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なぜ科学者は月面着陸を実現できた? 不可能に挑み続けられる人の思考法

ソール・パールマッター,ジョン・キャンベル,ロバート・マクーン(著),花塚恵(訳)

2025年09月04日 公開

この情報に圧倒される時代を、個人として、社会としてうまく切り抜けていくにはどうすればいいのか? 
混乱を回避し、思考の罠に陥ることを防ぎ、愚かな行為や考えをふるいにかけるには? 

本稿の著者3人は、そのためには今その信頼が揺らいでいる"科学的思考"、"科学的アプローチ"が何よりも重要であるという。そして、とりわけ有効だと思える概念やアプローチの総称として「Third Millennium Thinking(3千年紀思考/3M思考)」と名付けた。

本稿では、その"3M思考"に欠かせない、科学的楽観主義について書籍『THIRD MILLENNIUM THINKING アメリカ最高峰大学の人気講義』より解説する。

※本稿は、ソール・パールマッター、ジョン・キャンベル、ロバート・マクーン(著) 花塚恵(訳)『THIRD MILLENNIUM THINKING アメリカ最高峰大学の人気講義』(日経BP)を一部抜粋・編集したものです。

 

人は、本質的に怠惰である

知力を問われる難問や課題に、どのくらい長く挑み続けたことがあるだろうか?

10分? 2時間? 1日? 1か月? 1年? 10年? 実際に尋ねてみると、数時間以上挑み続けた難問や課題を思い浮かべられた人はほとんどおらず、長くてもせいぜい数日というところだった。

だが、数日以内に解決できる難問が、世界にどれだけあるというのか? 世界はそんなに簡単ではない! はっきり言って、価値のある問題かどうかを正当に評価するだけでも、1か月はかかる。

解決できるまでひとつの問題に取り組み続けることには、さまざまな困難がつきまとう。

あなたが1960年代のNASAの責任者だとしたら、人類の月面着陸の実現にどのくらい取り組み続けるだろうか? 書斎用にとイケアで買ったキャビネット(説明書のイラストを誤解する余地は"それほど"多くない)の組み立てに、パートナーとふたりでどのくらい取り組み続けるだろうか?

私たち人間は、本質的に怠惰である。それは私たち自身のせいというより、エネルギーを保存する目的でそのように進化したのだろう。しかも奇妙なことに、懸命に知恵を絞るとエネルギーをたくさん消費したように"感じる"(※注1)ので、迂回路があれば急斜面を登ることを避けるかのように、なるべく頭を使うことを避けようとする。

しかし一般に、懸命に知恵を絞らなければ重要な問題は解決できない。

都合の悪いことに、人は怠惰であるということに加えて、人が持つ長所のひとつとされている「新しいものに対する素晴らしい好奇心」までもが事態の悪化を招く。ある問題について考えていても、1日かそこらたつと新鮮味が失われ、別のことに関心を向けたくなるのだ。

おまけに、人は自分の好奇心を通じて「新たな知見」を得たいという気持ちが強く、その欲求が問題に集中するための優れたインセンティブとなる反面、すぐに進展が見られなかったり、最小限の労力で何の成果も得られなかったりすれば、不幸にも好奇心に怠惰が結びついて不満を募らせる(※注2)。

 

「為せば成る」の精神

では、ひとつの問題に取り組み続けられないことについて、何か対処法はあるのか? いまこそ、これまでほとんど語られてこなかった科学の隠されたツールの出番だ。

そのツールとは、科学の世界で培われてきた単純な思考のトリックで、「科学的楽観主義」と呼ばれる。これはどこにでもある楽観主義とは違う。科学的楽観主義は、基本的に「為せば成る」の精神を意味し、「抱えている問題は、自分や自分が属するチームの手で解決できる」と期待することを意味する。厄介な問題に直面しても、解決策は自分の手のなかにあるという姿勢で取り組むほうが、解決する可能性は高まる。

そもそもこの思考トリックは、実際に問題を解決できるまでのあいだ、その問題を解決できると自分を騙して信じ込ませる方法として考案された。

過去に目を向けると、「とうていできないと思われていたことが、どこかの誰かが解決方法を見つけたという噂が広まったとたんに多くの人が解決できた」という例はたくさんある。噂を耳にしたら、「えっ、やり方がわかる人がいるのなら、できるということだ」と言って、ひたすら解決を試みるのだろう。

