数々の困難を乗り越え、事業を大きく成功させてきた稲盛和夫氏(2022年逝去)。氏の著作はいまもって、メジャーリーグの大谷翔平選手など、多くのプロフェッショナル、経営者たちに影響を与え続けています。
「思い」「エネルギー」「熱意」「ひらめき」「利他」「美しい心」「純粋さ」「愛」......深い思索と広い見識に支えられた情熱あふれる「ど真剣」な稲盛氏の経営論を、ご紹介しましょう。おたがいの経営を改善するヒントが見えてくるはずです。
※本記事は、稲盛和夫[述]・稲盛ライブラリー[編]『誰にも負けない努力 仕事を伸ばすリーダーシップ』(PHP文庫)の収録内容<1983年10月28日・九州経済同友会大会での講話の一部>と<1993年8月25日「盛和塾」仙台・山形合同塾長例会での講話の一部>を抜粋・編集したものです。
「人間は人によってできることが違う」のはなぜか
こうありたいと強く思うと、そのとき、ものすごいエネルギーが出ると私は思います。思うというのは念であります。仏教では思念といい、思念が業(ごう)をつくるといいます。あなたの思いが業をつくる、つまり、思うということが偉大なエネルギーを発散するのだと思います。
思い煩うといいますが、恋に悩む、あるいは肉親が大病を患うといった場合、それを思うだけでげっそりやせてしまいます。思うというのは簡単なことではないのです。強く思うとか、魂を揺さぶられるとか、そういうときに、人間固有の最もすごいエネルギーが出るのではないかと思います。
日常でも、よこしまな心で念を持てばそういう念波が出るし、きれいな心できれいなことを思えば、そういう念波が出る。人に会ったときに、なんとなく好きだとか、いい人だとか思うのも、それは話をしたからとか人相とかではなく、その人が出している念波を受け取っているからだと思います。気が合うというのもそうでしょう。人間は、たいへんなエネルギーを出しているのでしょう。
なぜこういうことを言い出したのかといいますと、私が研究開発に携わり、発明、発見をしていく上で、そういう経験があるからです。
私の専門分野で、私よりはるかに勉強し、理論も詳しい人はいくらでもいますが、一緒に研究していても最後のバリアは私しか打ち破れないということがあります。頭がよいだけではダメですし、ロジカルに知性だけを使えばよいということではない、何かがあるのです。その何かが非常に大きな力を持っているからこそ、人間は人によってできることが違うのです。私はそう思っています。
私はウチの研究員に昔から、「なんぼ頭がよいかしらんが、今の研究では絶対新しいものはできない」と言っています。「どうしてもこの研究を成功させないといかん」という熱意がないとダメなのです。この熱意こそが、大きな力を持った何かなのです。
全社員が自分の研究成果を待ちこがれているのだから、どうしてもやらなければという熱意、情熱、そういう思いが蒸気みたいに出て、それが露になって落ちてくる。つまり、思いがいったん蒸発して滴になって落ちてきたとき、難しいものがパッと解けると私は言っています。
そういう思いは、場合によっては、ラッキーを呼び込むとか、インスピレーション、霊感といったものを呼び込むこともできると思うのです。世の中で素晴らしい発明、発見をした人で、インスピレーションの力を借りなかった人は、一人もいないはずです。
物事を研究、開発していく場合、最初は知識でいろいろ考えますが、必ず行き詰まります。次にどうすればよいかを考える中でイマジネーションが湧いてきます。
しかし、それでもうまくいきません。悩み、悩み抜いて、どうしてもやらなければならないと思ったときに、いわゆる神の啓示、ひらめき、インスピレーション、霊感みたいなものが得られます。そういう人たちが、人のできないことを成し遂げたのです。
利他のある、愛のある願望は、非常に強い
とかく自分だけよければいいという我利我利亡者がいます。そういう利己的な、エゴの強い人でも、例えば俺は億万長者になりたいと強く願望を抱いて頑張れば、なれるのです。美しい心で描いた強い願望も、悪しき心で描いた強い願望も、全部成就するのです。ただし、悪い心で描いた願望は、成就しても持続しません。必ず、その悪しき心がもととなり破滅していきます。
たいていの人の願望というのは、自分だけよければいい、自分は金儲けをしたいというものです。経営者というのは、金儲けをしたいために事業をしているケースが大半です。
しかし、従業員を持っていますから、心ある経営者は少なくとも自分だけが、とまでは思っていないはずです。自分の事業を立派にし、従業員を幸せにしてあげたいと思っています。その中で、自分も自分の家族も幸せになりたいと思っておられるはずです。
京セラをつくったとき、二十数人の従業員を新たに雇いました。そして、その人たちの将来にわたる生活の面倒をみなければならない、それが日本の企業形態だと知ったとき、私は「全従業員の物心両面の幸福を追求する」と、心に決めました。
一生懸命に頑張ろう。頑張って、その人たちが60歳の定年まで勤めている間、みんながよかったと思えるようにしてあげようと思い、私は一生懸命に経営に取り組みました。
一生懸命に経営に取り組めば、仕事は増えます。増えると、人を雇わなければなりません。二十数人を食わすのに一生懸命だったのが50人に増え、今度はその50人を食わせるために一生懸命に頑張りました。そうして頑張っているうちにだんだん事業が大きくなって、100人になり、1000人になり、そしていつの間にやら3万人の面倒をみなければならなくなった。
最初、二十数人の生活の面倒をみるのもできそうにないと思ったのに、気がつけば日本人だけでも1万5000人、外国人も1万5000人。会ったこともない人まで面倒をみなければならなくなってきたわけです。
「全従業員の物心両面の幸福を追求する」と決めた以上、不況でぐらつく会社であってはならん、財務内容のしっかりした会社にしなければいかん、そのためにはこうしよう、ああしようと思いました。
こうした願望は、個人的な、利己的なものではありません。そこには利他があります。愛があります。みんなをよくしてあげたいという思いやりの心が働いています。そういう優しい、美しい心で描いた願望は、非常に強いものなのです。
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「美しい、純粋な心で願う企業経営のあり方、それは必ず成功する」