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生き方

「職業の貴賤」の感覚が染みついた人は、自分のために生きられない

和田秀樹(精神科医)

2024年06月20日 公開

世間体や周囲の目を気にして、「偽りの自己」として生きている人は多いものです。しかし、人生の後半に差し掛かり「本当の自己」の人生を生きたいと考えた時、私たちはどのように生き方を変える必要があるのでしょうか。書籍『本当の人生』(PHP研究所)で、精神科医の和田秀樹さんが、自身の経験を交えながら、「本当の自己」を実現するために必要なことを語ります。

※本稿は、和田秀樹著『本当の人生』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

自分を縛るものは自分の内にある

本当の人生の実現を阻害するものは、自分にあるのだということを知ってほしいのです。たとえば、見栄とか世間体とかいうものです。

娘の結婚式のときに、自分の職業は恥ずかしくないものにしたいとか、年甲斐もないと言われたくないとか、そういうものが、本当の自己実現を妨げるとしたらもったいない話です。

自分のこれまでの人生が「偽りの自己」の人生で、これからは「本当の自己」になって本当の人生を歩む際にしてほしい意識改革として、自分だけでなく、世間とか周囲の社会の人たちも偽りなのだということも理解してほしいのです。本当はうらやましいけど、まだ自分には会社も家族もあるという人はたくさんいるのです。

本当の人生は予想したより長いものではあるけど、一度しかないことには変わりありません。たった一度の人生だし、無限ではないのですから、あのとき、やっておけばよかったという後悔をしないためにも、世間体とか人目を気にしてほしくないのです。どうせ、その声は、「偽りの自己」のものだと開き直ってほしいのです。

『嫌われる勇気』で日本でもおなじみになったアドラーは、「人目の奴隷になるな」と言っていますが、社会生活を送っている間は、そうもいかないことも多いでしょう。しかし、本当の人生を送ることになった際は、法律は気にしても人目は気にする必要はないのです。

ほかに自分を縛るものとして、社会生活を送っていた時期、つまり「偽りの自己」でいた時期に自分に染みついた価値観や道徳観があります。欲望のままに生きると言われた際に、そんなのは人間として恥ずかしいと考える人もいるでしょう。

もともと、しつけとか道徳とかいうものは、「本当の自己」で生きる幼児や小児を、社会適応させるために、「偽りの自己」に育てる過程とも言えます。その際に、「そんなことをしてはいけません」より強力なものが、「そんなことをしては恥ずかしい」なのだと私は考えます。命令であれば、いやいや従うでしょうし、自分ががまんしていることがわかります。

でも、恥ずかしいことは、恥をかかなくていいように、自分で自分を縛るのです。本当の自分で生きたいと思っても、そんなことをしては恥ずかしい、自分にはできないとブレーキをかけることがあるでしょう。

恥ずかしいというのは、もちろん自己制御のために持つことのある感覚ですが、通常は、人目を気にしてのものでしょう。人に笑われるとか、バカにされるというのが恥ずかしい感覚ではないでしょうか?

何度も言いますが、このときの人目というのは、社会的に生きている人の目、「偽りの自己」を生きている人の目です。あなたが恥ずかしいと思うようなことを堂々とやった場合、もう「本当の自己」の世界にいる人たちから見ると、「楽しそうでいいね」という話になるのかもしれません。

しつけの中で価値観を植え付けられ、それが自分を縛ることもあります。私の母親は私に勉強しろと言ったことのない人でしたが、今思うともっとひどい形で、勉強に仕向けた気がします。

大阪に天王寺公園という大きな公園があるのですが、私が子どもの頃は、福祉がろくになかったこともあって、当時"ルンペン"(今日では不快語とされています)と言われるホームレスがいっぱいいました。今のホームレスはファストファッションなどを着ているので、そこまではみすぼらしくないことも多いのですが、当時は本当にぼろを着ていました。

今なら差別と言われるでしょうが、「あんたは人に好かれる人間やないから、勉強せえへんかったら、あんな風になるで」と言われたことを今でも覚えています。「あんな風」になりたくなくて勉強して、今の私があるのですが、その後、長い間、私は貧乏恐怖から働いていた気がします。

ところが、歳をとるというのは不思議なもので、今はホームレスの人を見ていると(そんなに甘いものではないのでしょうが)気楽でいいなとか、世間体から自由になれていいなとかうらやましく思えることがあります。

東大除籍(その時点から無頼ともいえるのですが)で直木賞作家の田中小実昌さんが、歳をとってからは、ふらふらと公園のコンクリートパイプで寝るような生活をしている話をカッコいいと思うようにもなりました。

