【受賞の言葉】
[山本七平賞]
『消えたヤルタ密約緊急電 情報士官・小野寺信の孤独な戦い』(新潮選書)
岡部 伸
私は、20世紀の終わりにモスクワに赴任して、北方領土問題の原点となった大戦末期にヤルタで交わされた「密約」(ドイツ降伏3カ月後、ソ連が対日参戦)をスウェーデンから報告していた陸軍武官、小野寺信少将に鮮烈な印象をもち、「情」と「知」にあふれた人間性に強く魅かれました。今回の栄誉は泉下の小野寺少将が浴したと受け止め、選んでいただいた選考委員の先生方とPHP研究所のみなさまに心から感謝申し上げます。
小野寺少将は、日本の命運を左右する「密約」を会談直後に参謀本部に公電で伝えますが、届いたと証言する者がおらず、「戦史叢書」や「機密戦争日誌」にも「全く知らなかった」と記され、「消えた緊急電」は近代史最大級の謎として戦後60余年残り続けました。
敗戦時に大本営は史料を焼却していて究明は困難を極めました。光明となったのが2005年ごろから米英で公開された機密文書でした。国内でも新史料が見つかり、公電の実物こそ見つからないが、それが届きながら、闇に葬り去られたとようやく確信できました。不運にもソ連仲介和平工作を進めた中枢は世界情勢を冷徹に判断できず、その悲劇的な結末として、シベリア抑留、残留孤児ら引き揚げ者の苦難と北方領土問題を戦後に長く残したといえるのではないでしょうか。
受賞を励みに、山本七平賞の名に恥じないよう、これからも歴史に埋もれた真実、日本人を発掘する作業に精進しようと思っています。
[山本七平賞奨励賞]
『日米衝突の萌芽 1898-1918 』(草思社)
渡辺惣樹
『日米衝突の萌芽』は、前作『日米衝突の根源』(草思社)の続編にあたります。『日本開国』以来、「日本の明治以降の歴史を横目に見ながら」米国の歴史を綴ることで、なぜ日米衝突に至ったのかに答えを見出したい。それができたならファイナリストからメダリストに進化できるはずと思ってまいりました。
ペリー提督の第一回の来航(1853年)の時代から始め、今回の作品でようやく第一次世界大戦の終了(1918年)まで辿り着きました。1941年12月7日まではまだ半分の道のりです。奨励賞は、とんでもないテーマを抱えて、へたり込んだマラソンランナーに届いた魔法の水のような気がしてなりません。
歴史の資料にはそこかしこに落とし穴が隠れています。一次資料にも嘘があり、誇張があります。歴史家が平仄をそろえようと思えば材料はどこにでも転がっています。しかし、事件の連鎖と、そこに蠢く人びとの人間関係をじっくりと観察すれば、平仄は自ずから合ってくるものと信じています。歴史資料が秘める怪しい罠にはまらない。それを肝に銘じながら、残りの半分の道をゆっくりと進みたいと思っています。