AIの進化は、社会に大きな影響を及ぼし始めています。アメリカでは、すでにエンジニアの解雇が相次ぐなど、労働市場にも劇的な変化が起きているのです。AIの影響を受けるのは、デスクワークの仕事だけではありません。一見、AIに置き換えられにくいと思われる「クリエイティブ」な仕事にも、その波は及びつつあります。書籍『AIの時代に 頭がよくなる人 悪くなる人』より解説します。
※本稿は岡瑞起著『AIの時代に 頭がよくなる人 悪くなる人』(日経BP)より一部を抜粋・再構成したものです。
クリエイティブはどう変わるか
AIの出現によりとって代わられるかもしれないものの中で、象徴的なのがかつては最も人間的と思われていた「クリエイティブ」な仕事です。
絵を描く、音楽をつくる、文章を書くようなクリエイティブな仕事はどう変わるのでしょうか。
この問いを考える上で、とても興味深い対談がありました。歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリさんと、アーティストの宇多田ヒカルさんの対談です。
ハラリさんは、『サピエンス全史』『ホモ・デウス』などのベストセラーで知られるイスラエルの歴史学者で、人類の未来やテクノロジーの影響について鋭い洞察を発信している人物です。一方、宇多田ヒカルさんは、説明するまでもなく、日本を代表するシンガーソングライターです。
このふたりが「創造性とは何か」について語り合ったのです。
対談の中で、ハラリさんは創造性をこう定義しました。
「パターンを認識して、それを破壊すること」
たとえば、音楽には「こういうコード進行が心地よい」「こういうメロディが美しい」というパターンがあります。過去の名曲を聴き込んで、そのパターンを理解した上で、あえてそれを破る。予想を裏切る展開、意外な音の組み合わせなどの「破壊」が、新しい表現を生む。これがハラリさんの考える創造性です。
この定義を聞いて、私は胸がざわつきました。なぜならば、それはまさにAIが得意な仕事だからです。
AIの中核技術である機械学習の本質は、まさにパターンを認識することです。大量のデータを読み込み、そこに潜む法則性を見つけ出します。何万曲もの音楽を分析して、「ヒット曲にはこういうパターンがある」と学習したり、何百万枚もの絵画を読み込んで、「美しいとされる構図にはこういう傾向がある」と把握し、そして、その法則を「破る」ことは、AIには簡単にできてしまいます。
2016年、Googleの子会社が開発した「AlphaGo(アルファ碁)」というAIが、囲碁の世界チャンピオンである韓国のイ・セドル九段に勝利しました。囲碁は、チェスよりもはるかに複雑なゲームです。
盤面のパターンは宇宙の原子の数より多いと言われ、「AIが人間に勝つのは、まだ何十年も先だ」と考えられていました。その常識が、一夜にして覆されました。
しかし、世界がもっと驚いたのは、AlphaGoが打った「ある一手」でした。
第二局の序盤、AlphaGoは、プロ棋士なら絶対に打たないような場所に石を置きました。解説者も、観戦していたプロ棋士たちも、「これはエラーではないか」「バグが起きたのでは」と首をかしげました。囲碁の常識から完全に外れた一手だったからです。
ところが、対局が進むにつれて、その一手の意味が明らかになっていきました。
最終的に、その「ありえない一手」が、AlphaGoを勝利に導く重要な布石になりました。
つまり、人間が何千年もかけて積み上げてきた囲碁の定石(パターン)を学習し、そのパターンを「破壊」して、まったく新しい戦略を生み出したのです。ハラリさんの定義に従えば、AIが「創造的」になった瞬間でした。
※YouTube「The Evolution of AI and Creativity: Yuval Noah Harari × Hikaru Utada / AIの進化と創造性【ユヴァル・ノア・ハラリ×宇多田ヒカル】」https://youtu.be/xw-9mwZxl-0(2026年5月7日閲覧)
アーティストの価値は、「キャラクター」の部分が大きくなる?
しかし、宇多田ヒカルさんは、別の視点を提示しました。創造物に対して人間が求めるものには、二種類あるのではないかと投げかけました。
ひとつは「機能性」です。
たとえば、仕事で疲れて帰宅したとき、リラックスするために音楽を聴きたいと思ったとします。そのとき重要なのは、「誰がつくった曲か」ではなく、「聴いてリラックスできるかどうか」という効果です。心地よいメロディ、落ち着くテンポなどの「機能」さえ果たしてくれれば、人間がつくった曲でも、AIが生成した曲でも、どちらでも構いません。
もうひとつは「関係性」です。
好きなアーティストの新曲が出たら、内容に関係なく聴きたい、その人の生き方に共感したい、その人が何を考え、何を感じているのかを知りたい。ライブに行って、同じ空間を共有したい。いわゆる「推し活」の文化にも通じるものです。
音楽そのものの機能ではなく、アーティストという「人間」との関係性を求めていると言えます。
この区分で考えると、AIに置き換わるものと、そうでないものが見えてきます。
「機能性」を求める創造物は、AIに置き換わっていくかもしれません。
たとえば、カフェで流れる心地よい音楽、動画のバックに使う音楽などのBGMに重要なのは雰囲気であって、誰がつくったかではありません。すでにAIが生成した楽曲が、さまざまな場所で使われています。
素材としての写真も同じです。ウェブサイトやプレゼン資料に使うイメージ写真です。「ビジネスパーソンが握手している写真」「青空と緑の草原の写真」などは、AI画像生成で十分です。
アイコン、図解、説明用のイラストなど「機能」が果たせればよいものは、人間が描く必要性が薄れていきます。実際、こうした領域では、すでにAI生成が主流になりつつあります。
一方、「関係性」を求める創造物、ファンがアーティストに求めているようなものは、人間にしか提供できません。
たとえば、あなたが応援しているアーティストが、実はAIだったと判明したら、同じように応援し続けられるでしょうか。その人の苦悩、成長、人生のストーリーに共感していたのに、それが「プログラムが生成したもの」だったとわかったら一気に白けてしまうと思います。
面白いことに、チェスも囲碁も、AIのほうが圧倒的に強くなった今でも、人間同士の対戦は続いています。世界中の人がチェスの大会を観戦し、棋士たちを応援しています。
陸上の100メートル走だって同じです。車やバイクのほうがはるかに速いのは誰の目にも明らかです。それでも、オリンピックの100メートル決勝を、世界中の人が固唾をのんで見守ります。
私たちが見たいのは、「速さ」という機能ではないからです。
人間が限界に挑むドラマ、選手たちの人生、勝利の喜びと敗北の悔しさなどの「人間の物語」を見ているのです。ですから、アーティストの価値がなくなることはないと私は思います。ただし、その価値の源泉は変わっていくでしょう。
メロディの美しさ、歌詞の巧みさ、演奏の技術など作品の完成度だけでは、価値を保てなくなるかもしれません。
そこはAIも得意な領域だからです。
代わりに価値が高まるのは、その人の生き様、創作のプロセス、ファンとの関係性、そして「この人を応援したい」と思わせる人間的な魅力です。作品という「結果」ではなく、創作する「人間」そのものに、価値が移っていくのです。