
日本初の母子漫才師「ワタルwithオカン」のオカンが、ワタルちゃんに教えてくれた「ワタルちゃん理論」。それは、身の回りにあるすべての物を自分だと考える生き方でした。ワタルちゃんに大きな影響を与えたというこの理論、実践するとどのように人生が変わるのでしょうか? 書籍『自分が「大好き!」になるオカンの教え』よりご紹介します。
※本稿は、ワタルちゃん著『自分が「大好き!」になるオカンの教え』(秀和システム)を一部抜粋・編集したものです。
身のまわりの空間を整えるだけで運気が上がる
かつて僕の部屋は、かなり散らかっていました。
片付けるのが面倒で、服や小物が床に散乱していたり、必要ない書類が山積みになっていたりと、無秩序な状態が続いていました。それでも、部屋が汚れていることに違和感もなく「誰も見に来るわけじゃないし、まぁいいか」と思って放置していたのです。
しかし、ワタルちゃん理論を実践するようになってから、部屋に対する感じ方が根本的に変わりました。部屋そのものが「ワタルちゃん」という存在に見えてきたのです。
散らかった部屋は、散らかった自分自身を映し出しているようなものです。そう思い始めると、急に部屋の汚れや乱れが気になり始めました。部屋が汚れていると、まるで自分の内面が乱れているように感じて、居心地が悪くなってきたのです。
「これはあかん!」と思い始め、すぐに掃除を始めました。掃除機を手に取ると、「掃除機という姿をしたワタルちゃん」だと感じます。掃除機が、僕のために部屋を綺麗にしてくれる存在だと考えると、感謝の気持ちが自然と湧いてきました。掃除機に「今日もよろしく、ワタルちゃん」と心の中で声をかけ、部屋の汚れを吸い取ってもらうことに感謝しました。
次に雑巾を使って拭き掃除をしましたが、雑巾もまた「雑巾という姿をしたワタルちゃん」です。汚れをしっかりと拭き取ってくれることに感謝しながら、丁寧に部屋中を磨いていきました。
ゴミを集めてゴミ袋に入れるときも、ゴミ袋が「ゴミ袋という姿をしたワタルちゃん」だと感じます。ゴミを適切に片付け、部屋を清潔に保つために役立ってくれるワタルちゃんたちに囲まれながら、僕は自分のまわりを整えていきました。
部屋が綺麗になっていくと、驚くほど気持ちがスッキリしました。まるで自分の心の中まで清められていくかのような感覚があったのです。
「こんなに心地よく過ごせるものだったのか」
部屋を整えることは、単に物理的な環境を整えるだけではなく、心の状態を整えることでもあるのだと気づきました。
また、部屋だけでなく、玄関の靴が乱れていることにも気づくようになりました。以前は気にも留めていなかった靴の乱れが、今では「ワタルちゃんが乱れている」と感じられるようになり、自然と靴を揃える習慣が身についてきました。そうした小さな行動一つ一つが、心を整えることにつながっているのだと感じます。
よく「部屋を綺麗にすると運気が上がる」と言われますが、ワタルちゃん理論を通じて、その意味を深く理解するようになりました。
自分の部屋という空間は、自分の心の状態を映し出している鏡のようなものです。部屋が散らかっているときは、心もどこか乱れていたり、集中力が欠けていたりするものです。
逆に、部屋を綺麗に整えると、心も穏やかで、落ち着いて物事に取り組めるようになります。僕のように、部屋が散らかっている状態を放置していると、それは自分の心の乱れが積み重なっている証拠でもあります。部屋が清潔で整っていると、気持ちも前向きになり、物事に取り組む意欲や集中力も自然と湧いてきます。
また、誰にも見られないからこそ、部屋の状態が自分の本当の心の姿を映しているのではないでしょうか。外からは見えない部分にこそ、自分自身が隠されているのです。
部屋が乱れていると、どこか自分の心も乱れやすくなりますが、逆に部屋が整っていると、自然と心も整い、物事がスムーズに進むように感じます。
