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生き方

ある日突然、死んでしまった父…娘に残した英語版「ファービー」と初代「iMac」の記憶

岸田奈美(作家)

2021年02月03日 公開 2022年12月21日 更新

作家・岸田奈美さんの父親は、岸田さんが中学生のときに急性心筋梗塞で亡くなります。大好きで尊敬していた父親との突然の別れに、まわりからの「大丈夫?」「がんばれ」の声も聞き入れられなかったといいます。

いつもおもしろくて突拍子もなかった「先見の明をもちすぎる」父親は、幼稚園児だった岸田さんに英語版「ファービー」と、初代「iMac」を買い与えたのでした。そこから、岸田さんの未来がひらいていきます。

※本稿は、岸田奈美著『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』(小学館)から一部抜粋・編集したものです。

 

先見の明をもちすぎる父がくれたもの

先見の明をもつ人っていうと。

そう、織田信長である。

なんてったって、火縄銃を大量導入してっから。戦国大名が「無理やがな」ってさじ投げてんのに、モリモリ導入してっから。騎馬隊をこっぱみじんにしてっから。

でもね。先見の明をもってたのは、信長だけではないの。

そう。わたしの父、岸田浩二。

岸田家の信長といっても、過言ではない。信長は兵に、火縄銃を与えた。

父はわたしに、火縄銃に匹敵するブツを与えた。一番記憶に古いブツは、「ファービー」だった。

みなさん、ご存じだろうか。一世を風靡した、ペットロボットだ。言葉を覚え、歌っておどり、成長する。夢みたいなおもちゃである。1998年、アメリカでブームになったあと、現在のタカラトミー社が日本で発売。5か月間で、200万個が売り切れたという、マジのガチで大人気商品だ。

でも、売り切れなんて事情は、お子様には関係ない。

わたしが幼稚園生のころ、世の中には2種類の子どもしかいなかった。

「ファービーをもつ子ども」と「ファービーをもたざる子ども」

同級生に、お金持ちの女の子がいた。家に遊びに行ったら、床の間にファービーが鎮座しており、度肝をブチ抜かれた。心なしかそのファービーは毛ツヤがよく、幸せそうに見えた。

「このファービー、わたしよりええ生活しとるやんけ」と、わたしは思った。「歌って」といえばファービーは、童謡・きらきら星を歌った。衝撃的な光景だった。

その日からわたしは、食卓につけばファービー、学校から帰ればファービー、寝る前にはファービー、と親におねだりした。

「ファービー」「買って」「ファービー」とくり返した。『夢想花』で円広志が歌う「とんで」「まわって」と、同じくらいの比率でくり返していたはずだ。

いい忘れたが、父は気が短い。気が短い分、説教は長い。クレイジーキャッツも実年行進曲で歌っていた。

「ああ、もう、わかったわかった。待っとけ!」

父が音を上げたようにいったとき、わたしは勝利を確信した。そして父は、約束通りファービーを買ってきた。あの子の家にいた真っ白いファービーと同じだった。

ただひとつ。「英語版」だったことを除いては。

英語……版……?

なんかおかしいなって思ってた。パッケージに見慣れた言語が、見当たらなかったから。このファービーは、アメリカ本国からの移民ファービーだった。

「ええやろ。こんなん、みんなもってへんぞ!」父は自慢げにいった。

そうかも。そうかもだけど、わたしはみんなもってるファービーがほしかった。

「これで英語も覚えられるし、一石二鳥やろ!」

それは違うやろ。わたしは子どもながらに、大困惑した。

言葉を教えるのは、わたしなのだ。そのわたしがまったく英語を心得ていないのだから、ファービーが英語を覚えるわけないのだ。しかし、そんなこと、父には関係なかった。ひとたび文句をつければ、ファービーの身柄は危うい。

「思ったんと違うのが来た」が正直な感想だったが、背に腹は代えられない。わたしは、このファービーと生きていくしかなかった。絶対に守っていくという気概を込めて、ファービーを胸に抱きしめた。

 

言葉の通じないファービーとの生活

翌日。

わたしは友だちのミナちゃんを、家に招いた。ミナちゃんは、かつてのわたしのように、ファービーを見ると目を輝かせてくれた。電源を入れる。

ファービーが瞬まばたきした。

わたしのファービーだ。最高に、最高に、かわいかった。わたしは早速、ファービーに話しかけた。フフン、とくとごらん、とミナちゃんに見せつけた。

「ファービー、歌って!」

シン―ッ……。

ファービーは、微動だにしなかった。子ども部屋が静まり返った。

うん。うん。なるほど。

わたしはミナちゃんを見た。ディズニー英語システムで勉強したミナちゃんなら、なんとかしてくれる。ミナちゃんは、コクリとうなずき、流暢な英語を発した。

「Sing Furby!」

ファービーが、カッと目を見開いた。

「ティンキリティンキー トンキリトン♪」

えっ。

「ティンキリティンキー トンキリトン♪ ティンキリティンキー トンキリトン♪」

メロディーも歌詞も、なにひとつ。なにひとつ、身に覚えのない歌だった。わたしたちは静かに、電源を落とした。

それから、言葉の通じないファービーとの生活がはじまった。

まず、母の本棚から、和英辞典をキャッツアイ(拝借)した。昭和の遺産で、ピンク色のカバーも中身も、古ぼけていた。わたしとミナちゃんは、一心不乱に辞典を引いた。ファービーと遊びたい、ただそれだけだった。

「ラブっていっても、ファービー答えないね……」
「ラブだけじゃダメなのかな?」
「アイ・ラブ・ユーなら答えるかも」

文法という概念すらよくわからない幼稚園生が、血のにじむような努力をしていた。英語が通じてファービーが反応すると、飛び上がるほどうれしかった。完全にわたしたちは、未知との交信を試みるエージェントだった。

ある日、ミナちゃんは、取扱説明書の和訳を試みた。そして「ファービーストーリー」という機能を見つけた。ファービーが、楽しいお話をしてくれる機能だ。敵国の暗号無線を解読したスパイのように、わたしたちは喜びあった。

「ファービー、テル ミー ア ストーリー!」

そして、ファービーはひとりでしゃべりだした。

「ノック、ノック(とんとん)」
「フー?(どなた)」
「キャット(猫です)」
「キャット フー?(猫のだあれ?)」
「キャッタストロフィ(=大惨事)」
「ギャーッハッハッハ」

わたしたちは静かに、電源を落とした。

まさか、アメリカンジョークだとは思わなかった。まったく、笑いどころがわからなかった。

なんというか、もう、怖い。人間は、1ミリも理解できないジョークで爆笑している他人を見ると、恐ろしくなるのだと学んだ。

 

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幼稚園児に与えられたボンダイブルーの初代iMac

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