名探偵ホームズの推理は、飛躍しているように見えて、実は小さな手がかりから論理的に結論を導いています。『四つの署名』では1個の時計から持ち主の素性を当ててみせました。ホームズの論理的思考力のポイントはなんでしょうか。イギリスのノンフィクション作家ダニエル・スミス氏が執筆した『あらゆる問題を解決できる シャーロック・ホームズの思考法』より、推理スキルを磨くヒントと、6つのクイズをご紹介します。
※本稿は『あらゆる問題を解決できる シャーロック・ホームズの思考法』(かんき出版)より一部を抜粋編集したものです。
名探偵はどんなものからでも情報を読み取る
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「理由を聞くと、いつもばかばかしいほど単純すぎて、自分でも訳ないと思ってしまう。だけど推理の過程においては、きみの説明を聞くまでは狐につままれたようだ」
(『ボヘミアの醜聞』より)
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推理のスキルを磨くには、シャーロック・ホームズ・シリーズを全巻読破するに越したことはない。そこかしこに登場する、目を見張るような論理的推理を頭にたたきこみ、みごとなテクニックをできるかぎり真似するように心がける。
名探偵の推理を目の当たりにすればワクワクするだろう。ほかならぬワトソンが『まだらの紐』で次のように述べている。
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ホームズの熟練した捜査に立ち会い、迅速な推理に驚かされることほど喜びを感じるものはない。その推理は当て推量かと思うほどすばやいが、つねに論理的根拠に基づいており、その結果、持ちこまれた問題をことごとく解決するのだ。
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例が多すぎてここでは紹介しきれないが、ホームズにとっては、どんなものでも証拠として役立つと言っても過言ではない。なにしろ、容疑者が犯行現場に落とした煙草の灰から人物像を特定し、残された足跡の歩幅から身長を計算し、さらには(『緑柱石の宝冠』で)「目の前の雪に書かれた......長く複雑な物語」を紐解いてみせた男だ。
「1個の時計」から持ち主の人生を推理する
じつは、ホームズの秘密を解き明かすのにうってつけのエピソードがいくつかある。
なかでも注目すべきは、『四つの署名』の一場面だ。
ワトソンがホームズに懐中時計を渡し、「昔の持ち主の性格や癖についての意見」を聞きたいと無理難題を吹っかける。するとホームズは開口一番、この時計は最近クリーニングされたばかりで有力な証拠が失われていると文句を言う。
だが、これは単なる前口上だとわかるだろう。
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「間違っているかもしれないが、この時計はきみのお兄さんのものだったのではないか。そしてお兄さんはお父さんから受け継いだ」とホームズは切り出す。
「裏側のH・Wの文字からそう判断したんだろう」ワトソンも負けてはいない。
「いかにも。Wはきみの姓と同じだ。時計は50年ほど昔のもので、イニシャルも同じところに彫られている。つまり、ひとつ前の世代のために作られた。通常、装飾品は長男が相続する。それに長男は、父親と姓が同じである可能性がきわめて高い。僕の記憶違いでなければ、きみのお父さんはずいぶん昔に亡くなっている。したがって、お兄さんが所有していた」
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ここまでは、このうえなく論理的だ。ところが突如、ホームズの推理は飛躍して、ぱっと見たところ筋が通っているとは思えない。
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お兄さんは日ごろからだらしなかった――だらしないうえに不注意だった。将来有望だったにもかかわらず、ことごとくチャンスを棒に振って、しばらく貧しい生活を送った。たまに金回りがいい時期もあったが、しまいには酒浸りになって死んだ。僕にわかるのは、そんなところだ。
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最初、ワトソンはひどく驚き、自身の恥ずかしい過去がこうも簡単に明かされたことに動揺を隠せなかった。そして、ホームズが事前に身辺調査をしたか、でなければ完全な当て推量だとして、「恥知らず」と非難する。
ホームズはすぐに反論した。
