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生き方

“小学校を退学”になった黒柳徹子さんに、母が見せた態度とは?

黒柳徹子(俳優)

2024年04月05日 公開 2024年12月16日 更新


写真:下村一喜

戦後最大のベストセラー『窓ぎわのトットちゃん』の著者であり、芸能界のレジェンド的な存在である黒柳徹子さん。これまでいろいろな人に会ってわかったのが、「世の中の『本物』と言われる人には、必ず根底に深い愛とか優しさがある」ということだそうです。

本稿では、幼少期の黒柳さんが小学校を退学になってしまった経緯、そして新しく通うことになった学校について語ります。

※本稿は、黒柳徹子著『本物には愛がある』(PHP文庫)から一部抜粋・編集したものです。

 

今なら「学習障害」と言われるような子どもだった

――どんなお子さんだったんですか?

『窓ぎわのトットちゃん』にも書きましたけど、小学校1年生で退学になるような子ですから、それはもうなんて言いますか、落ち着きがない。自分の興味があったら、そっちに走っていっちゃう。もう大人にとっては手に負えない子どもだと思いますよね。

だからよく学習障害って言われています。LD(Learning Disabilities)って言うんですけど、トットちゃんの本をお読みになった専門家や、学習障害のお子さんをお持ちのお母さん方の中では、黒柳徹子さんはLDだったってお思いのようなんですね。つまり、自分が好きだと、そっちへ行っちゃう。ぜんぜん反省しないっていうね。

――ご両親は、そんな徹子さんと、どんなふうに向き合われたんですか?

父はね、音楽一筋の人で、音楽しか頭にないというふうで。NHK交響楽団のコンサートマスターをしていました。父は母が大好きでしたから、母と音楽という感じですね。だから子どもは母が全部見ていたんです。

 

「よその学校にお連れください!」と言われて退学に

私は弟や妹と年が離れておりまして、母は、非常に自由に私を育ててくれたのみならず、人格を認めてくれていたっていうことが、あとになってわかったんですね。

たとえば、初めての学校を退学になった。その理由は『窓ぎわのトットちゃん』に書いたんですけど、授業中なのに、窓のところにいて、外を歩いている人に「おばさん、どこに行くの?」って聞いたりとかですね。でも私、先生の話はちゃんと聞いているんですよ。そこがね、子どものすごいところで。

それから私はなんといっても、チンドン屋さんがすごく好きだったんですね。時代物の格好をしてチンチン・チャンチャカって。

「来たわよー」って言うと、ワーッと窓のところにみんなが来て、私が「お願いします!」って言うとチンチン・チャンチャカやってくれて。

元来、学校のところは静かに通るんです。でも、私が頼むんで。小学校1年生の教室は1階で、窓を開ければ通りに面しているんです。すぐそこなんです。その間、先生はずっと待っていらしたわけですよね、みんながそこから離れるのを。

で、みんながワーッと席に戻っても、私はまだそこに立っているので、どうも先生は「黒柳さん、あなたどうしてそこにいるんですか?」っておっしゃったようなんですね。

そしたら私が、「はい、いまのチンドン屋さんが戻ってくるかもしれないし、また、違う人が来るかもしれないからです」なんて言って、先生としてはね、本当に嫌になっちゃって。そういうことを全部、母におっしゃったみたいなんですよ。

そういういろいろなことがあって、「よその学校にお連れください!」と言われちゃったので、退学になるっていうことに。

で、母がね、普通の学校に入れたのでは、この子は同じような目にあっちゃうと思ったらしくて、それで探してくれて、非常に面白い学校が自由が丘にあった。

 

校舎が電車! 「この学校に入りたい」

――お母さんが探されたんですか?

母のお友達の画家の子どもが、そこに行っていたんですね。自由が丘ですぐ近くだったので。そこは校舎が全部電車。先生が子どものことをよくわかってくださって、個性を伸ばそうとしている。

――電車の車両を校舎代わりにしているということですか?

そう。昔、省線って言ったんですが、山手線みたいな。あれの車輪のない電車が学校の校庭にバンバンと置いてあって。

私たち9人だったんですよ、クラスが。で、学校に行くとバーッと電車のドアを開けて、ランドセルなんか網棚にのせちゃって、つり革と椅子は取ってあったんですけどね。車掌さん、運転士さんがいるところに黒板があって、机は全部前向きに並んでいるからそっち向きに座って。

窓のところには網戸がついていたんですよ、だから日が差せば網戸を上げたりとかね。ガラス窓にしたり、ガラス窓を開けたり、とってもいい塩梅でしたね。その電車、どうもただでもらっていらしたらしいですよ、先生はね。

――子どもの自由が結構きく?

もちろんです。授業のやり方も全部。で、初めて行った日から、私、この学校に入りたいって思いました。見つけてくれた母に感謝しているんです。

「あなた退学になったのよ。次の学校にもし入れなかったら、どうなるかわからないわよ」って言われたら、私だって緊張したと思いますけど、母は何も言わず「違う学校、行ってみる?」って。

で、私が「チンドン屋さん来る?」って聞いたんですって。本当に反省がないと思ったけど、本人が知らないんだからしょうがない。まあ、行ってみましょうと、その学校へ行ったわけですね。

 

著者紹介

黒柳徹子(くろやなぎ・てつこ)

俳優

東京生まれ。東洋音楽学校(現・東京音楽大学)声楽科卒業後、NHK専属のテレビ女優第1号として活躍する。1976年にスタートした「徹子の部屋」(テレビ朝日系列)の放送は、同一司会者によるトーク番組の最多放送回数世界記録を更新中。1981年に刊行された『窓ぎわのトットちゃん』は、国内で800万部、世界で2500万部を超える空前のベストセラーとなっている。2023年には、その続編となる『続 窓ぎわのトットちゃん』が刊行された。1984年からユニセフ親善大使となり、延べ39カ国を訪問し、飢餓、戦争、病気などで苦しむ子どもたちを支える活動を続けている。

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