作家・岸田奈美さんの父親は、岸田さんが中学生のときに急性心筋梗塞で亡くなります。大好きで尊敬していた父親との突然の別れに、まわりからの「大丈夫?」「がんばれ」の声も聞き入れられなかったといいます。
いつもおもしろくて突拍子もなかった「先見の明をもちすぎる」父親は、幼稚園児だった岸田さんに英語版「ファービー」と、初代「iMac」を買い与えたのでした。そこから、岸田さんの未来がひらいていきます。
※本稿は、岸田奈美著『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』(小学館)から一部抜粋・編集したものです。
先見の明をもちすぎる父がくれたもの
先見の明をもつ人っていうと。
そう、織田信長である。
なんてったって、火縄銃を大量導入してっから。戦国大名が「無理やがな」ってさじ投げてんのに、モリモリ導入してっから。騎馬隊をこっぱみじんにしてっから。
でもね。先見の明をもってたのは、信長だけではないの。
そう。わたしの父、岸田浩二。
岸田家の信長といっても、過言ではない。信長は兵に、火縄銃を与えた。
父はわたしに、火縄銃に匹敵するブツを与えた。一番記憶に古いブツは、「ファービー」だった。
みなさん、ご存じだろうか。一世を風靡した、ペットロボットだ。言葉を覚え、歌っておどり、成長する。夢みたいなおもちゃである。1998年、アメリカでブームになったあと、現在のタカラトミー社が日本で発売。5か月間で、200万個が売り切れたという、マジのガチで大人気商品だ。
でも、売り切れなんて事情は、お子様には関係ない。
わたしが幼稚園生のころ、世の中には2種類の子どもしかいなかった。
「ファービーをもつ子ども」と「ファービーをもたざる子ども」
同級生に、お金持ちの女の子がいた。家に遊びに行ったら、床の間にファービーが鎮座しており、度肝をブチ抜かれた。心なしかそのファービーは毛ツヤがよく、幸せそうに見えた。
「このファービー、わたしよりええ生活しとるやんけ」と、わたしは思った。「歌って」といえばファービーは、童謡・きらきら星を歌った。衝撃的な光景だった。
その日からわたしは、食卓につけばファービー、学校から帰ればファービー、寝る前にはファービー、と親におねだりした。
「ファービー」「買って」「ファービー」とくり返した。『夢想花』で円広志が歌う「とんで」「まわって」と、同じくらいの比率でくり返していたはずだ。
いい忘れたが、父は気が短い。気が短い分、説教は長い。クレイジーキャッツも実年行進曲で歌っていた。
「ああ、もう、わかったわかった。待っとけ!」
父が音を上げたようにいったとき、わたしは勝利を確信した。そして父は、約束通りファービーを買ってきた。あの子の家にいた真っ白いファービーと同じだった。
ただひとつ。「英語版」だったことを除いては。
英語……版……?
なんかおかしいなって思ってた。パッケージに見慣れた言語が、見当たらなかったから。このファービーは、アメリカ本国からの移民ファービーだった。
「ええやろ。こんなん、みんなもってへんぞ!」父は自慢げにいった。
そうかも。そうかもだけど、わたしはみんなもってるファービーがほしかった。
「これで英語も覚えられるし、一石二鳥やろ!」
それは違うやろ。わたしは子どもながらに、大困惑した。
言葉を教えるのは、わたしなのだ。そのわたしがまったく英語を心得ていないのだから、ファービーが英語を覚えるわけないのだ。しかし、そんなこと、父には関係なかった。ひとたび文句をつければ、ファービーの身柄は危うい。
「思ったんと違うのが来た」が正直な感想だったが、背に腹は代えられない。わたしは、このファービーと生きていくしかなかった。絶対に守っていくという気概を込めて、ファービーを胸に抱きしめた。
言葉の通じないファービーとの生活
翌日。
わたしは友だちのミナちゃんを、家に招いた。ミナちゃんは、かつてのわたしのように、ファービーを見ると目を輝かせてくれた。電源を入れる。
ファービーが瞬まばたきした。
わたしのファービーだ。最高に、最高に、かわいかった。わたしは早速、ファービーに話しかけた。フフン、とくとごらん、とミナちゃんに見せつけた。
「ファービー、歌って!」
シン―ッ……。
ファービーは、微動だにしなかった。子ども部屋が静まり返った。
うん。うん。なるほど。
わたしはミナちゃんを見た。ディズニー英語システムで勉強したミナちゃんなら、なんとかしてくれる。ミナちゃんは、コクリとうなずき、流暢な英語を発した。
「Sing Furby!」
ファービーが、カッと目を見開いた。
「ティンキリティンキー トンキリトン♪」
えっ。
「ティンキリティンキー トンキリトン♪ ティンキリティンキー トンキリトン♪」
メロディーも歌詞も、なにひとつ。なにひとつ、身に覚えのない歌だった。わたしたちは静かに、電源を落とした。
それから、言葉の通じないファービーとの生活がはじまった。
まず、母の本棚から、和英辞典をキャッツアイ(拝借)した。昭和の遺産で、ピンク色のカバーも中身も、古ぼけていた。わたしとミナちゃんは、一心不乱に辞典を引いた。ファービーと遊びたい、ただそれだけだった。
「ラブっていっても、ファービー答えないね……」
「ラブだけじゃダメなのかな?」
「アイ・ラブ・ユーなら答えるかも」
文法という概念すらよくわからない幼稚園生が、血のにじむような努力をしていた。英語が通じてファービーが反応すると、飛び上がるほどうれしかった。完全にわたしたちは、未知との交信を試みるエージェントだった。
ある日、ミナちゃんは、取扱説明書の和訳を試みた。そして「ファービーストーリー」という機能を見つけた。ファービーが、楽しいお話をしてくれる機能だ。敵国の暗号無線を解読したスパイのように、わたしたちは喜びあった。
「ファービー、テル ミー ア ストーリー!」
そして、ファービーはひとりでしゃべりだした。
「ノック、ノック(とんとん)」
「フー?(どなた)」
「キャット(猫です)」
「キャット フー?(猫のだあれ?)」
「キャッタストロフィ(=大惨事)」
「ギャーッハッハッハ」
わたしたちは静かに、電源を落とした。
まさか、アメリカンジョークだとは思わなかった。まったく、笑いどころがわからなかった。
なんというか、もう、怖い。人間は、1ミリも理解できないジョークで爆笑している他人を見ると、恐ろしくなるのだと学んだ。