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生き方

55歳から始めたスラムへの支援

石原邦子(NPO法人アマニ・ヤ・アフリカ理事長)

2011年12月03日 公開 2022年10月06日 更新

《 『PHPビジネスレビュー松下幸之助塾』2011年11・12月号 より 》
 

「めぐりあってしまった」

 脇の部屋からは木彫りのキリンが何体もこちらを見つめている。別の部屋では、女性が見慣れないアクセサリーを手に何か作業をしている。どことなく異国の雰囲気の漂う家である。
NPOkiji.jpg 仙台でケニアのスラムへの支援活をする特定非営利活動法人「アマニ・ヤ・アフリカ」(スワヒリ語で「アフリカの平和」の意)の理事長・石原邦子さん、68歳。55歳のときに「めぐりあってしまった」ケニアとかかわり始めて、まもなく13年になる。
「『年をとったらボランティア』という話をよく聞きます。私はね、そんなの考えたこともなかったんです」
 そんなごくふつうの女性がなぜスラムに?
「めぐりあってしまった、心が動いてしまった、としか言えないんですよ」
 1998年暮れ、海外留学中の長男がケニアのNGOで活動していたことから、「何してるんだか、見にいこう。遊びにいこう」という軽いノリで出かけたのがきっかけだった。到着翌日、長男の仕事場であるキベラ・スラムに連れていかれると、そこは別世界だった。80万人とも100万人とも言われる人が住む、東アフリカ最大のスラムだ。赤茶けたトタン屋根の小さな小屋が迷路のようにびっしり。さらにゴミの山と生活排水の垂れ流しで鼻を衝くような悪臭が立ち込めていた。
「ちょっと何、この汚さは!この国の衛生教育はどうなってるの!」
 思わず口を出た言葉に、息子が静かに反応した。
「母ちゃん、この国の人たちも、だれだってきれいなところに住みたいさ。だけどね、ここの人たちはお腹をいっぱいにすることが先決なんだよ」
「母ちゃんは日本語しか話せないくせに、こんなに遠くまで簡単に来られる。でもここの人たちは、パスポートを取ることさえむずかしいんだ。同じ人間として、そんな理不尽で不平等なことがあっていいと思う?」
 石原さんの"その後"を左右する決定的な言葉だった。小高いところからスラムを見渡して「母ちゃん、これを見てどう思う?」と聞かれた。ただただ涙があふれてしかたがなかった。
「私も何か手伝いたいけど、何かやれることある?」
「あるよ。いくらでもある」
 ただ息子に会いに、遊びに来ただけだったはずの初めてのアフリカで、考えてもみなかった新しいことが始まりそうな予感がした。

