芸人であり漫画家の矢部太郎さんが仕事をするうえで大切にしているのは、「不安定な状態を楽しむこと」。思い通りにいかない状況さえも前向きに受け止めるために、どのような心構えで過ごしているのでしょうか。
矢部さんの新刊『ご自愛さん』では、「こんなふうに考えると、自分を大切にすることにつながるかもしれません」と、気持ちがラクになるような考え方や言葉を漫画で紹介しています。本書は、雑誌『PHP』での連載をまとめたもので、矢部さんは「お手紙に"ご自愛ください"と添えるような気持ちで描いていました」と振り返ります。(取材・文:鈴木裕子、写真:大靍 円)
※本稿は、月刊『PHP』2025年8月号より内容を抜粋・編集したものです
お笑いの世界に足を踏み入れたきっかけ
僕が生まれ育ったのは、志村けんさんの出身地でもある東京都の東村山市。土曜の夜に放送されていたテレビ番組「8時だョ!全員集合」で人気だった志村さんは、地元でもあこがれの大スターでした。夏休みには毎週末、近くの西武園ゆうえんちで花火大会をやっていたので、花火の音に負けないくらいテレビのボリュームを上げて、夢中で番組を見ていたのを覚えています。
家族は絵本作家の父と介護士の母、姉の4人です。家で仕事をする機会が多かった父のとなりで絵を描いたり、子供の造形教室の準備で廃品工作を手伝ったりと、毎日が楽しかったですね。父は紙芝居を描いて、みんなの前で演じてみせることもありました。
僕が今、仕事で絵を描いたり、演じたりしているのは、幼少期の経験が生きている気がします。入った高校は演劇が盛んで、文化祭でクラス対抗の演劇コンクールが開かれるようなところでした。僕のクラスは海外ドラマを日本語で演じましたし、当時、人気を博していた三谷幸喜さん主宰の「東京サンシャインボーイズ」の芝居をするクラスもありました。
僕はクラスの中心にいなかったので舞台美術を少し手伝う程度でしたが、身近に表現する環境があったのは、その後の人生に少し影響しているかもしれません。
お笑いの世界に足を踏み入れたきっかけは、同級生に誘われたことです。彼は何人かに声をかけたもののすべて断られて、最終的に僕のところに来ていました。なんだか断れなくなってしまって、コンビを組むことになりました。
あるとき、相方が「天才・たけしの元気が出るテレビ‼」のお笑いの新人募集コーナーに応募して、一緒にビートたけしさんの前でネタを披露したんです。たけしさんに、「いいね、あんちゃんたち」と言ってもらえて、本当にうれしかったですね。
たけしさんとしては、「体の小さい高校生ふたりが、がんばっているな」くらいのことだったと思うのですが、僕は充分に勘違いできる年齢だったので、真に受けてしまったんです。ほかの番組でたけしさんにお会いしたときにその話をしたら覚えていらっしゃいませんでしたが(笑)、僕にとっては大きな成功体験でした。
さすがにプロにはなれないだろうと大学に進んだのですが、あるとき、吉本興業の劇場オーディショ ンを受けたら合格したんです。それから1カ月おきくらいに事務所の人にネタを見せるうちに、いつの間にか吉本のタレント名鑑に僕の名前が載っていて。お笑い芸人をめざす人の多くは、養成所を経てデビューするのですが、僕の場合はふわっと芸能界に入った感じです。
完璧をめざさず、不安定な状態を楽しむ
お笑い芸人になってからも、絵は描き続けていて、芸人仲間がネタで使う絵を描いたりもしていました。知人にすすめられて漫画も描くようになり、書籍に装画を提供するなど、お仕事をいただく機会も徐々に増えていきました。
お笑い芸人や俳優、漫画家とまざまな分野で仕事をさせてもらっていますが、大切にしているのは、不安定な状態を楽しむことです。100パーセント完璧な状態を作ってから仕事に臨むのではなく、80パーセントくらいで飛び込んでみる感覚でしょうか。
自分の思い通りにいかないことも多いので、その状態もおもしろがりたいだけかもしれませんが、心に余裕を持っておいたほうが、気持ち的に追いつめられないで済むような気がします。
