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多くの人が誤解している「論理的に」の本当の意味

小野田博一

2021年01月21日 公開 2022年10月24日 更新

論理って何だろう? 論理的ってどういうこと――日常よく使われる「論理的」という言葉。実は、ほとんどの人がその意味を正しく理解しないまま使っている。

「論理的」の意味を知ることは、「論理的に考える」「論理的に述べる(発言する・書く)」とはどんなことかを知ることであり、それがわかれば、それらができるようになることを意味する。「論理」のエキスパートである小野田博一氏が、「論理」についてやさしく解説した。

※本稿は、小野田博一著「一生使える!13歳からの論理ノート」(PHP文庫)から一部抜粋・編集したものです。

 

論理的か否かを判定する際の「怖い落とし穴」

【例】本をたくさん読むととても疲れる。だから、私たちは本を読むべきではない。

この意見は論理的ですか?多くの人は「論理的ではない」と答えるでしょう。でも、ごく少数の人々は「論理的だ」と答えるかもしれません。ここでは「疲れるから」という理由が「読むべきではない」という結論を支えていません(多くの人にとっては)。

さてここで、あなたは、その多くの人のうちの1人だったとして話を先に進めます。

【例】薄暗い部屋で本をたくさん読むととても疲れる。だから、私たちは薄暗い部屋で本を読むべきではない。

この意見は論理的ですか?多くの人は「論理的だ」と答えるでしょう。そして、もちろんあなたも。「論理的ではない」と答える人はあまりいないかもしれません。つまり、この例では、「疲れるから」という理由が「読むべきではない」という結論を支えているのです(多くの人にとっては)。

うーん、何か変ではありませんか?そう、変ですね。先の例では「疲れるから」という理由が「読むべきではない」という結論を支えていないのに、なぜこの例では支えているのでしょう?

実は、この例の場合、「支えている」と感じるのは錯覚なのです。あなたは結論「私たちは薄暗い部屋で本を読むべきではない」に賛成しているのであって、論理がどうなのかが見えなくなっているのです。

あなたはおそらく、「薄暗い部屋で本をたくさん読んで疲れないとしても、薄暗い部屋で本を読むべきではない」と思っているでしょう。違いますか?この2つの例が示すのは「結論に賛成である場合、論理が正しいか否かが見えなくなりがちである」ということです。この落とし穴に注意が必要です。

なぜなら、あなたがある意見を書いたり話したりする場合、あなたは当然ながら、自分自身の意見に賛成なので、述べている意見の論理が正しいか否かが、自分では見えなくなりやすいからです。もう1つ例を挙げましょう。

【例】金星には日本の宿泊施設がない。だから、金星に日本の宿泊施設を建てるべきだ。

この意見に賛成する人はいないでしょう。「『ない。ゆえに、建てるべき』は理屈が変」と多くの人は思うことでしょう。でも、論理は同じままで、外見を変えると、次のようになります。

【例】この学校には女子更衣室がない。だから、女子更衣室を作るべきだ。

前の例に対して「理屈が変」と思う人でも、こちらの例に対しては「理屈が変」と思わないことは多いでしょう。その人は結論に賛成であるがゆえに結論に賛成しているだけであって、論理が見えなくなっているのです。

「結論には賛成だけど、この論理は変」という具合に、結論に賛成か否かとは別に論理を考えることのできる人になりましょう。それができるのが、論理性の高い人間ですから。

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