「その人たちは、こうやったんじゃないかな。いや、これじゃだめだ。じゃあ、こっちのやり方かな」という具合に。解決できるとわかったとたん、あきらめないモチベーションが生まれたのだ。

そして最終的には、最初に思いついた方法とはまったく違う解決方法にたどり着いたのだろう。

解決できないという思い込みは、かつて陸上競技で言われていた「1マイル4分の壁」のような、誰からも絶対に破れないと思われている記録に似ている。人間の限界だと思われていた記録も、ひとりの人間が更新できると示したとたん、ほぼ必ず記録が塗り替えられていったという話は誰もが耳にしたことがあるだろう。

これを認知的な問題解決の場面に当てはめるには、廃棄された数台のイケアのキャビネットから集めたパーツで1台のキャビネットを組み立てようとすることと、実際に購入して組み立てに成功した友人が何人もいるとわかっている、新品のイケアの組み立て式キャビネットを組み立てることの違いを想像してみればいい。前者と後者では当然、後者のほうにより長く取り組み続けるだろう。

だが、科学的楽観主義はそう単純なものではなく、手元にある組み立てキットが実際に完成するかどうか"わからなくても" 、自分は組み立てに成功すると一時的に信じ込む。そうやって、難問に取り組む時間を引き延ばすのだ。

科学者が科学的楽観主義を必要とするのは新たな発見に挑むからだが、解決する保証のない問題に取り組まねばならないことは誰にでもあるのだから、科学者でない人にも科学的楽観主義は必要だ(科学的楽観主義の正反対と呼べる現象が「学習性無力感」だ。どうやら人間をはじめとするさまざまな動物は、自分の力が及ばないという状況を繰り返し体験すると、そういう不快でつらい状況を変えることをあきらめてしまうらしい。実際に改善することができる状況でも、改善を試みることすらしなくなってしまうのだ)。

解決できると思うことで実際に解決できた例のなかでひときわ目を引くものといえば、フェルマーの最終定理があげられる。1637年、数学者のピエール・ド・フェルマーは、書籍の余白に次のような文言を書き残した。

「3乗数を2つの3乗数の和に分けることはできないし、4乗数を2つの4乗数の和に分けることもできない。一般に、3以上の乗数を2つの同じ乗数の和に分けることはできない。私はこのことに関する実に見事な証明を見つけたが、この狭い余白にはとても書ききれない」

それから358年のあいだ、数学者たちはこの問題に取り組み続けた。それができたのは、フェルマーの主張を信じてその問題には答えがあると思っていたからだ。

そして1995年、その問題は解決に至った。フェルマーが見つけた証明の仕方とまったく同じではないだろうが、解決できると示す自信に満ちた言葉を彼が残したおかげで、人々は実に358年にもわたってその問題に取り組んだのだ!

 

科学的楽観主義の重要性

筆者のひとりのソールが科学的楽観主義の重要性を意識するようになったのは、彼が大学院生のときだった。どの研究チームに入るか悩んでいたところ、驚くほど「為せば成る」の精神に満ちたチームがあると知った。それはリチャード・ムラー教授が率いるチームで、教授がその精神をチームに植えつけたのだった。

ムラー教授のチームでは、わくわくするテーマはすべて研究対象となった。そのチームにいると、「新しいツールが必要なら、自分でつくればいい」という気持ちになれた。だから、必要なものがあれば実際につくった。未知の領域や分野について学ぶ必要が出てくれば、複雑な電子工学でも、DNAの操作技術でも学んだ。

そうした「為せば成る」の精神により、チームは幅広い問題や課題に熱心に取り組んだ。木星の重力による光の屈折を測定する技術について研究していたときには、机に置ける小型のサイクロトロンを開発し、海上の大気中の炭素量を測定して地球の炭素循環について調べたほか、比較的「近く」にある超新星を見つけるために、初となる自動化された望遠鏡システムを構築した。

この「関心を向けている問題に現れた困難を喜んで引き受ける」という科学の伝統は、どんな職種の人にも科学が提供できる最大の強みではないだろうか(※注3)。

ソールの大学院生としての研究は、その自動望遠鏡システムを使って超新星を探すプロジェクトから始まった。そのプロジェクトはのちに、より困難な研究へと進んだ。というのは、その自動で探す技術を使えば、はるかに遠い位置にある超新星を見つけることができるとわかったのだ。遠くの超新星を発見できれば、宇宙の膨張の歴史を明らかにして、その最終的な結末を予測できるかもしれない。

