「右腕の切断」を宣告された少年に起きた“奇跡”
2019年11月08日 公開 2024年12月16日 更新
11月7日よりドバイにて世界パラ陸上2019が開催される。短距離と走り幅跳びに出場し、メダルそして東京パラリンピック内定が期待されるのが芦田創選手である。本稿では、デスモイド腫瘍という難病と闘いながらも、パラアスリートとして飛躍する芦田選手のエピソードを紹介する。
※本稿は、山田清機著『パラアスリート』(PHP研究所刊)の内容を編集したものです
閑散とした駒沢陸上競技場
彼ははたして障がい者なのだろうか―。
2017年6月11日、日本パラ陸上競技選手権大会の第二日。会場の駒沢オリンピック公園陸上競技場に足を運ぶと、メインスタンドの目の前で三段跳びに挑む芦田創の姿があった。
179㎝の長身、すらりと伸びた長い脚、見事な逆三角形をした上体、サングラスをかけ、俯き加減にゆったりとフィールドを歩きながら集中を高めていく姿は、紛れもなくトップアスリートの風格である。
助走のスタート地点に立ち、左手でスタンドを煽ると手拍子が沸き起こった。ゆっくり2、3歩歩いた後、軽くスキップをするようにして走り始める。芦田が大きく腕を振り出したとき、初めて黒いプロテクターを着けた右腕が左腕よりも短いことを意識させられた。
芦田創、兵庫県生まれの24歳。2016年のリオパラリンピックでは4×100mリレーに第一走者として出走し、銅メダル獲得と日本新記録の樹立に貢献。2017年3月には"本業"の走り幅跳びで、日本パラ陸上史上初の大台乗せとなる7m15㎝の日本新記録を出した、東京パラリンピック期待の星である。
芦田は今大会でも、第一日の走り幅跳びで6m87㎝の好記録を出して優勝しているのだが(T47クラス)、新聞発表によれば、残念なことに第1日の入場者数はわずか1300人余り。
しかも、そのうちの250人が報道陣だったという。私が観戦した第2日も、メインスタンド以外に人影はなかった。
芦田の背後では、男女100m走の決勝が行なわれていた。パラ陸上では競技の公平を期すため、障がいの程度に応じて細かなクラス分けが行なわれており、女子の100m走は15クラス、男子の100m走は実に18クラスからの参加があった。
レーサーと呼ばれる軽量で高速が出る車いすのレースもあれば、ブラインドの人が晴眼のガイドランナーに導かれて走るレースもある。片脚義足、両脚義足のランナーもいる。
クラスごとに優勝者が決まりメダルが授与されるが、参加人数の少ないクラスは他のクラスと同時に走ることもあり、いったい誰が勝者なのかわかりにくい。
日本パラ陸上競技連盟の「クラス分け説明表」は、芦田のクラス・T47を以下のように規定している。
【片前腕切断(片手関節離断含む)または100m走から400m走と跳躍競技に参加可能な片側及び両側上肢の最少の障害基準(MIC)に該当するもの】
芦田は右腕に障がいを抱えながら7m15㎝を飛ぶ超人だ。そんな芦田を「すごい」とは思っても「かわいそうだ」と思う人は少ないだろう。一方で、7m15㎝は、パラの世界では日本記録かもしれないが、健常者の世界ならインターハイ(高校総体)でやっと決勝に残れる程度の記録でしかない。
障がい者ならば超人、健常者ならば凡人。T47の芦田創は、障がい者と健常者の境界線上を歩きながら、何を悩み、何を選択してきたのだろうか。