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第22回「山本七平賞」 選評 および 受賞の言葉

山本七平賞事務局

2013年12月20日 公開 2022年03月02日 更新

 

いまこそ昭和史は「旬の季節」を迎えた...中西輝政 (京都大学名誉教授)

 昭和史は、いまやインテリジェンス(情報・諜報)の歴史がその最重要テーマとして取り組まれねばならない分野になっている。

 ここでいう「昭和史」とは、やや特別な意味で使っている。昭和戦前期の日本がなぜ、そしていかにして「あの戦争」に突入し、あの惨めな敗戦へと立ち至ったのかを解明しようとするもので、その意味で日本近代史のやや特殊な、しかし依然として最も重い問いかけをいまも日本人に課しているたいへん重要なジャンルである。

 しかし、この分野は、まともな歴史が書かれるのに必要な史料が決定的に欠けていて――愚かなことに、降伏が決まったとき、日本の軍部と政府が重要な公文書を大半、焼却してしまったから――本来、一定レベルの信頼性のある歴史など、とうてい書けないのである。それにもかかわらず、戦後、無理を承知で各種の「昭和史」が書かれてきたのが実情といえる。それゆえ、必然的にとかく歪んだ歴史が“定着”してきたきらいがある。

 ところが、近年、戦勝国を中心に、日本とあの戦争に関わる重要史料が次々と公開され、新たに利用可能になってきた。気の短い日本人は「何でいまごろ?」と思うかもしれないが、じつは主要国のインテリジェンスに関わる史料――それは、従来伏せられてきた、いわば最後の極秘資料――の公開は、やはり70年近くたってからになることが多い。それゆえ、じつはいまこそ昭和史は「旬の季節」を迎えている、といってもよいのである。

 今回の受賞作『消えたヤルタ密約緊急電 情報士官・小野寺信の孤独な戦い』は、こうした新時代の到来を存分に活用し、昭和史の闇の解明に大きな一歩を画する作品となっている。本書は、主として2000年以後にイギリスで公開された暗号解読部局の極秘文書に依拠して、小野寺信の卓越した情報活動を深くかつ広汎に解明している。また、それ以外に東欧諸国やアメリカなど数力国の公開公文書などもふんだんに用いた本格的な実証研究になっており、文句なしに第一級の堂々たるインテリジェンス・ヒストリーの大作といえる。とりわけ、本書の執拗なほどの綿密な論証の積み重ねは、圧倒的な迫力で昭和史の書き換えを迫るものになっている。

 奨励賞の『日米衝突の萌芽1898‐1918』は、やはりアメリカに残されている膨大な日米関係の史料――その大半はすでに公刊されていたが、これまで日本の歴史家が十分に利用してこなかったもの――を駆使して、堅実な論証と多くの興味深いエピソードも交えながら、従来の日米関係のイメージや既知の歴史像とは異なる、新鮮かつ十分な深みを伴った視点をふんだんに与えてくれる。加えて読みやすく、また構想力に富むスケールの大きな歴史書となっている。次作は、いよいよ「真珠湾」へと向かう日米衝突の山場を扱う「大団円」を迎えるのか。いまから楽しみになってくる。

 

情報は誰もが知ればいいというものではない...養老孟司 (東京大学名誉教授)

 正賞となった『消えたヤルタ密約緊急電』は著者の強い執念が感じられて、そこが受賞につながったと思う。この分厚い本を一気に読まされてしまった。ヤルタの密約がなぜ関係者に届かなかったか、これは特定秘密保護法案が論じられている現在でもありそうな話である。つまり情報は秘匿されることも重要だし、公開されることも重要で、じつは正解はそう簡単ではない。ただし著者は新聞社の人だから、そこはよくおわかりであろう。情報が必要な人にきちんと届くことが理想だが、現実にはそうはいかないという教訓として、私は本書を読んだ。欲をいうなら、たんに届くか届かないかだけではなく、総論として情報はどこにどう届くべきなのか、その一般的考察が欲しかった。現代の常識には反するかもしれないが、情報は誰でもが知ればいいというものでもないからである。ガンの告知を考えてもわかるであろう。

 奨励賞となった『日米衝突の萌芽』も興味深い本である。1918年で終わっているが、当然1945年までが、まだ書かれるだろうという前提で、奨励賞となった。本当の意味で続きが読みたい本である。向こう側から見た日米関係は、もっと関心がもたれていいと長年私は思ってきた。日米合邦論をアニメにしてみたらと考えたこともある。そうすれば、具体的に日米間の問題を考える資料になるかもしれない。アメリカ大統領の選挙に対する関心は、世論調査では日本人のほうが高い。それならその大統領選挙に日本人が関わらないのは、「民主的ではない」のではないか。本書ではカリフォルニアの排日法がイギリスとアイルランドの関係、つまり日英同盟にも関係していたと教えられて、目を開かれた。私もまさに島国の日本人で、そんなことは考えもしなかったからである。

 

 ヒューミントとしての小野寺に着目...渡部昇一 (上智大学名誉教授)

 今回の岡部伸氏の『消えたヤルタ密約緊急電 情報士官・小野寺信の孤独な戦い』はいろいろな面から興味深かった。

 まず第一に、ヤルタ密約の内容が日本に洩れていたならば、満洲にいた多くの日本人が救われたであろう――ということで、今日なお残念に思われることである。「引揚者」という言葉も死語になりかけているが、あの人たちの悲劇はたぶん回避されたかもしれない。「戦争孤児」もすべてはそこから生じたのであった。

 第二には、その密電が消えたという不思議さである。陸軍の中枢部にヘンな人がいたのではないか、と思わせることである。最近になって、戦後も活躍したある有名人がスパイらしいという告発が佐々淳行氏によってなされている。

 第三に、ヒューミント(人的諜報)としての小野寺信という人物に光が当てられていることである。現内閣もインテリジェンス(情報・諜報活動)を重視し、このための組織づくりをしようとしている。それは甚だ結構なことであるが、その際に問題になるのは「どういう人物がそれに関わるか」ということである。ヒューミットの重要性を示す意味で、今回の受賞作は重要であろう。

 そして最後に、第二項と関係したことであるが、終戦直前の軍部には、有力な「親ソ・反英米」の人たちがいたらしいことである。受賞作の出版後に、岡部氏はそれに関する重要な資料をも発掘されている。これは日本史の表面には出ることがなかったことであるが、日本の運命に関することなのでさらに詳しい研究を望みたい。「日本の右翼的軍人は共産主義者といってよい」という主旨のことを指摘した近衛文麿の言葉が重みをもつ。

 渡辺惣樹氏の奨励賞受賞作品は、日米関係史の新しい地平を拓く重要なものである。三部作になるらしいということであるが、ぜひ、なるべく早く完成していただきたい。東京裁判史観のインチキの夢を終わらせるためにも。

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