1923年に完成した帝国ホテル二代目本館、通称「ライト館」。"世界一美しいホテル"、"東洋の宝石"として絶賛された名建築が完成するまでにはどんなドラマがあったのか――。
世界的建築家フランク・ロイド・ライトと日本の職人たちの熱い闘いを描いた『帝国ホテル建築物語』の執筆背景や、作品に込められた建築物への想いについて、著者の植松三十里さんに伺った。(取材・文=末國善己)
※本稿は「文蔵」2023年3月号より抜粋・編集したものです。
帝国ホテル建設は史実だけで面白い
――植松さんは"職人の技術"を題材にした歴史小説を数多く発表されていますが、なぜこうした、物づくりや建築の世界に興味を持たれたのですか。
【植松】実家が歯車屋で、周囲は町工場という環境で育ちました。幼い頃から物づくりが身近にあったので、興味深かったのだと思います。
――『帝国ホテル建築物語』は、アメリカの建築家フランク・ロイド・ライトと日本の男たちによる"ライト館"の建設を描いていますが、なぜ帝国ホテルを題材に選ばれたのでしょうか。
【植松】私が卒業した東京女子大学は、ライトの弟子のアントニン・レイモンドが設計しています。当時はレイモンドのことは知りませんでしたが、図書館にある縦長の窓から、きれいな庭を見るのが好きでした。あの縦長の形も、ライト建築の特徴の一つですよね。もしかしたら、その頃からの刷り込みがあったのかもしれません。
直接の切っ掛けは、夏目漱石の家族の小説を書くことになり、取材で漱石の家がある明治村に行った時です。明治村に移築、保存されているライト館の中央玄関を見て、その造形の美しさに驚きました。
その直後に『歴史街道』から短編小説の依頼をもらい、どうしても帝国ホテルの話を長編で書きたかったので、当時の担当者と交渉して連載が決まりました。
――ライトは元々日本美術が好きで、ニューヨークで古美術商をしていた林愛作と出会っています。この出会いから後に、愛作が帝国ホテルの支配人になり、ライトに設計を依頼するという展開は、不思議な巡りあわせですね。
【植松】調べてみたら林愛作も、世界に目を向け、日本文化を発信していった、面白い人物でした。帝国ホテルの建設は、フィクションを入れなくても史実だけで面白いんです。
ライトの助手を務めた遠藤新の父親が亡くなった時期も、子供が亡くなった事件も史実通りなのですが、帝国ホテル建設の流れの中に置くと劇的になりました。
芸術家だったフランク・ロイド・ライト
――作中でライトは設計図を何枚も書いて、館内の装飾にもこだわりますが、凝り性だったのでしょうか。
【植松】ライトは建築家というよりも、芸術家です。でも、以前アメリカのライト建築をめぐるツアーに行ったのですが、そちらには帝国ホテルのような装飾を施した建物はなかったんです。
だから、特に日本の職人への期待が大きかったのだと思います。たとえば、ライト館には、透間入りのテラコッタを使った照明「光の籠柱」の奥に、天井が低い一画があります。その柱は何枚ものパネルになっていて、しかも一枚一枚デザインが違うんです。
史料を読むと、ライトは「光の籠柱」を5回作り直させています。今回の物語では、ライトの設計を実現させた職人たちの高い技術力を書きたいという思いもありました。
――ライトは、日本の職人が高い技術力を持っていたことを知っていたのでしょうか。
【植松】理想の設計図を書いたら実現したので、どんどん要求が高くなっていったのではないでしょうか。もしできなかったら、もっと簡略的なデザインになっていたと思います。
――ライトが必要とする黄色いスクラッチ煉瓦を作れる職人が常滑の久田吉之助しかいないのですが、吉之助は天才ながら金の無駄遣いと噓ばかりで、納期も守らないというだらしない人物として描かれていて、帝国ホテルの関係者全員が手を焼くところも面白かったです。
【植松】帝国ホテルの建設には、何でこんな人がかかわったんだろうという人がいますが、その一人が吉之助です。大谷石を切り出す石工の棟梁だった大日本亀田組の亀田易平も面白い人物で、伊藤博文の用心棒をしていたのに、ハルピンでの暗殺を防げなかったので、そのことを悔いていたようです。
――京都に建てた洋館(現在の長楽館)に黄色いスクラッチ煉瓦を使った実業家の村井吉兵衛が、吉之助を帝国ホテルに紹介します。スクラッチ煉瓦を作った工房が現在の株式会社LIXILに繫がっているなど、帝国ホテルの建設は日本の産業の発展にも大きく寄与したことが分かりました。
【植松】そうなんです。大谷石も川の暗渠の内壁など見えない場所に使うのが一般的でしたが、ライトが帝国ホテルの装飾に使ったことで評価が変わりました。
――ライト館の完成後に関東大震災が発生しますが、建物は無事だったというエピソードも描かれていました。
【植松】それで安全神話ができてしまったので、後年、軟弱地盤で建物が沈んでいても、建て直しの話が進まなかったんです。
ライトが建てた帝国ホテルが現代に残っていたら素晴らしいですし、本作を書く前はなぜ建て直したんだと考えていましたが、史料を読んでいくと、ライト館の建つ地の地盤の危うさも分かり、建て直したのは仕方なかったと思いました。