今は、私もそれなりにまともな生活をしていますし、本が売れてからはかなりの贅沢をしています(ただし、貯金はほとんどありません)が、なんとなくそれが仮初めの姿のような気がします。少なくとも小さい頃から染みつけられた価値観が、多少は変わってきたようです。

 

「本当の自己」で生きるということ

この価値観の中で根深いのが、職業の貴賤です。

昔、石原慎太郎氏が都知事になった頃、都バスの運転手が定年間際になると年収が1000万円を超すような賃金体系になることを、コテンパンに叩いたことがあります。人の命を預かる職業で、事故もなく、40年以上も働いてきたのですから、1000万円を超すことが悪いとは私には思えないので、かなり腹を立てた記憶があります。

ちょっと勉強ができるだけで医者になると、大学を出たてでも「先生」「先生」と呼ばれ、30歳くらいで年収1000万円にもなるのに、こんなに長い間、まじめに働いてきた人がそのくらいの収入でボロクソに言われることに違和感を覚えたのです。

でも、その石原氏の発言は、公務員のお金の無駄遣いとして、喝采を浴びた気がします。やはり、一般には職業の貴賤の感覚が厳然としてあるのだなと痛感しました。こういう感覚が染みついてしまうと、本当の人生の足かせになることは確かです。

大企業の部長までやったのに介護の仕事なんかとか、運転が好きだからタクシードライバーをやってみたいけど、さすがにそこまで落とせないとか、そういう話は珍しくないでしょう。女性だって、掃除が好きだからお掃除おばちゃんでお金になるのならそれでいいかと思っていても、そうはいかないケースもままありそうです。

趣味にしても高尚な趣味ならいいけど、エロとか下品とかオタクとか言われる趣味には手を出せない人もいる気がします。

「本当の自己」で生きると決めたら、そういう価値観から解放されないと、なかなか偽りの世界から抜け出せないのではないでしょうか?

「かくあるべし思考」というものも自分を縛るものですし、メンタルヘルスにも悪い思考パターンだとされています。「男たるものかくあるべし」とか「年長者はかくあるべし」、「人様に迷惑をかけてはいけない」などという価値観はかなり蔓延しているようです。

新型コロナウイルスが流行ったときに、母親に「コロナにだけはなりたくないな」と言われたので、「マスコミが騒ぐほど怖い病気じゃないよ」と伝えたら「恥ずかしいやろ」という答えにびっくりしたことがあります。感染した人間は、いけないことをした人間で、恥だ、とこの世代の人間は思ったのでしょう。実際、マスコミもそのように報じていました。

同じように地方だと車がないと生活の足がなくなるので、死活問題なのに、歳なんだから免許を返納しないといけないと思って、実際に運転をしなくなる人も多いようです。実は統計学的な根拠はないのです。マスコミが騒ぐため、人に迷惑をかけてはいけないと思ってしまうのでしょう。あるいは、老害と言われるのを恐れる人もたくさんいます。

こういう「かくあるべし思考」から楽になって、生きたいように生きるというのも、本当の人生にとって大切なことなのです。しかし私も精神科医として痛感しているのですが、そんなに簡単なことではなく、社会生活から解放されても、自分の決めたルールに縛られる人は少なくないようです。

「本当の自己」の実現を邪魔するのは、お金の問題とか、年齢による老化ではなく、このように自分を内から縛るもののことが多いようです。相当の意識改革が必要だとわかってください。逆にそれができたということは、周囲からは白い目で見られたとしても、すばらしいことだと私は思います。

 

著者紹介

和田秀樹(わだ・ひでき)

精神科医

1960年、大阪市生まれ。東京大学医学部卒業。東京大学医学部附属病院精神神経科助手、米国カールメニンガー精神医学校国際フェローを経て、現在、立命館大学生命科学部特任教授、川崎幸病院精神科顧問、一橋大学経済学部非常勤講師、和田秀樹こころと体のクリニック(アンチエイジングとエグゼクティブカウンセリングに特化したクリニック)院長。著書に、『医学部にとにかく受かるための「要領」がわかる本』(PHP研究所)、『老いの品格』『頭がいい人、悪い人の健康法』(以上、PHP新書)、『50歳からの「脳のトリセツ」』(PHPビジネス新書)、『感情的にならない本』『[新版]「がまん」するから老化する』(以上、PHP文庫)、『70歳が老化の分かれ道』(詩想社新書)、『80歳の壁』(幻冬舎新書)、『自分は自分 人は人』(知的生きかた文庫)など多数。

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