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「明日のことまで思い悩むな」シスターと神父が心に置く“聖書の言葉”

片柳弘史(イエズス会司祭),鈴木秀子(聖心会シスター)

2024年02月13日 公開 2024年12月16日 更新

世界各地で次々と起こる戦争、突如訪れる自然災害など、私たちは絶えずさまざまな不安にさらされています。この時代に、宗教は、どのような意味で人間を救うのでしょうか――聖心会のシスター鈴木とイエズス会の片柳神父が語りあいました。

 

戦争が宗教を利用する 謙虚な心こそ宗教の基本

【片柳】よく「宗教があるから戦争になる」「戦争を起こすような宗教など、無い方がいい」という声を耳にします。私は、その考えは違うと思っています。「宗教があるから争いになる」のではなく、「争いのために宗教が利用されている」と思うのです。

何かとても大きな存在、神様やキリスト、あるいは仏様の前で、自分の限界に気がついて謙虚な心になるということが、宗教の出発点です。

仮に神様に出会ったとしても、自分は神様のことを全部知っているといような顔で、他の考えは間違っていると決めつけることはできません。神様は、人間が知り尽くせるほど小さなものではないからです。

何らかの宗教体験を通して自分が知ったわずかなことをすべてだと思い込み、相手は間違っていると決めつける。それが宗教の危険性です。どんなすごい体験をしたとしても、神様について自分が知っていることなんて、本当、これっぽっちです。

どんな宗教でも本物の信仰を生きている人は、他の宗教の悪口を言ったりしません。お互いの良いところを認め合い、お互いから学んでいくというのが自然だと思います。

【鈴木】本当にその通りです。私はこれまで、お坊さんなど多くの他の宗教の指導者と対話をしてきました。「宗教が違うから」などと感じたこともないです。

むしろ非常に深いところで通じ合えて、素晴らしいと感じることが多いのです。「自分が正しくて相手が正しくない」という人間の弱さが表れたときに、宗教にかこつけて争いが起こるのでしょう。人間の弱さ、エゴの現れなのです。

【片柳】北鎌倉(神奈川県)円覚寺の横田南嶺老師と、シスターや私は、過去に何度も対談を行ったことがあるんですけど、老師から仏教を学ぶことによって、キリスト教についての理解が深まったように感じました。

おそらく横田老師も、キリスト教との対話の中で仏教の信仰を深めておられるのでしょう。相手をよく知ることで、自分自身のこともよくわかる。そういうことがあると思います。

 

不安にとりつかれたときどうしたらよいか

【鈴木】そもそも、人間の弱さ、エゴ、そして不安というものは、日常のそこかしこに散らばっており、誰もがとりつかれるものです。

例えばお母さんが不安にとりつかれていると、子供も不安になってしまいますよね。不安というものは、とりとめもなく先のことを心配して、自分で妄想を働かせて、自分の心をかき乱してしまうものです。かき乱されると、その波が周りに広がってしまいます。

過去のことを思いわずらうと、後悔で自分を責め続けてしまう。さらに「何かが起こるんじゃないか」と心配し始めると、心に不安が生じるんです。

そういうときは、「今、ここで」という言葉がポイントです。「今」に心を向けて集中すれば、不安が知らないうちにおさまっていきます。大きなことを考えないで、「今、ここで」、自分が行うことに心を込めてみる。

どうしてもそれが難しいときは、外に出て体を動かしたり、速足で歩いてみる。必要のない考えを放ち、今に集中するということが大事です。そうして毎日の平安と、人間関係を良くしていくことから、ひいては世界平和の一歩が始まると思います。

【片柳】そうですよね。新刊『あなたは あなたのままでいい とっておきの聖書のことば23』の中でも、シスターが今、おっしゃったようなことを書きました。

自分の力でどうにもならないことについて何とかしようと思うと、不安とか、焦りとか、そういうものが募っていくわけです。自分の力ではどうにもならないことは神様の手にゆだねて、自分にできること、目の前の小さなことを一生懸命にやっていく――それが一番良い対処法だと思います。

