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【連載小説】家電ブラザース 井植歳男と松下幸之助 第1回(その3)

阿部牧郎(作家)

2014年04月30日 公開 2022年07月11日 更新

《『PHPビジネスレビュー松下幸之助塾』2014年3・4月号Vol.16 より》

 

蛇のように待て―青春3

 

 義兄の幸之助が企業家生命をかけた改良ソケットはさっぱり売れなかった。

 大阪電灯の検査員時代、幸之助はこのソケットを発明した。だが、上司に値打ちをみとめられなかった。大阪電灯を退社して、幸之助は改良ソケットの製造をはじめた。

 工場が本格的に動きだしたのは、七月に入ってからだった。幸之助の友人である林、森田と、十四歳雑用係りの井植歳男はものすごい勢いで働いた。

 だが、改良ソケットは売れなかった。ハンダづけを用いないのが特徴の製品だった。生産者側にとっては、たしかに新案の製品である。だが、使用者にとっては、従来のものと大差ないソケットだったようだ。ほとんど出荷がない。製品をつめた木箱が、家の土間に積みあげられるばかりだった。

 八月には林と森田は販売に専念するようになった。九月に入ると、幸之助も販売に廻った。電気器具の小売店を、一軒一軒自転車で廻ってセールスするのだ。歳男も見習いについていったことがある。

 「要らん要らん。そんな名前をきいたこともない会社の品物、ようひきとらんわ。ソケットなんかべつにめずらしいもんやないし」

 小売店のおやじは、にべもなく手をふった。ほぼ例外なくそうだった。

 林や森田は頭をひくくして泣きをいれる。まあ大将、そないいわんと、話だけでもきいとくなはれな。平身低頭して、見本をとりだす。説明をはじめる。仕方なく耳をかたむける店主は五人に一人もいなかった。

 話をきいてくれる店主も、顧客にはなってくれなかった。わかったわかった。要らん要らん。五分もすれば追いだされる。林と森田は悄然としていた。おまえがついてくるさかいや。歳男に当たり散らしたりする。

 だが義兄の幸之助はちがっていた。玄関払いされても、へこたれない。えらいすんまへんな。ちょっとだけ。小売店の店さきから動かなかった。色白の、学者タイプの青年なのに、外見に似合わずしたたかだった。店がひまになるのを見計らって、かならずおやじをつかまえた。改良ソケットの説明にとりかかかる。自信のある話しぶりだった。自分が発明者だったからだろう。

 「しばらくお店においてみとくなはれ。このソケットのよさが、絶対にお客さんにわかってもらえます。かならず売れます」

 しずかで、ねばり強い説得だった。義兄はふしぎなほど堂々としていた。

 それでも売れないのは同じだった。小売店主はやがて去ってしまう。義兄と歳男はだれにも相手にされなくなる。それでも幸之助は店のすみに居残るのだ。隙をみて、また小売店主に話しかける。

 「旦那はん、さっきの話でっけど、材質のこといいわすれてました。うちで使うてるコーパルゴムは一流品でございまして」

 「まだおったんか。やかましい。去〈い〉ね」

 怒鳴られて義兄はやっと腰をあげる。

 「なんぼいうても、わけのわからんおっさんやな。新しいことはなんにもわからんのや」

 苦笑いして幸之助はつぶやく。傷ついていなかった。おどろくほどタフだ。

 商売いうもんはねちこうやらなあかんのやで。つねに一押し、もう一押しや。口に出さず、幸之助はそう教えているようだった。義兄を見て歳男は傷つくことを恐れなくなった。島にいるころは、生意気なやつがいればぶん撲った。喧嘩で勝てば、歳男は尊厳をたもつことができた。だが、販売の世界ではそうはいかない。相手はみんな生意気であり横柄である。しかも、喧嘩してはならない相手ばかりだ。やればこっちがクビになる。つねに向こうが強いのである。義兄の幸之助のように頭の切れる男でも、販売の世界ではしばしば他人に怒鳴られる。そういう世界だった。歳男が他人から相手にされなくとも、当たり前である。親切にされるほうがおかしいのだった。義兄に命じられたわけではないが、歳男も小売店廻りをはじめた。

 自転車を小売店のまえに乗りつける。鳥打帽をとって、親しい店のようにいそいそと声をかける。

 「まいどおおきに。松下製作所でっけど、うちの改良ソケットおいてもらえしめへんやろか。よう売れまっせ。いや、これから売れまんのや、ほんまに」

 相手にもせず追いだされる。歳男は翌日また小売店に顔をだして、まいど、松下製作所ですと名乗りをあげる。

 「うるさいやっちゃな。松下なんか、うちは知らんで。あしたからもうくるなよ」

 しばらくねばって退散する。

 外へ出ると、それでも一仕事すませた実感があった。くもり空を通して、太陽のかがやいているのが見えた。晴れた日はほんものの太陽がキラキラしていた。汗を拭いて、歳男はまた自転車のペダルをふむ。つぎの小売店へ向かった。郷里の淡路島の、知合いの家々を訪問するのとそんなに変わらぬ気分だった。そうやってがんばったが、改良ソケットは売れなかった。十月の末になった。七月の発足以来の売上高はわずか十円だった。

 「この製品は最後には売れるようになるやろ。けどそれまで保たんわ。ぼくは一家の経済の責任者や。家族にかすみ食わせてすますわけにいかんさかいな」

 「ぼくもそうや。友達である松下くんに給料のことはいいとうないけど、食うていけんことにはどもならんさかいなあ」

 林と森田がいいだした。二人はもとの職場へ帰ってゆくつもりでいた。

 「そうか。仕様ないなあ。きみらをひきとめる資格は、ぼくにはないさかい」

 幸之助はつぶやいた。それで話がついた。友人たちは去っていった。

 

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2014年5・6月号Vol.17

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