「過ぎてしまったことへの後悔」「まだ起こってもいないことへの不安」など、多かれ少なかれ、人はいつでも何かに悩んでしまいます。中には、小さな不安や悩みが膨らんで、生きることが辛いと考えてしまう人もいるかもしれません。悩みを解消するためにはどうしたらいいのでしょうか。
僧侶の枡野俊明さんによると、「考えたってしょうがないことは考えない。一息に生きることが大切」だといいます。手放すほど豊かになる、禅の思想をききました。
※本稿は、枡野俊明著『手放すほど、豊かになる』(PHP文庫)を一部抜粋・編集したものです。
一呼吸ごとに生まれては死ぬ
禅では、「一息(いっそく)に生きる」といいます。
「いま、このときに、全力を傾注して生きなさい」という教えです。
ゆく末を不安に思わない。過ぎたことを、いつまでも悔やんでいてもしょうがない。未来も過去も、心から手放す。
ひとつ息をする、この瞬間に全力を傾注して生きていきなさい。よけいな思いにわずらわされてはいけません……というのです。
「生死(しょうじ)を繰り返す」ともいいます。
息を吸って、吐き出すときは生きているのですが、すべてを吐き出してしまえば、その段階で死にます。また新たな息を始めるさいに、人は生まれ変わって新しい生命を吹き込まれます。一呼吸ごとに人は、生まれては死ぬ。死んでは生き返る。
過去のあなたは、もはや死んだあなた。未来のあなたは、まだ生まれてきていない、あなたです。あしたはあしたの風が吹くのだから、あまり心配するな。
惑わされずに、いまこの瞬間の自分を大事に思いなさい……という意味。
このような人生観を述べた言葉が、禅には多くあります。
裏を返せば、それだけ人は未来の自分、過去の自分に、心を惑わされやすい存在でもあるのでしょう。
無我夢中で「いまに生きる」こと
―廊下で同僚が立ち話をしていました。自分が近づいていくと急に話を打ち切って、逃げるようにその場を去ります。
気になります。「なんの話をしていたのだろう。もしかして私の悪口を」などと―。
気になり始めると、止めどがありません。「どうして悪口をいわれるのかしら。そうだ、きのうのミスで、みんなに迷惑をかけたから」と、過去の出来事が気にかかります。
「悪口が社内じゅうに広がって、ダメ社員と烙印が押されて、ああ、お先まっ暗」と、自分の今後が心配になって、夜も眠れなくなり、食欲もなくなり、仕事に集中できない、といった状態になる人もいるでしょう。
考えたってしょうがないことは、「考えない」のが正しいのです。
「なんの話をしていたのだろう」などと考えないようにすることです。
わからないからです。こちらには何も聞こえなかったのですから。
追いかけていって、「いま何を話していたの」と聞き出すわけにもいかないでしょう。でしたら「考えない」のがいいのです。
下手な想像を働かせるから、悪いほう、悪いほうへと心が落ちていくのです。
「人の心」は、滑り台のようなものです。いったん滑り始めると、どんどん加速度がつき、最後には地面にどすんと尻餅をつく結果となります。
考えれば考えるほど身動きができなくなり、ストレスが溜まって心身の健康にも悪いのです。
それよりも、「いまに生きる」です。
何か用事があって、廊下を歩いていたはずです。他部署へ書類をもっていくところだったのか、会議室へいく途中だったのか……とにかく「いましなければならない仕事」に意識を集中して、雑念が頭の中へ入り込まないようにしてほしいのです。
いや、廊下を歩いているときには、「歩く」ことだけに専念しましょう。
能天気な言い方に聞こえるかもしれませんが、ときには心も想像力も手放して、無我夢中になって「歩く」だけに専念するほうが、幸せなこともあるのです。
【枡野俊明(ますの・しゅんみょう)】
曹洞宗徳雄山建功寺住職、庭園デザイナー、多摩美術大学名誉教授
1953年神奈川県生まれ。大学卒業後、大本山總持寺で修行。「禅の庭」の創作活動により、国内外から高い評価を得る。芸術選奨文部大臣新人賞を庭園デザイナーとして初受賞。ドイツ連邦共和国功労勲章功労十字小綬章を受章。2006年には『ニューズウィーク』日本版にて、「世界が尊敬する日本人100人」に選出される。庭園デザイナーとしての主な作品に、カナダ大使館庭園、セルリアンタワー東急ホテル日本庭園など。