2023年度の「本屋大賞」受賞作品、『汝、星のごとく』の著者である小説家・凪良ゆうさん。実は小説を書き始めたのは35歳の頃で、それまで漫画家を目指していたそう。
「自分の人生を自分で選んで生きていく、そういうメッセージを込めています。」授賞式でこう語った凪良さんは、自身の人生とどう向き合っているのでしょうか。その考えを教えてもらいました。
※本稿は『PHP』2022年9月増刊号より、内容を一部抜粋・編集したものです。
【凪良ゆう(なぎら・ゆう)】
滋賀県生まれ。2007年に小説家としてデビュー。『わたしの美しい庭』(ポプラ文庫)、『滅びの前のシャングリラ』(中央公論新社)など著書多数。2023年、最新作『汝、星のごとく』が本屋大賞を受賞。2020年の受賞に続く二度目の受賞は史上二人目。わずか3年での再受賞は史上最速となった。
自分にとっての「いいこと」を選んで生きてみませんか?
いつも身の回りを整理整頓している、花を飾っている、いつも笑っている、という人には「いいこと」がよく起こる――という話をたまに耳にする。運が良い悪いの話ではなく、そういうことを習慣にできる心の余裕のある人は、周囲への目配りも行き届いていることが多く、結果として大きな不幸を回避できる、というそれなりに説明のつくことなのだと思っている。
不幸を回避できる目配りと、「いいこと」がよく起きることは微妙にちがう。その前に、なにをもって「いいこと」とするのかも人それぞれちがう。
わたしの友人にいつも楽しそうな人がいる。お互いに忙しく、引っ越しなども重なって数年会っていないけれど、地元の本屋でわたしの本が宣伝されているのを見ると、すごいねと写真を撮って送ってくれる。自分のことでもないのに、自分のことのように喜んでくれる。
彼女は五島列島で農業を営むかたわら、いい波がきたといっては喜んでサーフィンを楽しみ、椿が咲いたといっては喜んでジャムを作る。ひとつひとつは特別なことでないけれど、彼女の周りには常にいいことがあふれているのだ。
一方で、サーフィンをしない人には波のコンディションはどうでもいいだろうし、ジャムはプロが作るおいしいものがいいと思う人もいる。性格や環境が深く関係しているので、どちらが良い悪いではなく、おのおの好きにやればいい。
遠回りしてもいい
そう考えると、まずは自分にとってのいいことがなんなのかを知るのが大事なのではないかと思った。そこがわからないと、なにを習慣にすればいいのかもわからない。
と簡単に言ってしまったけれど、これがなかなか難しい。誰でも若いときは失敗を繰り返すものだし、そのせいで遠回りもする。わたし自身、小説を書き出したのは35歳とけっして早くはなく、元々は漫画家を目指していたのが、漫画が描けなくなった代わりに小説を書いたという、いいかげんなスタートだった。
それが書きはじめるや夢中になり、どんな仕事も長続きしなかったこらえ性のないわたしが、今では一生この仕事で食べていくのだと決めている。
わたしは初稿に入ると同時に引きこもる。カフェなどで執筆する作家さんもいるけれど、わたしは初稿だけはひとりでないと書けない。集中するので、友人と会うのも月に二度くらいになる。朝から晩まで書いては消し、書いては消し、これでよしとしても一晩眠ったらやっぱり納得がいかず、また消す。なんにも進まず、陰々滅々と一日過ごすときもあり、とんと遊びもしない。
喜びを知り、大事に育てて守る
それじゃあブラック会社勤めのサラリーマンみたいだ、もう少しバランスよく暮らせと知人に言われるけれど、バランスよく暮らしていたときよりもずっと楽しいんだからしかたない。小説を書くことは苦しいけれど、それも含めて楽しいのだ。他人から見たらかわいそうに見えても、自分にとってはやり甲斐があって、いいことずくめな日々だと感じている。
この原稿を書きながら、今の自分の環境や、ここまで導いてくれたたくさんの人に、改めて感謝の気持ちが湧いてきた。そして正体のない世間というものや、他の誰かが押しつけてくる「いいこと」ではなく、わたし自身の「いいこと」を選べる強い心を持ちたいとも思った。
いいことが起こる小さな習慣はわたしにはないけれど、自分がなにに対して喜びを感じるのかを知り、それを大事に育てて守っていれば、一過性の運に依らず、自然と「いいこと」に囲まれてしまう、ということではないだろうか。
それらとはなんの関係もなく起きる、または起きない本当のラッキーについては、とくに意識せずにいるのがいい。「果報は寝て待て」ということわざもあり、運だけは人の手ではどうにもできない。