「机を並べて仕事をする」風景はセピア色の思い出になる
(鬼塚)その変化に、数ある日本企業の多くが対応できるとは思えません。そういった企業は生き延びられないのでしょうか。私たちの仕事はどう変わりますか?
(妹尾)生き延びるのは難しいでしょうね。私たちの仕事ですが、例えば、一堂に会してする「会議」は職場から一掃されます。いま思えば、あれは儀式のようなものでした。
上司も部下も各自の居場所で必要に応じて連絡を取りあうことになります。そうなると、上司や同僚から連絡が来るか来ないかが、その人にとっての死活問題となります。
仮に正社員であっても連絡が来なければ仕事はありません。逆に、フリーランサーであっても連絡がどんどん入ってくる人は、正社員以上に存在感が出て来ます。「仕事ができる人」の基準がものすごくはっきりしてきます。
働く側からすれば、自分の強みややる気を大いにアピールすることも重要になってくるでしょう。現状では、ほとんどの日本人が転職に際して面接等で自分を売り込むことを苦手としています。
しかし、コロナ後の世界では、そんな「恥ずかしがり屋です」なんて言っていては生き延びることはできません。やる気を見せ、結果を出さなければなりません。
(鬼塚)部下から見れば、やる気を見せ、仕事をもらうように信頼され、結果を出す。まるで個々人がフリーランスのようですね。では上司の働き方はどう変わるのでしょうか?
(妹尾)仕事とは本来、いい仕事をして、結果を出して、周囲から評価される、そういうものです。上司との付き合いとか、ゴマスリで評価されるべきではない。
いま上司から連絡を受けるかどうかが部下の死活問題になると言いましたが、上司の仕事に関して言えば、的確な人選をして、タイミングよく連絡をして、その人に明確な指示を出すことができる、ということがその人の死活問題となってきます。
また、連絡を受けた部下にその仕事を快諾してもらえるような人間的な魅力も、上司にとっての死活問題となってきます。いくら肩書きが立派でも、上手に人を集めてプロジェクトを走らせることができない上司は、だんだんと影が薄くなって首をすげ替えられます。
みんなが机を並べて仕事していて、目の前の人に気楽に仕事を頼む、というような牧歌的な風景は、もはやセピア色の写真ように、懐かしい昔の時代の思い出に変わっていくでしょう。
幹部候補となる人材の要件が急変する
(鬼塚)部下であっても、上司であっても、今から大きく変わる社会にどう順応するかが、これから生き残る鍵ですね。
(妹尾)まさにその通りです。また、在宅勤務とテクノロジーの普及によって、会社は社員の副業を禁止することが実質的に困難になります。
意欲的な社員は会社に属しながらどんどん副業をしたり、企業内起業をしたり、ジョイントベンチャーを立ち上げたりして、正社員でありながらフリーランサーのようなメンタリティーに変化していきます。
会社にしても、優秀な社員をある程度泳がせて、新規ビジネスの種を蒔かせたり、新しいネットワークを築かせたりしないと、会社自体の競争力が弱まってしまうのです。
医療関係、公共事業、非営利事業等には当てはまらないかもしれませんが、典型的な利益追求型メーカーやマーケティング会社において、社員は大きく分けて、クリエイター、アーティスト型の役割と、プロデユーサー、マネージャー、コーディネーター型の役割とに2分され、それぞれの労働市場が形成されていきます。
企業は必要な付加価値を出してくれそうな社員を採用、育成、維持するように努力し、一方、優秀な社員はよりよいインフラ、マネージメント、コーディネーションを提供してくれるような企業を選んで雇用契約を結ぶようになります。
個人も企業も様々な評価基準でお互いを評価・採点するようになっていきます。企業の評価に際しては、従来の財務指標に加えて、社員のエンゲージメントのような人的な要素、ソフトな要素も含まれるようになっていきます。
私たちコーン・フェリーもまた、幹部候補とされる人材の見方を変えなければいけません。依頼された企業の社内、社外を問わず、社会の変化を理解し、その変化に対応できる人材を探し出し、企業の幹部とし登用させなくてはいけません。