1160頭のキリンが空を飛んだ

 帰国すると友人たちからの質問の嵐が待っていた。「アフリカに行ってきたんだって?」「どうだった? どうだった?」「話、聞きたい!」。
 それじゃあ一度に皆さんに話を聞いてもらおうということで、報告会を企画。入場料と募金、それと民芸品の売上を足したら18万円になった。これを息子さんが所属していたNGOに寄付したところ、スラム住民の仕事に使えるリサイクル製本機に化けた。石原さんのアフリカ支援第一号だった。
 さあ、これから本格的に支援活動をするぞ!と意気込んだかといえば、そうではない。計画性は皆無で、ただ思いつくまま、気のつくまま、集まった仲間と意気投合して、芋づる式にあれよあれよというまに支援活動が進んでいったというのが実情だ。
 まずは、知人で現地在住の日本人女性、早川千晶さんに日本に来てもらって講演会を企画(99年8月)。この講演会の収益と、ケニアから送ってきた民芸品の販売で得た22万円を元に、キベラにあるストリートチルドレンのための学校「リサスクール」に対し、トイレの設営や校舎改築などの支援ができた(2001年以降、同校は住民の独自運営に移行)。
 続いて、早川さんの講演をラジオで知ったパン職人の男性が、自分の技術を途上国の人に伝えるという退職後の夢を話してくれた。それでケニアへのパンづくりツアーを企画し実施(2001年1月)。さらにそこから、ケニアの若い人を日本に呼んでパンづくりを学んでもらう企画が生まれた。
 ところが渡航手続きや法律的な知識が皆無だった石原さんたちは手間取った。まず、3カ月の観光ビザの期間でのパンづくり習得は無理だと分かり、留学生には言葉の勉強から始めてもらうことにし、最終的には1年間の就学ビザでの受け入れが決まる。
kirin.jpg 問題は資金づくりである。民芸品の木彫りのキリンを1160個売れば2人分の日本語学校授業料になるということで、「1160頭のキリンが空を飛ぶ」というキリン大作戦を開始。みんなで手分けし、あちらこちらへ出かけ、メディアに働きかけて宣伝してもらうなど、キリンキリンに明け暮れた結果、授業料の捻出に成功した。
 そうして2001年12月、ナオミさん(当時26歳)、ビューリティさん(同19歳)という2人の若い女性が日本に来た。2人は、午前は日本語学校、午後はパンづくりの修業、夜はアルバイトと、勤勉そのものの生活を送り、石原さんたちは陰に陽に支援を続けたのだった。
 後日談だが、約束の1年が近づいたとき、2人はこのまま日本に残って日本語の勉強を続けたいと申し出た。石原さんは、お金の援助はできないが身元保証だけはすると話し、2人はもう1年、日本語学校に通うことになった。彼女たちは学費を稼ぎ、実家に仕送りをしながら勉強し、卒業後はなんと、ビューリティさんはドバイのエミレーツ航空に客室乗務員として、ナオミさんは仙台国際ホテルに、それぞれ就職を決めて自立を果たしたのだった。

小学校への給食費支援とフェアトレード

 2002年、スラム内に小学校を開く話が持ち上がり、それに賛同した石原さんたちは資金集めに協力、その年、無事「マゴソスクール」が開校した。開校当初は凸凹の土間に長いすを並べただけで、教材も教科書もない状態だった。そこで石原さんたちは、まず教師用の教科書1セットを贈るところから支援を始め、徐々に拡大していった。
 それから数年、卒業を迎える子どもたちにケニア独特の全国統一試験を受けさせるために、きちんとした教師を呼ぶことになり、その給料捻出のための「マサイ大作戦」を敢行した。フェアトレードグッズ(後述)を販売しての資金づくりプロジェクトだ。これも成功し、まずは2人の教師に来てもらうことができた。
 最近は給食費の支援が中心になっている。スラムの住民は貧しく、昼休みに家に帰っても水しか飲めない子がほとんどだという。そういう子たちがきちんと給食を食べられるようになると、グッと元気が出てくるそうだ。
 npo_sotugyo.jpg 卒業後は高校や専門学校に進学したり仕事についたりと進路はさまざまだが、マゴソスクールに行っていなかったら路上生活を続けていたかもしれない子たちが教育を受け、夢を語る姿を見ると感無量だと話してくれた。(写真はマゴソスクールを卒業した子供たちと石原さん/クリックすると拡大します)
 従来の活動に加えて今、石原さんたちが力を入れているのは、職業訓練施設の運営だ。日本からさまざまなモノを援助するこどはできるが、大事なのは現地の人たちが自立して安定した現金収入を得られるようになることだと考えている。そのための訓練施設「アマニ・ファクトリー」をつくり、スタッフを派遣して民芸品製作のトレーニングを行なっているのだ。
 そして、そこでつくられた民芸品は「フェアトレード」といわれる公正な取引によって買い取り、日本で売る。アフリカ製品はまだまだ低価格で買い叩かれたり、中間に立つ人に搾取されたりする現状がある。そこをお互いに納得のできる価格で買うことによって、彼らの経済的自立を促す活動だ。

