勝つためだけの経営でいいのか
2012年01月03日 公開 2022年12月26日 更新
※本稿は『PHPビジネスレビュー松下幸之助塾』2012年1・2月号より一部抜粋・編集したものです。
社員を立派に成長させることが経営者の責任
美しい生き方というものがある――「企業の社会的責任」とは、利益を追求し納税の義務を果たすことを根底としながら、あらゆるステークホルダー(利害関係者)からの要求に対して、適切な意思決定をすることであります。
表現は一様ではないものの、概ねこのような考え方といってよいでしょう。このステークホルダーの中には社員も入るわけですが、私は社員を立派な社会人として成長させるという社員に対する社会的責任を唱える経営者が少ないことを嘆くのです。
人の成長とは、単に意義があるという以上に、美しいことではないでしょうか。厳しい実業の中でも人間としての豊かな心を育むことは可能です。ただそれを為していくには環境が大切です。
人間はいい匂いをかいでも、美しい景色を見ても、気持ちがよくなるものです。乱れた環境より、美しく整った環境に身をおくほうが、心地よくなるはずです。ですから私は会社だけではなく、会社の周辺を含めて少しでも環境をよくしようと掃除に励んだのです。
たとえば、伊勢神宮参りでも同じです。内宮に行く前、宇治橋を渡るだけでもう清涼な雰囲気を感じて、伊勢神宮に来たという気持ちになるし、学校でもきちっとした学校は、近くに行っただけで、いい学校だと分かります。
人間の心は見ているものに似ていく。だからこそ、よい会社の雰囲気をつくっていれば、社員の心情はおのずと安らぎ、正しい仕事につながっていく。これが私の信念なのです。
私の信念のよりどころがどこから生じたのかというと、両親の影響にほかなりません。私の家では、物を机の上に置くにも、斜めには置かない。必ずタテヨコそろえて置くのです。少年時代、東京に住んでいたとき、私は比較的裕福な生活をしていました。
それが一変したのは、太平洋戦争の影響で岐阜県に疎開したときです。父の兄が家を継いでいたのですが、冷遇されて、敷地内の柱も腐ってボロボロの掘っ建て小屋に、一家全員が入れられた。ところが私の両親は、そうした待遇にも絶対に愚痴を言わなかったのです。
そして何をしたかというと、そのあばら家を磨き、補修し、片づけて綺麗にした。普通だったら惨めになる境遇を、綺麗にして矜持を保ったのです。いつも毅然として生きていた両親。その姿に私は12歳の子どもながら人生の貴さを実感したのです。
実際にはいかなる境遇になっても卑屈にならず、お互いの尊厳を認めつつ正しい生き方に徹するのはたいへんむずかしいことです。でも幸いなことに私は親を通じて人間らしい美しい生き方があることを知っていたのです。
勝つためだけの経営でいいのか
いい人生とは何でしょうか。お金もうけに成功して、大豪邸に住み、立派な車に乗り、ブランド物を身につけておいしいものを食べられる。これがいい人生、勝者の人生だと思っている人が多いことでしょう。しかし、それが本当にいい人生なのでしょうか。
少なくとも経営やビジネスの世界ではそうした個人的欲望を肯定しつつ、各種のセミナーで、「会社は利益をあげないと一人前ではない。まず1億円以上の利益をあげないと一流の経営者としての資格などない」と言われる。
私の知人のある経営者はその言葉を信じて、1億円の利益をあげるまでにがんばった。ところが目標が達成されたからいい会社になったかというと、決してそうではありませんでした。
社員それぞれが勝手をことを言い出して、社風が悪くなった。おりしもバブルが崩壊し始めて、売上が下がっていく。彼は真っ青になりました。私が彼と出会ったのはそんな状態のときでした。私は売上よりも大切なものがあると諭しました。
その後、彼が私の助言で経営のやり方を変えたところ、会社がよくなったのです。今は売上がピーク時から比べると4割減、半分になることすらあります。ところが自己資本比率は90パーセント、キャッシュフローは300パーセントという強い経営体質の会社になりました。
ですから知人は、もしあのとき、あのまましゃにむに売上、利益に固執していたら、会社はなくなっていたと思うと述懐していました。目に見える、数値で示されるものだけを追い求めていくと、結局行き詰まるのです。