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政府のご重役方に贈る言葉

冨山和彦(経営共創基盤CEO)

2011年05月16日 公開 2022年08月18日 更新

 震災復興に向けて、早くも百家争鳴。民主党政権においても、お得意の「本部」やら「会議」やらが、そのためにどんどんできあがる気配だ。市井の一経営者、そして被災当事者の立場から、政府のご重役のみなさま方に、そこで絶対に遵守すべき大原則をいくつか注文しておく。

 第一に国民を、民を信じることである。震災発生から今日に至るまで、保身、アリバイづくり、パフォーマンスに忙しく、ろくな仕事をしてこなかったのは誰か。原発事故という国家的緊急事態において、一民間企業にすぎない東京電力をコントロールできなかった失態。事故実態、放射能汚染に関する情報の把握と開示が後手に回り、海外メディアの報道や米国政府の情報提供に慌てて後追い開示をする国辱。その間、私たちのバス会社は「いまの段階では安全である」という当局の公式見解に基づき、大量のバスを原発周辺からの多数の住民退避に動員した。水素爆発を横目にみながら。結局、退避後、スクリーニング(放射能汚染チェック)を受けることになり、幸い汚染はまったくなかったが、いまから振り返れば紙一重の冷や汗ものである。

 政府のご重役方は、この際、自分たちよりも、一般国民、あるいは現場で踏ん張っている自衛官、警察官、消防官そして民間人たちのほうが、世界水準でみてはるかに優秀である現実を受け入れ、今後は情報開示においても、さまざまな復興政策においても、民を信じることである。臆病なくせにええ格好しいの誰かさんと違い、日本の一般国民の多数は「不都合な真実」を知らされてもパニックにも陥らないし、厳しい注文も黙って受け入れる。政府がリスク・コミュニケーションに失敗している最大の原因は、自らが間違え、批判されるリスクを恐れ、情報の収集分析に時間を使いすぎ、おまけに不明瞭で防衛的なメッセージを出すことに汲々としていることにある。有事においては、迅速かつ白黒明確なメッセージ以外は意味がない。間違えるロスよりも、不明瞭さや決断が遅れるロスのほうがはるかに大きい。風評被害の多くも同根である。

 2番目に、人事の大粛正を断行すること。今回の危機に際し、政官産学の各分野で、誰が役に立ち、誰が役に立たず、誰が逃げたか、みごとに色分けできたはずだ。今後も無数の厳しい決断が必要となる。危機という、決断せざるをえない局面でものを決められなかった人間が、そうでない状況で決められるわけがない。震災直後の週末、私たちのバス会社が「緊急」出動を繰り返し、みるみる燃料不足に陥ったとき、官邸周辺の某政府幹部(複数)はなんと答えたか? 「緊急車両ではない民間のバスには燃料を優先配分できない」「民間の燃料不足については、県からの要請がきていないので対応できない」。まったく唖然である。県は目前の被災者の捜索、救命で精一杯。その先に起きること、すなわち寒冷地の広域激甚災害における燃料不足が被災者の死活問題になることを想像し、果敢に決断し、先回りするのが中央政府の仕事ではないのか。

 ほかにも原発20kmから30km圏の屋内退避地域で「自主避難を促しつつ、経済活動の正常化をはかるため、民間企業の協力を要請する」という、常人には理解できない方針を主導した御仁がいる。屋外は危険だから屋内にいろといっておいて、屋外活動が不可避な民間企業が消極的なのはけしからん!とご立腹。自らは官邸の地下という東京のもっとも安全な場所にいながら、住民退避にスクリーニングまで受けて協力してきた現地のバス会社はけしからんというご託宣である。そもそも明らかに暫定的にしか機能しない屋内退避という措置を1カ月も引っ張る決断力のなさ。「安全第一」を言い訳にしているが、この間、被ばくで亡くなった人は一人もいないが、この中途半端な措置のなかで健康を害して命を落とした人はいたはずだ。連中が恐れているのは、住民の被害ではなく、何か決めたときに自らに及んでくる批判や反発のほうらしい。

 私でさえこれだけたくさん目撃しているので、このひと月余りのあいだに、嫌というほど人事情報は集まったはずである。復興を議論し、決定し、実行するに当たり、ここで低劣な本性が露わになった人びとには、きれいさっぱり消えてもらおう。

 最後に、復興ビジョンの判断基準と担い手について。激甚被災地においても、現地の先生方の的確な指導と、生徒たちの日ごろの訓練のおかげで、多くの小中学生の命が救われた。これは天啓ではないか。復興ビジョンの策定や財源などの政策課題を論ずるに際し判断に迷ったら、最後は子供たちの世代によりよい故郷、祖国を遺すにはどちらがよいかを基準とすべき。財源論もいろいろあるが、少なくとも子供たちの世代から勝手に大借金して賄うなどという暴挙を冒す権利は上の世代にはない。戦争をくぐり抜けた世代が引いた高度成長のレールに乗っかって、いい時代を過ごしてきたいまの50代、60代が、自らを犠牲にしてその対価を支払うべき。資産課税の大幅強化をはじめ、上の世代から資産と所得を再配分し、復興の原資とすべきである。

 そして復興ビジョンを描き、実行すべきは、30代、40代の現場に近い人びと。40年後、50年後に責任をもてるのは若い世代であり、この震災でより強く、美しかったのは現地現場の人びとだ。命を懸けて最後まで避難を呼びかけた消防団員、市町村職員、警察官。私たちのバス会社も、運転手1名が残念ながら殉職したが、各人の機転と勇気で乗客の命を守り通した。激甚地域での割引運行に対し、「どうしても」と定額どおりの運賃を置いて行かれた多くのお客さま。震災から5日目、盛岡から宮古への復旧バス第1号に、家族のために救援物資を目いっぱい抱えて乗り込んでいった若者たち。現場の物語は、とても悲しいが、限りなく美しい。そこから離れるにしたがい、弱く、醜い話が増えていくのが日本の現実だ。政府のご重役のみなさん、あなたたちの仕事は、大きな枠組みと財源措置を迅速果敢に決めることのみ。あとは現場の若い世代に任せてしまおう。その一方で、私たち上の世代は、彼ら彼女らの邪魔にならないよう、後腐れなくこの世から消えて行けるよう、税、社会保障、公的債務について、自分たちの世代の責任できれいさっぱり清算することに集中しよう。これこそが、今回の大震災最大の啓示である。

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