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きみが納得できないのは、僕の思考回路についていけなかったり、大きな推理の根拠となる小さな事実を見落としていたりするからだ。たとえば、僕は最初にきみのお兄さんは不注意だと言った。その時計の外側の下のほうをよく見ると、2箇所がへこんでいて、しかも全体に傷やこすったような跡があるだろう。日ごろからコインや鍵といった硬いものといっしょにポケットに突っこんでいたからだ。50ギニーの時計をそれほどぞんざいに扱う男は不注意にちがいないと考えるのは、離れ業でもなんでもない。同じように、それほど高価な品を相続する男は、他の点でも暮らし向きがよいというのも、突飛な推理ではない。
イギリスの質屋では、時計を預かると、蓋の内側に針の先で質物番号を書くのが習わしだ。札を貼るよりも便利だからな。はがれて番号がわからなくなったり、取り違えたりする恐れもない。このレンズで見ると、その蓋の内側には、そうした番号が少なくとも4つ刻まれている。推理その1――きみのお兄さんはしばしば金に困っていた。推理その2――彼は急に懐が潤うこともあった、もしくは質請けができなかった。最後に、裏側を見てほしい。そこに鍵穴があるだろう。その周囲に無数の傷がある――鍵がすべった跡だ。しらふの男がそれだけの傷をつけるだろうか? 逆に、飲んだくれの持っている時計には、必ずと言っていいほど傷がある。夜にぜんまいを巻くから、手元が狂って傷をつけるんだ。
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推理スキルを磨くためのヒント
推理について、もちろんホームズのシリーズには書かれていないこともある。それは知らなくてもいいだろう。それでも、念のため役に立ちそうなヒントをいくつか紹介する。
〇私たちは毎日、何らかの推理をしている。
スイッチを押しても電気がつかなければ、電球を取り替えないといけない。あるいは電気配線に問題があると考えるだろう。ラッシュアワーに駅へ行き、ホームに誰もいないと、電車は行ったばかりだ、もしくは運休していると考えるかもしれない。
論理的推理に必要不可欠なのは、想像力を伸ばすことだ。全体のプロセスをいくつかの段階に区切って考えよう。
〇仮説を検証するためには、証拠は多いに越したことはない。
〇細部こそが重要だ。ほんのささいなことから、このうえなく大きな真実が明らかになるケースはめずらしくない。
〇直感を信じるのも大事だが、ほどほどにしたほうがよい。
「難しいのは、理解することよりも、なぜ理解したかを説明することだ」と、ある場面でホームズは言っている。「2+2が4であることを証明するよう言われたら、やや苦労するかもしれないが、それが事実であることに疑いの余地はない」
ただし、直感を徹底的に分析して、自分が事実だと信じていることが、根拠のない確信ではないと確かめるのは悪いことではない。
〇推理には、個人的な感情や先入観を交えないようにする。
〇理論を事実に当てはめる。事実を理論に当てはめてはいけない。多くの場合、証拠を目にすると、自身の既成概念に合わせて書き換えてしまう。
〇「連言錯誤」に注意する。これは、同時または個別に起こりうる2つ以上の出来事は、個別よりも同時に起こりやすいと勘違いすることだ。
錯誤は起きるもの。仮説が奇妙でもあわててはいけない
よく引き合いに出される「連言錯誤」の例が、心理学者のエイモス・トベルスキーとダニエル・カーネマンが考案した、いわゆる「リンダ問題」。2人は被験者のグループに次のような説明をした。
「リンダは31歳、独身、率直な性格で、とても聡明。大学では哲学を専攻し、差別や社会主義などの問題に深く関心を持って、反核デモにも参加していた」
続いて、次の1と2のうち、どちらの可能性が高いと思うかを尋ねた。
1 リンダは銀行の窓口係である
2 リンダは銀行の窓口係で、フェミニスト運動に参加している
被験者の85%が2を選んだが、確率の法則によれば答えは1である。
たどり着いた結論がどうもおかしい、場合によっては怪しいと思っても、かならずしも間違っているとはかぎらない。『花婿失踪事件』でホームズが指摘しているように、「人生は人が考え出すどんなものよりもはるかに奇妙だ」
裏づけとなる証拠があるかぎり、たとえ仮説が奇妙でも、あわててはいけない。
この世に完璧な推理など存在しない。見つけたことを誰かに伝える前に、かならず確認しよう。ジョゼフ・ベルも「注意深い観察と推論によって、どのような症状に対しても正しい診断を下すことができる」と書いている。
次に犯罪現場検証の練習問題を6つあげる。論理的思考を駆使して、謎に包まれた死亡現場で何が起きたのかを推理してみよう。
ベイカー街・犯罪現場検証
Q1.マリー教授が書斎で首を吊っていた。そばに家具は置かれておらず、足元に水たまりがある。どういうことか?
