日本初の母子漫才師「ワタルwithオカン」のお笑い講演家・ワタルちゃん。初舞台でネタのセリフを忘れてしまい、これまでの自信が折れてスランプに陥ってしまったといいます。しかし、相方のオカンが教えてくれた「ある理論」が、失意のワタルちゃんを救います。書籍『自分が「大好き!」になるオカンの教え』より当時のエピソードをご紹介します。
※本稿は、ワタルちゃん著『自分が「大好き!」になるオカンの教え』(秀和システム)を一部抜粋・編集したものです。
初舞台で頭が真っ白になった
初めてお客さんの前で漫才を披露することになった日、僕は自信満々で挑みました。持っていったネタは「花」という自信のあるネタでした。
内容は、友だちの誕生日に何を持っていったら喜ばれるかをオカンに相談すると、オカンが「花を持っていきなさい」と言い、さらに「オカンが花の種になるわ!」と宣言。そこから、花の種になったオカンを育てるという展開です。僕たちの独特な掛け合いが特徴のネタでした。
初めてお客さんの前に立つにもかかわらず、舞台袖での僕は不思議と緊張していませんでした。まだ若かった僕は「絶対ウケる」という、根拠のない圧倒的自信だけがあったのです。僕たちの出番が近づき、いよいよ舞台に出ていく瞬間も、自信が揺らぐことはなく、舞台に出ていきました。
舞台に上がり、センターマイクの前まで歩いている間、会場のお客さんから拍手を送られ、センターマイクの前に立ち、僕は元気よく第一声を発しました。
「はい、どうもワタルwithオカンです!」
そして「オカン、はよはよ」と言って、わざとオカンが遅れて登場してくるというツカミで、会場をツカんだ後、オカンが「はーい、オカンです」と元気よく言う。
次は、自分が話す番。その瞬間でした。
突然、すべてのセリフが頭から飛び、真っ白になったのです。何を言うべきか、何をやろうとしていたのか、まったく思い出せなくなりました。
お客さんの無表情で刺すよう視線が、まるで鋭い矢のように僕の心に突き刺さってきます。その場の空気がどんどん重くなり、焦れば焦るほど、頭の中はさらに真っ白に。
横にいたオカンの顔を見ても、何をすればいいのかまったくわかりませんでした。舞台袖で見ているライバルの芸人たちが、僕がネタを飛ばしたことで喜んで、笑い声が聞こえてくるように感じました。
結局、漫才は途中で止めて、僕は無言のまま舞台から降りました。
楽屋に戻ると、悔しさと自分への苛立ちでいっぱいになり、着ていたスーツのジャケットを投げ捨て、床に置いてあったペットボトルを蹴り飛ばしてしまいました。そんな僕を見ていたオカンが、強い口調で言ってきました。
「ワタル、モノに当たったらあかん!」
僕はそれに対して何も返しませんでしたが、オカンは続けてこう言いました。
「あんた、緊張してネタが飛んだかもしれへんけど、オカンは緊張せえへんねん。なんでかわかるか?」
僕は無言のまま聞いていると、オカンは真剣な表情で言いました。
「オカンは、すべてをオカンやと思ってんねん」
すべてをオカンやと思う? オカンの言っている意味がわかりませんでしたが、オカンはさらに言葉を続けます。
「会場のお客さんもオカン、センターマイクもオカン、舞台もオカン、もっと言ったら、あんたもオカンやで! すべてを自分やと思って生きてみなさい」
すべてを自分だと思って生きてみる?
そんな抽象的で突飛なことを言われても、そのときの僕にはそれを受け入れる余裕はありませんでした。失敗のショックと恥ずかしさ、何よりも自分への失望が大きすぎて、オカンの言葉をどう受け取ればいいのかまったくわからなかったのです。
ただ、頭の中で「ネタが飛んだ自分はもうダメだ」という自己否定の感情がどんどん大きくなっていくばかり...。初舞台で頭が真っ白になったことがキッカケとなり、自分の自信は完全になくなってしまい、ネタも作れなくなっていきました。
「ワタルちゃん理論」で最大の挫折を乗り越えた!
