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美しい古地図「天保改正 御江戸大絵圖」

株式会社人文社

2013年07月17日 公開 2022年12月28日 更新

 

古地図をもって「江戸」散策に出かけよう!

近年、江戸時代の古地図である「江戸大絵図」を片手にした東京散策が静かなブームになっています。

江戸時代と現代との比較、地名・名所、著名人の名前など、江戸時代の様々な情報を読み取ることができる江戸大絵図は、江戸時代初期から制作されていましたが、当時は手描きや墨一色の木版摺りが大半で、京都の版元から刊行されていました。

やがて江戸の版元が現れると、江戸時代中頃からは多色摺りが導入され、正確さを特長とする一方、絵画的な美しさを売りにする図も現れるようになりました。

また、大名の屋敷替えや役人の異動にともなう移転も頻繁で、常に最新の情報が求められ、江戸の町のめまぐるしい変化に呼応して地図も多数刊行され、改版を重ねました。

こうした絵図は、墨板の上に赤青黄緑褐灰色の6色を加えた色彩豊かな木版摺りで、神社仏閣や地形が絵画的に描かれています。その見栄えの良さから実用に供されただけでなく観賞用としても重宝され、勤番侍や商人の江戸土産にもなりました。

多くの人が集散を繰り返す江戸において江戸大絵図の需要は高く、江戸の町のめまぐるしい変化に呼応して改版を重ねました。

 

美しい古地図「天保改正 御江戸大絵圖」

その中でも「天保改正 御江戸大絵圖」はそのビジュアルの美しさが人気を集めています。


「天保改正 御江戸大絵圖」部分

「天保改正 御江戸大絵圖」は天保14年(1843)に制作されたもので、作者は読本作者の高井蘭山、芝明神前にあった書物問屋・岡田嘉七で刊行されました。約122cm×約148cmの大判の絵図で、西を上にして描かれています。

東西は亀戸から新宿、南北は品川から王子までと、文政元年(1818)に制作された「江戸朱引図」による行政上の江戸市域にほぼ該当する地域をカバーしています。

 

絵図で日本武道館から神楽坂までを辿ってみる

この絵図は、縁辺に行くほど図がデフォルメされていますが、中心部は正確に描かれており、現代との対照が比較的容易です。現在、日本武道館がある場所は、田安、一橋、清水の御三卿のうち、清水徳川家の屋敷(清水殿)にあたります(添付図の左下)。

清水殿から絵図に描かれている「田安御モン(田安御門)」を出て堀を渡り、九段坂(九タン)を横切ると、左手に「ウヘダメアキチ」と描かれた緑色の空き地があります。この空き地は現在、靖国神社の参道になっています。

そこから北西に進むと、左手に江戸時代の消防隊である定火消御役屋敷(定火消)、さらに進むと「牛込御門」と描かれた堀(外濠)に架かる門が見えます。この付近が現在の飯田橋駅西口にあたります。

牛込御門をさらに進むと神楽坂(カクラサカ)に到着です。坂の左手には「ゼンコクジ(善国寺)」、右手には「安ヤウジ(安養寺)」など、現代に残るお寺の名も見ることができます。

この間の距離、約1.5km(約14町)を絵図で辿ることができました(左下から右上)。辿ってきた絵図に描かれた道は、現在の早稲田通りにあたります。これ以外の主な街道では、もっと長い距離を絵図で辿ることができます。   

九段、神楽坂付近の拡大

 

遠山の金さんと北町・南町奉行所

このほか、「天保改正 御江戸大絵圖」からは様々な情報を読み取ることができます。原本が描かれた天保年間は、老中水野忠邦による天保の改革(1840~1843)が行われた時代であり、幕府の綱紀粛正と華美な祭礼や贅沢・奢侈が悉く禁止をされた時代でした。

この頃の北町奉行は、時代小説やドラマ「遠山の金さん」で知られる遠山景元が務めていました。遠山景元は、天保14年(1843)まで北町奉行を務めた後、弘化2年(1845)には南町奉行を務めました。

この図には、江戸城の東、「和田倉御門」をさらに東に進んだお堀(内堀)際に「北町奉行」、その南、「スキヤバシゴモン(数寄屋橋御門)」の際に「南町奉行」が描かれています。また、浜御殿の西側には遠山景元の屋敷(トヲ山)の名を見ることができます。 

そのほかにも、お茶の水、浅草、築地、千住……。日々の仕事や生活でおなじみの東京の名所を、古地図を片手に歩いてみれば、過去の社会制度や事件、100万都市江戸の町づくり、そして人々の生活が見えてきます。

歴史好き、時代小説ファンにはたまらない、小旅行を楽しめることうけあいです。

 

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