叱られたら「ありがとう」
自分自身に対して素直であるということは、自分の信念に対して素直であるということです。ところが、その信念が間違っていますよと正されたときに、それを感情的に受け取らないで、客観的に考えて、ほんとうにそうだと思ったら「ありがとうございます」と応じる。そこにはきっと自分との戦いがあるはずです。
私は学生に、どなたかから叱られたときは、まず必ず「ありがとうございました」と言うようにと話しています。そして、もし反論があるなら、その後にしなさいと。これは、素直になる心がまえをしてからものを言いなさいということです。
「ありがとうございました。私みたいなものに注意をしてくださって、ありがとうございました」。愛情があるからこそ叱ってくれたのだと思うわけです。放っておいてもかまわないわけですからね。ほんとうに愛情があったかどうかわからないかもしれませんが、そこで「ありがとうございました」と言ってもらうと、叱った人、怒った人もちょっと考えますよね。するとお互いに少しずつ、素直になっていくことができるのではないでしょうか。
自分と戦って素直さを育んでいく
私もしょっちゅう自分と戦っています。口答えしたいときにしなかったり、仕返しをしたいときにしなかったり。これは自分との戦いですね。
言いたい言葉も、「あ、これを言ったら相手が傷つくだろうな」と思ったら言わないとか、ほかの言い方で、ほかの時にというふうに、そのときの自分のはやる心を抑えるのです。
口答えしたい、言い返してやりたい、また仕返しをしたいという気持ちを修道者でも持っています。でもそれは、やっぱりそう思ってはいけない。たとえ思ってしまっても、その思いを自分の中に納める。あるいは、そんなことを思ってごめんなさいという気持ちを自分の中で持つわけです。
そんなふうに自分と戦って、苦しむ結果、相手の気持ちを推しはかることができるようになる。自分中心でなく相手の立場や気持ちを考えて、そこには私と同じでない人様がいらっしゃるということを客観的に考えるようになるのです。
「このような積み重ねが今日の私をつくっていると思う」と話しますと、学生たちも、「あ、シスターは生まれつき今のようではなくて、自分と戦ってこられたのですね」と、わかってくれます。
そこで、「世間に出たら自分の思うとおりにいかないんだから、少しは我慢するとか、お考えなさい」と言いますと、素直に向きあってくれますね。
もちろん、一朝一夕には変わることはできません。そんなに簡単に変われると思ったら大間違い。ただ、失敗したら立ち上がって、今度はその失敗をもうちょっと上手にするのです。なるべき自分になっていくためにはどうすればいいか、日々、自分を見つめ、自分と戦っていくのです。こうなりたいとただ頭の中で思っただけではなれません。やはり痛みを感じながら、自分と戦っていくことが大事です。
自分で自分を自分らしく鍛えていく。その積み重ねで、少しずつ素直さを育んでいくことができるのだと思います。