Q2.サハラ砂漠の真ん中でケニー・アドレナリンが遺体で発見された。砂の上にうつ伏せで、大きなバックパックを背負っている。とくに不審な点は見当たらない
Q3.1カ月後、ケニーの兄弟のベニーが同じ場所で死亡しているのが見つかった。やはり砂の上にうつ伏せに倒れていたが、裸で、手には短い棒を持っていた
Q4.激しい炎が目撃された森の真ん中で、潜水士のデイブ・ウェイブの遺体が発見された。デイブは潜水服を着ていたが、遺体は焼けておらず、海からは50キロも離れている
Q5.朝、男の子が目を覚ますと、庭の芝生に石炭とニンジンとマフラーがあった。誰もそこに置いた覚えはない。父親が「どうしたんだ?」と尋ねると、男の子は目に涙を浮かべて「ボビーだよ」と答えた。何があったのか?
Q6.車の助手席に男がぐったりと座り、後頭部に銃創があった。凶器は後部座席の収納ボックスに突っこまれ、死んだ男の手は届かない。車内には男は1人で、ドアはすべてロックされ、窓も閉まっている。どういうことか?
解答は次の通りだ。
A1.氷のかたまりの上に乗って自殺した
A2.飛行機から飛び降りたが、パラシュートが開かなかった
A3.ケニーの死亡現場を調べるために、ベニーは仲間たちと気球に乗ってやってきたが、トラブルが発生し、気球の高度が下がりはじめた。下降を止めようと、よけいなものを投げ捨てて、服まで脱いだが、無駄なあがきだった。最後の手段として、積載量を減らすために生贄となって飛び降りる者を決めるべく、全員がくじを引くことになり、ベニーがハズレくじを引いたというわけだ
A4.空中消火機が森林火災の消火用に海水をくみ上げる際に、デイブが海中から水タンクに吸い上げられてしまった
A5.ボビーというのは、男の子が前の日に作った雪だるまの名前だったが、ひと晩で溶けてしまった
A6.車はコンバーチブルで、屋根が開いていた。犯人は歩道から男を撃ち、凶器を後部座席に投げこんでから逃げた
【ダニエル・スミス(だにえる・すみす)】
ノンフィクションの作家、編集者、リサーチャーとして活躍。おもな著書に『Sherlock Holmes: An Elementary Guide』『Forgotten Firsts: A Compendium of Lost Pioneers』『Trend-Setters and Innovations』、クイズ本『Think You Know It All?』など。図書館にこもっている以外は、妻のロージーとさまざまな魚たちとともにイースト・ロンドン在住。
【清水由貴子(しみず・ゆきこ)】
英語翻訳者。上智大学外国語学部卒。おもな訳書に『How to BePerfect 完璧な人間になる方法?』(小社刊)、『初めて書籍を作った男 アルド・マヌーツィオの生涯』(柏書房)、『トリュフの真相 世界で最も高価なキノコ物語』(パンローリング)、『ニール・ヤング 回想』(河出書房新社)などがある。