"創業経営者"として

 何の計画性もなく、行き当たりばったりで始めた支援活動。最初は「楽しくなくなったらやめるつもりよ」なんていい加減なことを言っていたが、やっているうちに、「楽しくなくなったらやめるなんて、そんな無責任な話はない。これは困った、発展させていかなくては」という使命感のようなものも芽生えてきた。
 とは言いながら、石原さんに悲壮感めいたものは微塵もない。ケニアの人の仕事のしかたに、ふつうなら腹が立つようなことがあっても、「なかなか楽しいですよ。まあ、腹を立ててもしょうがない」と笑い飛ばす。さぞ現地のスワヒリ語の勉強も一所懸命しているだろうと思ったら、「全~然。何もしゃべれない。英語もダメ。笑顔があれば大丈夫、ってことで通してるんです(笑)」と屈託ない。
 目下の課題は、組織としての継続性を持たせられるよう体制固めをして、若い人たちに引き継ぐことだ。いずれスタッフに給料を払えるようにして、この活動を永続的なものにすることを"創業経営者"として考える毎日なのだ。
「ボランティアで活動を支えるスタッフたちは、石原さんの熱意と明るさに引き寄せられるようにして集まってきたんです」と話すのは、副理事長の吉村松二さんだ。
「私も『PHP友の会』の方を通じて石原さんのことを知り、ぜひお会いしたいと思ったのが知り合ったきっかけです。その後彼女のオーラに引き寄せられて(笑)」
「石原さんの考え方はとても前向き。ふつうなら『できない』と思ってあきらめてしまうことも、『やってみようじゃないの』と言われて、みんなで知恵を出してクリアしてきました」
 ただ、今年3月の東日本大震災は、アマニにもむずかしい問題を突きつけている。春の年度更新時期に更新してくれる会員が減ったこと、グッズを販売するイベントの多くが中止になったこと、そして集まった寄付を震災関連に回すよう指定されるケースが増えたことなどである。
 集まった資金を本来の活動以外に回さざるをえないのは逆風ではある。もちろん、石原さんたち自身が被災市の住民でもあり、震災関連の寄付に反対なわけではない。しかし、アマニの活動は、たまたま集まった寄付をケニアに送っているわけではなく、継続的な支援であることを、できれば多くの方に理解してほしい。「こういう時期に国際協力なんて言っている場合じゃない」という意見も分かるが、計画的・継続的に行う活動が一度でも途絶えてしまうことの意味をなかなか理解してもらえない苦しさがある。
 「去年、70~80万円くらい贈れた給食費が、今年はもしかしたらゼロになるかも......」
 ただ、秋口からは上向きになりそうとの感触を得ている。そうすればまた、極貧の中にいるとは思えないような輝く笑顔の待つ、スラムへの支援に力を入れられるだろう。
 ケニアの子どもたちはすべてに感謝し、いつも笑顔だ。厳しい環境にも「ハクナマタタ(問題ない)」と言って陽気に笑う。
 物質的に豊かな私たちはアフリカを支援している側だと思っているが、心の豊かさは彼らのほうが数段、上かもしれない。その明るさから教えられることは多いと、石原さんは思うのだ。

掲載誌

pbr_1112.jpg PHPビジネスレビュー 松下幸之助塾 11・12月号
2011年10月27日発売
販売価格1050円(税込)
<隔月刊(年6回)年間購読料:5670円(税込)>

11・12月号の主な内容
〔証言〕松下幸之助の世界:「松下さんの『聞き上手』と『決断力』」 田原総一朗
巻頭インタビュー:NHKドラマで松下幸之助を演じて 俳優 筒井道隆
特集:「スピード改革の極意とは」
連載:松下幸之助の経営問答 第1回「指導者の要件」 /朝倉千恵子の上司学/鍵山秀三郎の「ビジネス幸福論」/橋本久義の 輝く! 町工場の底力
 ほか

 

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