ウンコまみれのリュック
ところで、クマのウンコは、どうやって回収するのか。
まず、拾った場所の記録である。出どころ不詳の胡散臭いブツは論文の資料にならない。ちゃんと地図やGPSなどで場所を確認してメモして、由緒正しいウンコであることを証明しなければならない。
次に周辺の植生をメモし、あとで分析の手がかりにすべく、色や形や大きさがわかるよう写真を撮るといいだろう。
記録が済んだらいよいよ回収も本番である。ジッパーが付いた厚手のビニール袋を裏返して手にはめ、袋越しにウンコをつかんで袋を元に戻す。
このとき、邪魔者を取り除くことを忘れてはいけない。まず、ウンコにくっついている落ち葉などは取り除く。でないと、あとで分析を行ったときに、それはウンコの中に含まれていたものかそうでないのかがわからなくなってしまうからだ。
そしてもうひとつ重要なのが、糞虫を取り除くということだ。糞虫というのは、フンコロガシなどに代表される、動物のウンコをエサにする虫の総称である。
こいつが実に厄介で、あごの力が強いため、混ざっているとウンコを包むビニール袋をいつの間にか食い破って動き回るので、リュックはウンコまみれになってしまう。ウンコ色に染まったリュックの中を覗いたときの絶望感といったらない。
私は探検部で沢登りをしていた経験があったため、持ち物はすべてビニール袋に入れて濡れないように詰める習慣があり、最悪の事態は逃れたのだが、もしそうでなければ、目も当てられないことになっただろう。
大漁でリュックがパンパン
それでも、クマのウンコはほとんど無臭なのでまだ洗えば済むのだが、これがほかの野生動物の場合はなかなかニオイが取れない。例えばサルのウンコでやられた人を知っているが、ニオイが染みつき悲惨なことになっていた。リュックはもちろん、ウンコに触れたものも全部処分するしかない。
具体的にあのニオイを表現するのは難しいが、動物園のきついニオイを想像してもらえればいいだろうか。深刻な金銭的ダメージを受けるだけでなく、心にも深い傷を負うことになるだろう。
だから糞虫は丹念に取り除いておかなければいけないのだ。まあ私は昆虫好きなので糞虫は瓶の中によけて、持って帰ったのだが。糞虫だけでなく、クマがクルミを食べた場合も、硬い殻の破片がビニール袋に穴を空けてしまうので、袋を二重にして持ち帰る必要がある。
こうして入念に事故の原因を取り除いてウンコを運ぶのだが、なんせ直径が約10cmで重さは500gほどもあるため、ひとつひとつがずっしりと重い。
10個も拾えば、リュックがパンパンになって非常に重くなる。そのリュックを背負って山を歩くのは結構な苦行である。まったく拾えないのは辛いが、ホイホイ拾えてしまうのもそれはそれでしんどい。しかし、見つけるとつい嬉しくなってしまう。
「これを全部拾ったら大変なんだよな......」とか思いながら結局全部拾って持ち帰ってしまうのであった。
ウンコは自然解凍に限る
そうこうして集めたウンコは、研究室の冷凍庫に入れて分析まで保存しておく。研究室の冷凍庫に空きがない場合は、山梨の会社が持っていた現地ステーション(調査拠点)の冷凍庫にも入れさせてもらった。山梨のステーションには高速バスで通っていたため、ウンコを研究室に持ち帰るときには、高速バスの荷物置き場に入れて運んだ。
紙袋に入れて直接手で抱えて乗ったこともある。
「楽しかったね!」
「FUJIYAMAめちゃ怖かったよ~」
などと語らいながら、いつも富士急ハイランド帰りの若者がキャッキャしながら乗り込んでいた。まさにその隣の席で、若い男がクマのウンコを抱えているなど、想像すらしなかったに違いない。
こうして集まったウンコの分析は、日程を決めて行う。前日にはあらかじめ冷凍庫からウンコを20個ほど出してトレイに置く。それを床に並べて解凍する。ただし、熱で中身が変質するから電子レンジやガスを使うなどは厳禁だ。ドライヤーを当てるのもダメ。ウンコは自然解凍でなければいけない。
そして、手袋をはめてウンコをふるいの上に置き、水でドロドロした部分を洗い流す。すると、植物のタネや虫の脚など、消化しきれなかった硬いものが出てくる。それを見て、クマは何をどれくらい食べたのかを特定していくのだ。
ところが私にはふるいの上に残った残骸が何なのか見当もつかなかった。
当時、同じ研究室にクマをやっている人がいなかったので、先輩に聞くこともできない。仕方ないのでウンコを持って東京大学の博士課程でクマを専攻している人を訪ね、ドロドロを洗い流すところから見てもらって分析を進めた。