新刊の中で、「静かな心の祈り」と呼ばれ、世界中で親しまれている次の祈りを紹介しました。

変えられないことについては、
落ち着いて受け入れる冷静さを
変えられることについては、
変えていく勇気を、
そして、変えられないことと、
変えられることを
見分ける賢さを、
神さま、どうぞお与えください

私が大好きな祈りのひとつです。シスターの本にもよく出てきますね。

【鈴木】素敵な祈りですよね。例えば約束に遅れそうなときとか、何かが間に合わないときなど、人は無性に不安になりますよね。なんでもないことでも、ふと、自分が落ち着かなくなってしまうときもあります。

そんなときは、ゆっくりと深呼吸をしてください。そして、「人間だから当たり前に起こること」と自分に言い聞かせて、「神様が助けてくださるから大丈夫」と念じるのです。不安はいつだって、誰にだって起こるものだからこそ、備えて、知恵を働かせて、力を発揮して生きていかなきゃ。

【片柳】生活の中で、そういうことはいっぱいありますよね。私は神父になって15年になりますが、神父になるまで10年かかったんです。その間、「本当に神父になれるのか」と不安に苛まれることが何度もありました。「あなたは向いていない」と言われることもありました。

一度不安になると、「またこんなことが起こったらどうしよう」「あんなことが起こったらどうしよう」と、どんどん不安になって萎縮してしまう。すると周りから「本当に神父としてやっていけるのか」と言われ、ますます悪循環に陥ってしまいました。

重ねて言いますが、どうにもならないことについては、もう、神様にゆだねるのです。そして、今、自分ができることを一生懸命やっていれば、見ていてくれる人もいるし、助けてくれる人もいます。

人間は未来のことを考えるとき、よくないことばかり想像してしまいがちですが、実際には、いいことだっていっぱいあります。心配する必要はないのです。

 

こころに留めている言葉

【鈴木】いつも自分に言い聞かせているのは、「神様は、いつも私とともにいてくださる。私のすべての惨めさを知って、すべてを許し、私を愛し抜いてくださる」という言葉です。

とことん惨めな自分でさえ許されているということのありがたさ、感謝の気持ちが湧いてくると、落ち着くんです。人間にとって、愛と感謝が一番大切であるということを実感しています。

【片柳】私は、先ほどお話ししたことで、聖書に以下のように記されている言葉です。

「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」(マタイ6:34)

昔の人もやはり、先のことが心配で仕方がなかったんですね。その人たちに対してイエスが、「そんなに思い悩んでも仕方がないだろう」と話をされた。

明日、自分が生きている保証だってない。起こるかどうかわからないことを心配するよりは、今、与えられているこのときを、精いっぱいに生きなさいと。そうすることで、道が開かれていくという教えです。

【鈴木】それを聞いた多くの人が、ほっとしたのですよね。「本当だ」と思って。そして、聖書に書き残したわけです。

【片柳】「空の鳥をよく見なさい」「野の花を見なさい」ということも、聖書に書かれていますよね。

「空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか」(マタイによる福音書 6:26)

「野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。(中略)今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか」(マタイによる福音書 6:28―30)

【鈴木】ね。何もしていないのに、見事に咲き誇っているではないかと。

【片柳】大切なのは、自分の力で何でもやろうとせず、神さまの愛に信頼すること。そして、神さまの愛を心に宿した家族や友だちを信頼することではないでしょうか。

わたしは、どんな人の心にも宿っているやさしさや愛の中に「神さま」がいる。やさしさや愛こそが、「神さま」なんだと思っています。

困ったときには、周りの人たちの心の中にいる「神さま」がすっと手を差し伸べてくれたりする。そうやって守られて、何とかやっていけるのです。私は、いつもそんなことばかりですよ。

【鈴木】本当、お互いさまです。

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