イラスト=瀬川尚志
突然クマに襲われたとき、命を守るために何をすべきなのでしょうか。
クマによる攻撃では、頭部や顔面、頸部などに致命的なけがを負う危険があります。そこで重症化を防ぐ手段の一つと考えられているのが、うつ伏せになり、腕で頭や首を守る「防御姿勢」です。
実際、秋田県で2023年度に発生した人身被害では、この姿勢をとった7例はいずれも重症には至りませんでした。整形外科専門医の石垣佑樹氏が、クマによる外傷の特徴を踏まえ、万一の攻撃から身を守るために知っておきたい防御法を解説します。
※本稿は、山﨑晃司・編著『クマに出遭ってしまったら? 』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
少しでも重症化を防ぐには
突然、クマと出遭ってしまったとき、どうすれば少しでも重症化を防ぐことができるでしょうか。2023年度の秋田県で起きた70例のうち、うつ伏せによる防御姿勢をとった症例は7例ありました。うつ伏せによる防御姿勢とは、うつ伏せになり、顔を伏せ、腕全体で頭や首を守る姿勢です(上図)。致命傷・重症となりやすい頭部や顔面、頸部、体幹部腹側などを守ることができ、7例のいずれも重症のけがを負うことはありませんでした。
防御姿勢をとれた症例数が全体の10%と少なく、一つの症例で防御姿勢をとった場合ととらなかった場合での重症化の違いを比較することもできませんが、防御姿勢をとることで重症化を防ぐ可能性を示す重要な結果といえるでしょう。
クマから攻撃されたとき、まず守らなければならないのは、頭部や顔面、頸部(下図)、体幹部腹側といった命や重要な機能に直結する部位です。クマによる外傷で頭部や顔面、頸部にキズが集中するのは、クマが攻撃するときに立ち上がり、人の顔面や頭頸部が標的になりやすいためだと考えられています。うつ伏せになれば、頭部・顔面・頸部への攻撃を減らせる可能性があります。
秋田県の、クマから受けたキズによる死亡例を調べた過去の研究では、殴打をともなう爪によるキズが致命的であり、牙によるキズは死因に直結していなかったと報告されています。クマの一撃は交通事故で受けるキズに匹敵するエネルギーがあるとされていますが、立ったままの姿勢でクマから殴られると、頭部や顔面、頸部に致命傷を負ってしまうことになります。具体的には頭部・顔面では脳出血や気脳症など、頸部では頸動静脈損傷、気管損傷、頸椎骨折、頸髄損傷などが想定されますが、いずれも致命的なけがです。
病院到着までの時間が短ければ救命可能な場合もあるかもしれませんが、山間部などで救助がすぐに行なえず、搬送まで長時間を要するなど、救命が困難な場合も考えられます。とにかくうつ伏せになって殴打を防ぐことが重要だといえるでしょう。
とにかく頭、顔、首を守る
クマによる外傷では、頭部・顔面・頸部・体幹部腹側以外に腕のけがも多く挙げられます。2023年度の秋田県で起きた70例でも54.3%と半数以上が上肢にけがを負っていました。過去の報告でも、クマから身を守ろうとして受けたキズとして、前腕を引き裂かれたキズや咬まれたキズが多かったとされていますが、秋田県の70例でも同じように手や腕で攻撃を防ごうとしていた可能性が考えられます。
腕のけがで想定されるのは、骨折、血管損傷、神経損傷、皮膚損傷などです。動物に咬まれ汚染されたキズではあるものの、状況やキズの程度によりますが、適切な治療を行なうことで命を救い、さらには腕を失わずに治療することも十分に期待でき、障害を残さない治癒を目指すことも可能といえます。うつ伏せによる防御姿勢によって腕にはキズを負ってしまいますが、重大なけがやのちの障害につながる場所へのキズを防ぐ価値はあるといえるでしょう。
至近距離でクマに出遭ったとき、冷静に判断する時間はほとんどないかもしれません。うつ伏せによる防御姿勢をとるなど、理想どおりに行動できるとは限らないでしょう。また、防御姿勢をとったからといって必ずしも重症化を防げるとも限りません。しかし、自分の体で守らなければいけないところを把握しておくことは重要です。いざというときには、まず頭部、顔面、頸部を守ってください。
クマによる外傷は、医療において特殊な症例といえます。身体的な治療だけではなく、精神的な治療、治療後の社会復帰など、単なる「命には別状なし」では表現しきれません。うつ伏せによる防御姿勢が、クマによる被害の減少、重症化予防につながることを願います。
【POINT】
▼ツキノワグマに襲われた人のけがは、顔、頭、腕に多い。
▼皮膚や筋肉だけでなく、神経や血管が傷つく重傷を負い、障害が残ることも少なくない。
▼精神的なキズも重く、社会生活から遠ざかってしまうこともある。
▼重症化を防ぐためには、うつ伏せによる防御姿勢をとることが有効といえる。
[執筆者]
石垣佑樹(いしがき・ゆうき)
秋田大学大学院医学系研究科 整形外科学講座 医員
2020年、秋田大学医学部医学科卒業。同年、大曲厚生医療センターにて初期研修。秋田労災病院、北秋田市民病院を経て、2024年より秋田大学医学部附属病院整形外科に勤務。専門は膝関節、スポーツ整形。日本専門医機構認定整形外科専門医、日本スポーツ協会公認スポーツドクター。
[編者]
山﨑晃司(やまざき・こうじ)
茨城県自然博物館館長 東京農業大学名誉教授
1961年東京都調布市出身。 森林動物生態学が専門。東京農工大学連合大学院博士(農学)。ザンビア国立公園局野生動物調査官、東京都高尾自然科学博物館学芸員、茨城県自然博物館首席学芸員、東京農業大学地域環境科学部教授を経て、茨城県自然博物館館長。元日本クマネットワーク代表、元International Association for Bear Research and Management 理事、IUCNクマ専門家委員会委員、東京都自然環境保全審議会鳥獣部会長、千葉県環境審議会鳥獣部会長、環境省鳥獣保護管理プランナーなどを務める。著書に『日本のクマ』(東京大学出版会・共編著)、『ツキノワグマ すぐそこにいる野生動物』(東京大学出版会)、『ムーン・ベアも月を見ている』(フライの雑誌社)、『クマとともに』(東京大学出版会・共著)など。