「歩くことが健康にいい」のはよく知られた事実です。全身の筋肉の約7割が集まる足腰を動かす習慣は、代謝の維持だけでなく、血管年齢の若返りや病気予防にも直結します。
しかし、歩く魅力は健康効果だけではありません。「歩くこと」自体を趣味にすると、いつもの風景や日常が驚くほど豊かに変わるかもしれません。本記事では、医学博士・大島清さんの著書『歩くとなぜいいか』より、歩くことが心や人生にもたらす変化について解説します。
※本稿は、大島清著『歩くとなぜいいか』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
「歩く趣味」から、ほかの趣味がどんどん生まれる
歩くことが好きになると、それを基本にいろいろな趣味が増えてくる。だから無趣味でつまらないという人には、とりあえず歩くことを勧めている。
趣味で歩いているうちに、いろいろな趣味が自然に増えてくるのだ。わたしのことを言えば、趣味で歩いているうちにまず植物が好きになった。
歩いていると、道ばたに咲く小さな花を見つける。この花は何だろうと気になる。すると植物図鑑がほしくなる。図鑑を買うと今度はそこに載っている花を探したくなる。こうして、少しずつ花の名前を覚えていった。
花の名前が少しずつわかるようになると、今度は季節の移ろいに敏感になる。フキノトウを見つけると、少しくらい寒くても「春が来た」と嬉しくなるし、3月も終わりのころになると、タチツボスミレが薄紫の群落をつくるのを楽しみに待つようになる。
日本はスミレ王国と言われるほどその種類は多く、50種を超えているという。花の形が大工道具の"墨入れ"に似ているのでスミレとなったという由来も何やら楽しい。
タチツボスミレは群生するのでよく目立つが、似た名前のツボスミレは花も小さく、半日陰になったような場所でひっそり咲くので目立たない。この花を偶然見つけると、それだけでとてもいいことがあったように思える。
名前を知らなければ野草と見過ごしてしまう小さな草花も、名前を知るといとおしくなる。
日本の植物界の父といわれる牧野富太郎博士の言葉に「雑草という名の植物はない」というのがある。たしかにその通りで、一つ一つの小さな花にも名前があり、名前の数だけ命がある。
歩いているとそんなことも実感できるようになる。そして来年もその場所で花をつけられるように自然の環境を守ってあげたくなる。
バードウォッチング、自然環境への問題意識...
鳥も同じだ。鳴き声は聞こえても、わざわざその鳥を見にいこうとは思わなかった。ところが歩く趣味を続けているうちに、バードウォッチングが趣味という人たちと友だちになった。
言ってみればこれも必然で、遅かれ早かれこういう人たちと友だちになる機会があるとは思っていた。「鳥は見ようと思えば見える」という極意のような心構えを教わり、ついでにもっと実用的な双眼鏡の使い方なども教わって、今ではバードウォッチングも趣味の一つになっている。
バードウォッチングが趣味に加わると、鳥の棲む森のことが気になる。木や鳥を知って森を見ないわけにはいかない。
しかしわたしの住む古都・鎌倉もたびたび開発ラッシュに襲われていて、自然が破壊されている。歩いているとこんなことにも無関心ではいられなくなる。無関心ではいられなくなると、いろいろな人に話を聞きに出かける。図書館で資料を調べる。
すると、鎌倉市の樹林地帯はもっとも多かったときの半分にまで減少しているなどということがわかってしまう。鎌倉の市民たちがさまざまな形で自然環境を守る運動を展開していることも知る。
わたしもその仲間に入れてもらい、森や野鳥や草花の"代弁者"となって、無用な開発に一石を投じる活動をするようになる。
ここまでくると、もう趣味とは言えない。だが、楽しく歩く趣味を続けるためにはこういうところもおろそかにはできない。
歩きながら考えると趣味は広がり、その向こう側にある社会問題も見えてくるのである。