これからも、部屋を大切にし、整えていくことを心がけていきます。あなたも「部屋という自分」を大切に扱うことで、自分自身を大切にし、心を整えることができますよ。
小さなものにも目が行くようになり、余裕が生まれる
オカンの大切な教え、それは「すべてを自分だと思って生きなさい」というものです。
この「すべて」という言葉には、単に「ヒト」だけでなく、僕たちが日常で触れ合うあらゆるものが含まれています。
僕も、ワタルちゃん理論を実践することで、世界のすべてが自分の一部だという視点が日常に広がり、まわりの物事や状況に対する捉え方が大きく変わっていきました。
たとえば、以前の僕は、道にゴミが落ちていても気に留めず、ただ通り過ぎていました。ゴミを拾うこともなく、環境に対して特別な意識を持つこともありませんでした。
ゴミはゴミだと思っていたし、それ以上でもそれ以下でもない、そんな無関心な姿勢で生きていたのです。しかし、オカンの「すべてを自分だと思って生きなさい」という言葉を心に刻んでいると「すべて」というのは「ヒト」だけではなく、まわりのあらゆる「モノ」も含まれているのだと気づくようになったのです。つまり、道に落ちているゴミさえも、自分自身の一部である「ワタルちゃん」なのだと感じるようになりました。
ある日、道を歩いていたとき、ふとゴミが目に入りました。その瞬間、「ゴミが落ちている」と思うのではなく「ゴミという姿をしたワタルちゃんが倒れている」と感じたのです。
まるで自分自身がその場に横たわっているかのように、ゴミが単なるゴミではなく「ワタルちゃん」という別の姿に見えてしまいました。
「ワタルちゃん、大丈夫?」と心の中で呼びかけて、すぐにそのゴミという姿をしたワタルちゃんを救い上げようとしました。
ゴミを拾うなんて面倒だと感じていた僕が、その瞬間にはまったく抵抗感なく、むしろ自然な行動としてゴミを拾い上げました。それはまるで、倒れている友だちを助け起こすかのような感覚で、自分自身の一部を救う行為のように感じられたのです。
「ワタルちゃんが道端に倒れているならば、当然、助けてあげなければならない」
そんな気持ちが自然と湧き上がり、僕はそのゴミという姿をしたワタルちゃんを手に取り、そのワタルちゃんをゴミ箱という姿をしたワタルちゃんのところへと送り届けました。ゴミをゴミ箱に捨てることが、単なる片付けではなく、ワタルちゃんを適切な場所に帰してあげる行為に感じられたのです。
この経験を通じて、僕は道に落ちているゴミに対しても、自分自身と同じように接することができるようになりました。
それは、ゴミだけに限った話ではなく、まわりにあるあらゆるもの、たとえば道端の花や木々、ベンチや電柱、すべてが僕自身の一部だと感じられるようになったのです。
今では、道を歩いている時にゴミを見かけると、すぐに「ワタルちゃん、大丈夫?」と心の中で呼びかけて、拾い上げてゴミ箱へと送り届けるようになりました。それが自然な行動になり、抵抗を感じることもなくなりました。
ゴミを拾うことは、もはや「誰かのためにやっていること」ではなく、「自分を大切にするためにやっていること」になったのです。こうして僕は「すべてを自分だと思って生きなさい」という言葉の深さを、日々の中で少しずつ実感するようになりました。ゴミを拾うという小さな行動が、自分を大切にする行動につながり、まわりのものすべてを愛おしく感じるようになったのです。
ワタルちゃん理論を通じて、僕は日常の中にある小さな行動一つ一つが、自分自身を大切にし、まわりを大切にすることにつながっていると気づきました。
これからも、道にゴミという姿をしたワタルちゃんが落ちていたら、迷わず「ワタルちゃん、大丈夫?」と心の中で呼びかけて、助け起こしてあげるつもりです。
すべてが自分であり、すべてを大切にする。それがオカンから教わった、そして僕が実践している生き方です。