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日本書紀と古事記…2種類の歴史書が“同時に”生まれた理由

2019年07月10日 公開

吉木誉絵(よしきのりえ: 外交政策センター研究員)

 

日本人の情感を伝えるための『古事記』

さて、『日本書紀』が当時の東アジアの情勢と律令国家の形成に際し担ってきた役割がみえてきたところで、『古事記』に話を移したい。

明治維新では西洋文明・技術を取り入れて近代化に励んだ日本は、一方で日本の精神性が失われることを危惧し、技術面の西洋化と精神面での日本らしさの強化に努めた。このような二重構造は、既に7世紀にあったことが知られている。工藤氏によれば、つまり『古事記』の存在とは、すさまじい勢いで進む古代の「近代化」に対する「反作用」の産物だった。

大和のアイデンティティの根本的な揺らぎへの危機感は、『古事記』の誕生へと繋がっていったという。『古事記』の存在意義は『日本書紀』に照らし合わせたときに、より一層その本質が明瞭になることを、呉哲男氏の次の言葉が表している。

呉氏いわく、「古事記研究に即していえば、日本書紀のもつ歴史意識を前提にしなければ古事記の構想そのものがありえないというところから出発すべきなのである。日本史に義理立てして七一二年(『記』)と七二〇年(『書紀』)という成立年代の相違を絶対視してはならない。八世紀に成立した日本文学史は、はじめに日本書紀・懐風藻のような中国文学的な発想があり、次いでそれによって失われたとみなされた共感(感情)の共同性を想像的に回復しようとしたところに『古事記』・『万葉集』誕生のモチーフがあると考えるべきである」という。
((注1)呉哲男(1997)「国文学/国学批判――西郷信綱の「読み」をめぐって――」『日本文学 46巻1号』16頁)

つまり、そもそも『日本書紀』の編纂が先立って構想され、『日本書紀』のような古代中国思想の影響を強く受けた編纂方法では、日本人の「感情」――これは日本人のこころとも言い換えられるものである――が除外されてしまうので、むしろ日本人の情感を大切にするという編纂の構想が『古事記』(そして『万葉集』)の基盤にあったというのだ。

『日本書紀』では日本の国家としての正当性を世界に示すため、工藤氏の言葉を借りれば当時の日本の「現代政治史」を伝えていたのであり、一方で『古事記』では、『日本書紀』からは排除された日本人のこころを伝える。このように全く異なる二つの編纂目的があるからこそ、同時代に二つの「歴史書」が誕生したのだ。

 

「日本文化は両極端の間を揺れ動く」

幾何学模様と自然を表現した絵柄を隣り合わせにデザインされた着物の柄(撮影:吉木誉絵)
(写真)幾何学模様と自然を表現した絵柄を隣り合わせにデザインされた着物の柄(撮影:著者)

私は、この相反する方針を取る『古事記』と『日本書紀』が同時に存在し、それを日本人が自然に受け入れているということ自体が、日本人の「和の精神」のひとつの様態だと思う。相異なる存在の同時性は、日本人が好むものである。日本人は、それが相反するものだと気づかないほど、それらを無意識的に共存させる。

この点において、クロード・レヴィ=ストロースの「日本文化は両極端のあいだを揺れ動く、驚くべき適応性をもっている」という指摘が思い出される。レヴィ=ストロースは、その例として、西洋社会では分断されている神話と歴史に、日本においては親密な関係性があることや、幾何学模様と自然を表現した絵柄を隣り合わせにデザインされた着物の柄(写真)などを挙げている。

これは元を辿れば、万物全てに魂が宿り、人間と動植物、物質と生命などを結びつける神道の世界像にその深淵があるという考察は、日本人の感性の源について大変示唆的である。


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