障害当事者として、障害のある身体、そして社会とのギャップを考察し続けるキム・ウォニョン。骨形成不全症のため、子どもの頃から車いすユーザーで、ソウル大学を卒業してからは弁護士、俳優、作家として活躍しています。
彼はあるとき、「ディボティー」と呼ばれる、障害のある身体に性的に惹かれる人々の存在を知ります。違和感と好奇心で彼らのことを調べていくと...。障害のある身体に惹かれることは「変」で「問題」なのでしょうか?
※本稿は、キム・ウォニョン著、五十嵐真希訳『だれも私たちに「失格の烙印」を押すことはできない』(小学館)から一部抜粋・編集したものです。
切断されたあなたの体に惹かれる
両脚を失って車いすを使う女性アリソンの経験から、障害のある身体と、身体に対する欲望の興味深い事例を見ていこうと思う。彼女は事故で脚を切断した。事故から1年あまり経った1996年のある日、男性から電子メールを受け取った。
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アリソン
多くの人々は、脚のない女性を避けるでしょう。でも、女性がありのままの自分自身をさらけだすのは、すごいことです。もし(個人的な話として受け取らないでください)、街で偶然あなたと出会ったら、私は相当なショック状態に陥ると思います。アドレナリンがほとばしり出て、心臓は早鐘を打ち、手のひらは汗でじっとり濡れるでしょう。
.......私は、障害のあるあなたや、あなたの姉妹が、あなたとあなたのその「苦境」に心から関心をもつ私のような人間を、ただ狩りのためにうろつくオオカミのように思わないでほしいです。私は、あなたが当然受けるべき愛と労りを差し上げられる人間です。......
私にチャンスをくだされば、あなたは思いもよらない見返りを得られるでしょう。
友人として、尊敬を込めて スティーブ※1
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スティーブは「ディボティー」に分類される人間だ。ディボティーとは、障害のある人に性的に惹かれる人たちのことを指し、彼らが障害に対して示す態度と欲望を「ディボーティズム」と呼ぶ。
スティーブは、脚を切断した障害者の女性だということのほかに、アリソンがどのような人物で、どのように生きてきたかなど、まったく知らないが、彼女に魅力を感じる。
ディボーティズムをもつ人々の「好むもの」はそれぞれ異なるが、一部が欠損した身体に魅力を感じる人や、補聴器や車いすのように、障害者の装具に惹かれる人もいる。男性ディボティーが多いが女性もいて、異性愛者も同性愛者もいる。
学者はディボーティズムを、障害に対する一種のフェティシズム(身体の特定の部位や、特定のものに魅力を感じる性的嗜好)とし、これをさらに、障害のある人に性的魅力を感じるディボティー、障害のあるふりをするプリテンダー、そもそも障害者になりたいワナビーの3つに分ける。
耳が聞こえないふりをして補聴器をつけて生活したり、障害者になりたくて実際に身体の一部を切断したり、聴力の損失を試みたりする極端な場合もある※2。信じられないと思う読者はGoogleで「Deaf wannabe」を検索してみてほしい。
「変よ。問題だわ」に対する複雑な感情
ディボーティズムを知って、私はディボティーの人々が気になったり、一方では嫌悪感を抱いたりもした。
そして、車いすの男性に性的な魅力を感じるディボティーのサイトを見つけた。複雑な心情を一時忘れ、マウスをクリックした。背が高くて顔も格好いい男性の障害者が車いすに座っている写真ばかりが載せられていた※3。
アリソンもスティーブからメールをもらい、ディボーティズムへの拒否感と好奇心を同時に抱いた。彼女が家族と友人にこの話を聞かせたとき、反応はみな同じだった。
「変よ。問題だわ」
アリソンは家族や友人たちの一貫した反応に複雑な感情を覚えた。彼らはディボーティズムの何を問題だと考えたのだろうか? これは、アリソンの体が人に嫌悪感を与えていて、だれかにとって魅力の対象になることがおかしいという証拠ではないか。アリソンは自問する。
多くの人々が理由も聞かないまま、それ(障害)に魅力を感じると話すだけで、即座にディボーティズムを非難した。...これをどのように受け止めるべきでしょうか?
私の友人と家族は無意識に私の体をグロテスクだと思い、それで、だれかがこの体に魅力を感じることに、すぐさま疑いを抱いたのでしょうか?
...もし、私が、私に憧れるだれかを嫌悪し、疑い、拒んだら、私は自画像(セルフイメージ)についてどう語ればいいのでしょうか? 反対に、私が性的に認められることを渇望するあまり、スティーブがメールで言及したような行為を受け止めていたら、そのときは自画像についてどう語ればいいのでしょう? ※4
ディボティーにもディボティーを否定する人にも感じる違和感
学者は、ディボーティズムを性的倒錯や病理的なフェティシズムと理解する。人々は女性の胸や男性のがっしりした肩に性的魅力を感じる人について精神疾患だとは思わない。黒いストッキングを見て興奮したり、腕の筋肉に魅力を感じたりする人もいる。
こうした性的嗜好を理解できないとか、不快に思う人もいるが、彼らを精神疾患者だとは思わない。それでは、なぜ、障害のある身体に性的魅力を感じることは疾患に分類されるのだろうか※5。
アリソンもディボーティズムに拒否感を抱いたが、同時にディボーティズムを嫌悪する人々の態度にも問題があると考え、ディボティーに対する研究を始めた。
研究を進めるうちに、実際に多くの障害者の女性たちがディボーティズムサイトにアクセスしており、それ以後、自分の身体に対する否定的な感情を克服し、自分の体を受けいれながら家の外に出るきっかけになったことを知った。
ディボーティズムをめぐっては、複雑な感情と理解が絡み合うが、嫌悪感や気まずさをもたずに見つめれば、ディボーティズムには何か「エロチックな情熱」がある。ディボティーたちは障害のある体に魅力を感じながらこう言う。
「私は、あなたのために法的な義務を負ったり、善良に生きたりするつもりは全くありません。政治的に何が正しいのかもわかりません。でも、あなたの体に惹かれるんです」
※1 Alison Kafer ,“Desire and Disgust: My Ambivalent Adventures in Devoteeism”, R . McRuer, A. Mollow(ed.), Sex and Disabilit y, Duke University Press, 2012, pp.331~332.
※2 Kristen Harmon, “Hearing aid Lovers, Pretenders, and Deaf Wannabes : t h e Fetishizing of Hearing”, Duke University Press, 2012, pp.355~356.
※3 www.paradevo.orgは、車いすに乗った男性に惹かれる女性、または男性同性愛者ディボティーのためのサイトである。車いすに乗った男性たちの写真、彼らとの愛をテーマにした小説、映画などが紹介されていて、書評もある。
※4 Alison Kafer、前掲書、332〜333ページ
※5 進化の観点から、障害のある身体は生存や繁殖に有利な特性ではないので、これに対して性的魅力を感じるのは病理的な態度であるという説明が可能かもしれない。
しかし、同性に対する性的指向も繁殖に有利な特性ではないが、1970年代にすでに精神疾患のリストから除かれている。私たちは生存や繁殖と関係のない数多くの性的指向を持っていて、その中でも他人や他の生命体を不当に搾取したり害を及ぼしたりしない場合、これを精神疾患ではなく一種の性的指向と見なす広範囲な社会的合意に達した。
もちろん、奇異に見える性的指向も深く分析すれば、生存と繁殖に有利な特性から派生したものなのかもしれない。