初舞台での失敗をきっかけに、僕の自信は完全に崩れてしまいました。あれほど「絶対ウケる」と思っていた自信は、舞台から降りた瞬間に跡形もなく消え去り、この失敗がきっかけで、僕の芸人人生は大きな壁にぶつかったのです。
それ以来、ネタ作りにも手がつかなくなり、どんなアイデアも「どうせウケない」と自分で否定してしまうようになっていきました。自信を失った僕は、ネタを作ることも、人前で笑いを取ることも怖くなってしまいました。
ある日、自分の才能の限界を感じていた僕は、悶々とした気持ちで昼ご飯を買いにスーパーに行きました。スーパーの駐輪場に着くと、ふとオカンが言っていた言葉を思い出しました。
「すべてを自分やと思って生きてみなさい」その言葉が唐突に脳裏に浮かび、一度「すべてを自分やと思って生きてみる」を試してみようと思いました。オカンの言う通り、目に見えるすべてのものを「自分」として見てみることにしたのです。
試してみると、思いのほかすぐに不思議な感覚が広がりました。スーパーの中に入ると、まるで世界が一変したかのように、目の前に広がる景色が変わって見えました。
「なんじゃこりゃ! 自分しかいないやん!」と心の中で叫びました。
目に映るものすべてが「自分」だと思うと、すべてが一つに感じられるようになりました。ずっと他人と比べてばかりいた自分にとって、この感覚は新鮮で、まるで大きな霧が晴れたようでした。
まずは果物コーナーに足を運びました。そこに並んでいるリンゴやバナナは、果物という姿をした「ワタルちゃん」でした。形は違えど、すべてが僕自身なのです。
次に野菜コーナーに行くと、野菜たちが並んでいます。キャベツやトマトもまた、ワタルちゃんたちです。まわりを見渡すと、お客さんという姿をしたワタルちゃんが、食材というワタルちゃんたちを選んでいます。僕はそのままお弁当コーナーへ行き、何を食べようかと考えました。そこにはいくつものお弁当が並んでいて、それぞれが「お弁当という姿をしたワタルちゃん」でした。
いちばん食べたいワタルちゃんを選び「カゴという姿をしたワタルちゃん」に入れます。レジに向かうと「レジの店員さんという姿をしたワタルちゃん」にお会計をしてもらい、僕は「お金という姿をしたワタルちゃん」を渡しました。
なんだかバカげているように聞こえるかもしれませんが、すべてを自分と感じると、不思議なほどに心が軽くなり、世界が柔らかく、やさしくなった気がしました。
その後、自転車に乗って帰りますが、もちろん自転車も「自転車という姿をしたワタルちゃん」。自転車を漕ぎながら「風という姿をしたワタルちゃん」を感じると、どこか不思議な気持ちで笑ってしまいました。
家に到着すると、家もまた「家という姿をしたワタルちゃん」です。さらに「お弁当という姿をしたワタルちゃん」を一口食べると、その味わいが心に染み渡り、思わず涙がこぼれてしまいました。
「この世界はワタルちゃんだらけやん...」すべてを自分と捉えた瞬間、何もかもが愛おしく感じられ、まるで世界全体が自分を包み込んでくれているような感覚が押し寄せてきたのです。
オカンが言っていた「すべてを自分やと思って生きてみなさい」という言葉が、少しだけ理解できた気がしました。すべてが自分であるならば、誰かと比べたり、誰かを否定したりする必要もなく、ただその存在を愛おしむだけでいい。そう感じた瞬間、世界が一つにつながったように思えました。
僕は、このことをすべてが自分なので「自分理論」、すべてがワタルちゃんなので「ワタルちゃん理論」と呼ぶことにしました。目に映るものすべてが自分だと思えば、比べる必要がなくなり、すべてを受け入れることができるようになるのです。