大山巌と児玉源太郎~相思相愛の上司と部下
2014年05月08日 公開 2022年11月09日 更新
児玉源太郎(写真:国立国会図書館)
相思相愛の上司と部下
大山は昔からそうだったわけではなく、維新前後、薩摩軍の将校として、また新政府の砲将として戦に臨んだ折などは、驚くほど機敏に立ち働いた。旋条を施した破裂弾による大砲を発明して弥介砲と名づけ、敵軍に対して熾烈な砲撃を見舞ったのもその頃だ。ところが、西南の役で西郷隆盛が死んだあたりから少しずつ人変わりした。鷹揚になった。
この国では、いつの頃からか、軍兵の上に立つ者は大人然と構えるところが見られるようになった。戦略の練達というよりも人生の熟達といった風情を醸し出すことで、隷下の兵は心身の全てを預け、死線を越えてゆけた。明治新政府の陸海軍も、そんな習わしめいたものを踏襲した。ことに南洲西郷の場合は、大人めいた姿勢が顕著だった。生まれ落ちてより風格が備わっていたのかもしれないが、西郷を「吉之助さあ、吉之助さあ」と慕い続けていた大山も、それに倣った。あるいは、その敬愛してやまない西郷率いる薩摩軍に対して、烈火の如き砲嵐を繰り出し、ついに死の淵にまで追い込んでしまった自責の念が心に暗い翳を落とし、それを払拭するべく死にものぐるいになって熟達たらんとしたのかもしれない。が、いずれにせよ、日清戦争の前夜あたりから己を律し続け、長閑な人格を捏ね上げ、完成させてきた。
将器という言葉がある。文字通り将たる者のありようのことだが、戦略眼に加えて、仁義礼智信の徳を全て兼ね備えていればいるほど、将兵から尊崇され、絶大なる信頼を得られる。己を律し続け、修養を重ねた結果、大山はそういう人間になっていた。そんな大山をこそ、児玉は満洲軍の総司令官に据えさせた。
しかし、それほど大山を敬慕してやまない児玉はといえば、大人の風格というよりは腕白小僧の成れの果てのような印象が濃い。才気煥発の塊とでもいえばいいのか、軍略戦術を練り上げることにかけては紛れもなく天才だった。確かに剽軽な面もあり茶目っ気も人並み以上だったが、度を越えた癇癪持ちでもある。大山とは正反対で、だからこそ、児玉は大山を親方に祀り上げ、大山もまた潔くこれを受けたに相違ない。
いってみれば、相思相愛なのだが、そうなるためには、お互いの全てを知りつくす必要がある。実際、大山は児玉を、児玉は大山を、よく知っていた。お互いを観察し、自己を省み、どちらの人望が篤いか、どちらの武略が優れているか、痛いほどに承知していた。
そんな2人が、1つの結論に達した。戦場に臨んだ際、自軍を勝利に導くために不可欠なものは、敵に優る兵力をさておけば、兵の心と腕を鷲掴みにするということである、と。大山は心を掴むことができ、児玉は腕を掴むことができた。大山が兵に対して「命を預けてくれ」といえば、兵は喜んでその命を投げ出すかもしれないが、児玉の天才的な指揮なくんば勝利を得られない。また、いかに児玉が卓越した采配を揮ったところで、大山が兵の尊敬を得ていなければ勝利への道は開かれない。大山と児玉は、そういうことを本能的に勘づいていたのであろう。
日露戦争の様々な場面で、2人は伝説的に語られている。例えば、満洲に上陸した時、大連埠頭に立った2人は、早速、市庁舎内に設置された司令部に赴いた。児玉は葉巻を燻らせながら「やっちょるな」と面々に声をかけた。この時、尾野實信なる少佐が白扇に揮毫をしてもらいたいと、予めその支度をしていたところ、児玉はおもむろに近づいて「なにか揮毫しろというのか」と先んじて無造作に揮毫し、これでよいじゃろうと筆を置いた。
花柳元より是共有物
不許ず豪客の春を獨占するを
容子を見ていた大山は、
――その豪なる文字はむしろ佐尉官と改めたほうがよかごわんど。
などといって、笑いを誘ったものだ。これで司令部内の雰囲気は穏やかなものになったが、児玉は内心忸怩たる想いがあったろう。児玉としては、「花柳」とは満洲におけるロシアとの戦のことで、「春」とは凱旋の意味である。1人の将軍が戦うのではなく将兵が一丸となって行なうものだということだが、ここでもし漢詩の意味するところが想像できぬような奴は駄目だと児玉に睨まれ、一喝されてしまえば、どうなるだろう。将校どもは、児玉の鋭い眼光と激しい口調に怖れ慄き、意思の疎通を欠き、以後の戦いに支障を来すことにもなりかねない。これを、大山は咄嗟に案じ、自ら道化を演じて見せたに違いない。大山と児玉の関係というか職分は、このようにして区分けされ、成り立ってきた。
水魚の交わりといえばいいのか、大山は児玉に全幅の信頼を寄せていた。西郷隆盛を敬慕し、手本としていた大山は、やがて西郷の持ち味である無限に水を湛える大海のよすな存在となっていったが、この澄み切った水を得られたが故に、児玉は思うがままに泳ぐことができたのだろう。大山巌という器の大きさ故だと、誰もが感心した。