このプロジェクトは非常にやりがいのあるものになるはずだった。ソールのチームは、宇宙の膨張率の変化を測定するには遠くにある何十もの超新星を見つける必要があり、それには3年かかると推定した。だが、3年たっても遠くの超新星はひとつも見つからなかった(可能であれば、空の澄み渡り具合に成功が左右される分野に進むことは避けたほうがいい!)。

5年後、最初の超新星が見つかった。その後チームはようやくプロジェクトの進め方を本当の意味で理解し、7年後には発見した超新星の数は6つほどになった。9年がたち、彼らの手元にデータセットは集まった。しかし、それをどう分析すれば彼らが求める結果が得られるのかはわからなかった。そして10年後、彼らはついに答えを手に入れた。なんと、宇宙の膨張は加速していると判明したのだ。

興味深いことに、10年に及ぶ超新星プロジェクトを続けるあいだじゅう、彼らはこのプロジェクトをやり遂げると強く確信していた。それを可能にしたのが科学的楽観主義なのだが、いったいどのように作用したのか。

ソールのチームは、プロジェクトが一歩進むたびにどのような成功を成し遂げたのかを確認し、目標に向かって進み続けるために次にする必要があることを確認した。そうした確認を繰り返しながら前に進むことが、この「為せば成る」の精神の話の肝となる。科学者は決して、一挙に目標を達成できると思っているわけではない(※注4)。

難しい問題、たとえば、月単位、年単位、十年単位の時間が必要になるような問題を進展させるためには、確認を繰り返しながら前に進むことが求められる。要は、ひとつ試みるごとに洗練されていき、試みを通じて学んだことを積み重ねていくということだ。

科学的楽観主義の有益な部分をいくつか明らかにしたが、確認を繰り返しながら前に進むというこの概念の大切さは、計画を立てるすべての人に共感してもらいたい。

一例をあげるなら、福祉の大胆な改革案や教育の改善案、犯罪を抑止するための法案を起草する専門家や政治家は、「何が効果があり、何が効果がないかを学習しながら、数年ごとに繰り返し改良を加える必要がある」という前提を草案に組み込むことができる(というより、組み込むべきだ)。

政策を更新するこのような仕組みは目新しくはないが、少なくともアメリカでは、そういう仕組みを取り入れている形跡は見られない。それが取り入れられれば、社会が目指していることの進展具合をもっと実感できるようになるだろう。

 

注1:人が懸命に知恵を絞るときに使用されるエネルギーを測定しても、脳がつねに使用しているエネルギーより少し多い程度のものらしい。とはいえ、脳が大量にエネルギーを消費するのは事実で、リラックスしているときでも使用されるエネルギーの5分の1を占めるので、少し増加しただけでも知覚できるのかもしれない。また、知恵を絞るとき(学校でテストを受けるときなど)はストレスを感じていることが多いので、ストレスの対応に費やされるエネルギーを知覚しているとも考えられる。

注2:著者のひとりソールのように高校で物理を選択し、そのまま大学でも物理を専攻したみなさんは、この例を実感したことがあるのではないか。高校の物理の問題は数分で解けるものばかりなのに、大学に入ったとたん、何時間もかけて頭のなかで試行錯誤しないと解けない問題に遭遇する。最終的には必ず解ける問題だと知らなければ、早々にあきらめて自分にも解けると気づかずじまいに終わるということは往々にしてある。

注3:こうした科学の伝統は、世代から世代へと受け継がれていく。ソールは彼の研究指導者だったリチャード・ムラーからその伝統を学び、ムラーもまた彼の研究指導者でノーベル物理学賞を授与されたルイス・アルヴァレズから学んだ。では、ルイス・アルヴァレズに「為せば成る」のアプローチを教えたのは誰か。おそらくは、彼の研究指導者だったアーサー・コンプトン(彼もノーベル賞受賞者だ)だろう。とはいえもちろん、この伝統が科学を生業にする人に限らず、もっと多くの人々に広まることを切に願う!

注4:これについては資金の提供元の理解が欠かせない。科学研究費を提供する公的機関のみなさん、どうかご理解を!

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