「高学歴の人はつまらない」そんな言説が世間には広まっているが、原因はどこにあるのだろうか。和田秀樹氏は、日本の大学教育が抱える問題点を指摘している。日本と海外の大学教育を比較し、面白い発想が出来る人になる為の方法を紹介する。
※本稿は、和田秀樹著『老いの品格 品よく、賢く、おもしろく』(PHP新書)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
高学歴な人が「つまらない」と言われる理由
日本で高学歴な人ほどおもしろい発想ができないと言われがちなのは、大学教育に問題があるからだと私は考えています。
日本も含めて世界のほとんどの国で、初等教育および中等教育は基本的に知識を教え込む「詰め込み教育」です。1960年代から80年代にかけて、世界的に詰め込み教育を見直す動きが広がりましたが、結果的に深刻な学力低下などが起こり、ふたたび詰め込み教育に回帰した経緯があります。
しかし、日本ではその流れに逆行するように、1980年以降小中学校のカリキュラムは減らされつづけ、とくに2002年の学習指導要領で、いわゆる「ゆとり教育」が行われるという異常な事態となりました。
でも、大学教育は、日本と海外ではまったく違っています。海外の大学では、高校までに一方的に詰め込まれるかたちで学んできたことを疑う、あるいは覆すために、ほかの学生や教授を相手に議論を重ねようとします。それが海外の大学教育です。
ところが、日本では、大学に入ってからも教授が言ったことを必死にノートにとり、試験でそのとおりのことを書けばいい成績がもらえます。一方、海外の大学でいい成績をとるのは、教授の言うことに反論し、その説を覆してみせる学生なのです。
入学試験の面接でも、日本ではその大学の教授が面接を行いますが、海外の大学では、学生募集の専門部署であるアドミッション・オフィスの面接の専門官が面接を行い、教授に刃向かいそうな学生をあえて選びます。だからこそ、ノーベル賞級の革新的な成果をあげる研究者が生まれるのです。
日本人の研究者でノーベル賞を受賞しているのは、基本的に「上に逆らう」経験をしたことのある人です。
島津製作所の田中耕一さん、旭化成の吉野彰さん、日亜化学工業にいた中村修二さんなど、日本のノーベル賞受賞者に企業研究者が目立つのは、日本では、大学よりも企業のほうが研究環境の自由度が高いからです。企業研究者以外のノーベル賞受賞者は、海外に留学して、上の立場の人と喧嘩する経験をしている人たちです。
ちなみに、東大からは4人のノーベル物理学賞受賞者を輩出していますが、東大の理学部物理学科では、学生に教授を「先生」とは呼ばせず、「さん」で呼び合うなど、対等の立場で議論させます。
上の人間の言うことを聞いているかぎりは優れた研究などできないという、当たり前のことを認識しているのは、東大のなかでも物理学科だけなのです。
一方、入学時は偏差値がいちばん高いのに、教授が絶大な権力をふるっている日本の医学部出身者でノーベル生理学・医学賞を受賞した1人が、山中伸弥さんです。
山中さんは海外に留学したあと、大学医学部の医局では十分な研究環境が得られないため、奈良先端科学技術大学院大学に移って研究に打ち込み、ノーベル賞の受賞にいたっています。
日本人は上に逆らうとか、自分の頭で考えるといった経験を、少なくとも大学教育まではほとんどしていない、世界的に見てもめずらしい国民です。
海外では、大学や大学院を出ている人のほうが自由な発想をもてるのに対して、日本の場合はどこの大学に入ったとしても自由に頭を使わせてもらえないので、高学歴な人ほど発想力が乏しいなどといわれることになるのだと思います。
いまの高齢世代は、社会に出てから自由に考える、議論するといった経験が乏しいまま過ごしてきた人が多いのではないかと思います。
それは職場の環境などによるところも大きかったと思いますが、そこから解き放たれたいまこそ、常識にとらわれない「おもしろい人」になれるチャンスだといえるのではないでしょうか。