょうか」
「腕、切断したほうがいいかもしれませんね」
「切断……」
3人は、絶句した。それは、一番聞きたくない単語だった。智恵が食い下がった。
「先生、もしも先生のお子さんがこの子の立場だったら、どうされますか」
「そう……切断という選択もあるかな」