たとえばテレビ番組に出演するとき、しゃべる内容を一言一句決めて台本にして本番を迎えても、絶対にその通りにはならないんです。だから、「どうせ失敗するんだから」と心に「余白」を持たせておいて、現場で偶然起きたことを取り入れたほうが、おもしろくなるんじゃないかと思っています。
それは俳優の仕事でも同じで、台本を覚えて現場に行っても、想像とは全然違うセットが用意されていることがありますし、そこで相手の演技に柔軟に合わせる必要もあります。
ひとりでの作業が多い漫画の仕事でも、完璧をめざさないスタンスは変わりません。たとえ線がふにゃふにゃになったとしても、それもいいかなと思いますし、編集者から原稿を催促されたら、「がんばって今日中に送ります!」と返信をしたあと、仮眠を取ったりしています(笑)。
はたから見るとがんばっていないように見えてしまうかもしれませんが、僕にとっては一回寝て頭をすっきりさせてからのほうが、いいものが描けるんです。
流れに身を任せたら、遠くまで行ける
漫画のアイデアに行きづまったときは、その場にいる人に相談します。たとえば楽屋で一緒になった人に尋ねてみたり、描いた作品を読んでもらったり。他人と話して気になったものから発想を広げることもありますし、一つのアイデアで立ちゆかなくなったときは、いくつかを組み合わせて構成しています。
他人を頼るのに抵抗がある人もいるかもしれませんが、僕は子供のころから体が弱く、いろんな人に助けてもらってきました。今でも、まだまだわからないことは多いし、ひとりでできることはそんなにないと思っています。
他力本願かもしれないですが、他人の力を借りて流れに身を任せてみるほうが、自分が想像していない遠いところまでたどり着ける気がします。
今、連載をしている「僕の楽がき帖」は、当初は編集部の方から「読者のお悩み相談はいかがでしょうか」とご提案いただいたのですが、僕にはそれはできないなと思ってしまって......。打ち合わせをしながら考えるうちに、自分が悩んだり疑問に思ったりしたことの答えを見つけていく方向性だったらできるかもしれないと、スタートしたんです。
開始から4年が経ち、連載を一冊の本にまとめるにあたって、あらためてこれまで描いてきたものを読み返してみました。すると、自分と向き合って考える時間は、自分を大切にすることにもなるなと考え、『ご自愛さん』というタイトルをつけました。僕がやっているセルフケアを紹介しているわけではなく、「こんなふうに考えると、ご自愛につながるかもしれません」と、気持ちがラクになるような考え方を差し出せたらと思っています。
それから、『PHP』の連載であることも、タイトルに大きく影響していると感じています。読者の方からこれほどお葉書が届く雑誌は、今はもう少ないのではないでしょうか。手書きで丁寧に書かれた感想を読んでいると心が温まりましたし、編集部の方もお手紙をつけて雑誌を送ってくださるんですよね。
相手を想って言葉をかけるような方がたくさん読んでくれているのだなと、連載をしながら感じていて、その優しさに支えられて一冊の本にすることができたと思っています。お手紙の最後に「ご自愛ください」と添えるような気持ちで描いていたので、その想いが読者の方にも届いてほしいですし、悩みと向き合う自分にもそう言い聞かせていました。
ちなみに最近の僕のご自愛は、お医者さんにすすめられたお灸です。寝る前に手足の6カ所のツボを温めると、眠りが深くなったり、冷えが改善したりするそうです。
まだ効果は実感できていないのですが、すごくいいなと思っているのは、お灸をしている時間は動けなくなること。6カ所を同時に温めているので、落ちないように気をつけていると、本を読んだりスマホをいじったりするのも難しいんです。わずか数分ですが、お灸に集中している時間は「無」になれていい ですよ。
単行本ではそのエピソードも描きおろしています。これからも雑誌の連載は続いていくので、ぜひ楽しんでいただけたらうれしいです。