井上ひさし ふかいことを おもしろく
2011年05月26日 公開 2022年08月24日 更新
《 『100年インタビュー 井上ひさし ふかいことをおもしろく』より》
本とのつき合い方
情報をどんどん入れて知識になる
知識を集めて知恵を作っていく
どんな仕事もきっと同じはず
僕の蔵書は20万冊あまりといわれています。確かに、1日30冊くらいのペースで本を読んでいますので、そのくらいになるかもしれません。
「忙しいのに、よくそんなに読めますね」と言われますが、本の読み方には自分なりの方法があるのです。もちろん、一冊一冊すべてをじっくり読んでいるわけではありません。
たとえば、本で何かを調べるときには、まず目次を読んで、その本で著者が言いたいことを探ります。日本の学者は、たいてい結論を最後に持ってきますから、まず最後の方から見るのです。そこに思ったほどのことが書かれていなければ、その本は前半もそれほどではないだろうと勝手に考えます。
逆に、一部を読んで面白かったら全体を読んでいきます。
一読して心に残った本は、必ず表紙の裏に自分なりの索引みたいなものを書きこんで、ダイジェストを作ってしまいます。そうやって自分流にじっくり向き合いながら何度も繰り返し読む本と、見当をつけてバーツと読んでいく本があります。
1日30冊、40冊読むのも難しくはありません。それは、竹細工の職人さんが、たくさんの竹のなかから、ちょっとした感触などで「これならこういうモノを作ろう」と直感的に思うように、これは職業的な訓練ともいえるでしょうか。本から得たものをいったん体に入れ、年表を作ったり、いろいろ試行することが、僕の知識の元になり、書くということにも繋がっていくのです。体にどんどん入れる情報がいくつか集まって、知識になります。その知識を集めて、今度は知恵を作っていくのです。
この作業では作家でも、そうでない人でも同じです。情報を知識へ、知識を知恵にしていくということは、自分の体験を少しまとめ上げて、その集まりから小さな文章を作っていくということです。これがそれぞれの知恵になるわけです。僕もそれをやっているだけです。
僕の蔵書第一号は、宮沢賢治の『どんぐりと山猫』でした。手に入れたのは国民学校の5年生のとき、戦争が終わってすぐの年でした。
当時、新聞の一面は本の情報だけが載っていました。そこで、『どんぐりと山猫・宮沢賢治』を見つけたのです。どうしてこの本が欲しいと思ったのか、今となってはよくわからないのですが、何かこう、勘が働いたとでもいうのでしょうか。戦争中は、皆が「雨にをマケズ......」というのを暗唱させられていましたから、「あの詩を書いた、あの人の本だな」と思って興味を持ったのかもしれません。はじめて郵便局から為替を組んで出版社に送りました。その本を待つ間はとても楽しかったです。
当時の金額で、1冊が2円30践ぐらいだったかと思います。僕が国家公務員になったときの初任給が3600円で、それよりずいぶん前の時代ですから、今の価値でいうと、決して安いものではなかったはずです。しかし、母は本を買うことについて、一切文句を言いませんでした。
ここではじめて告白します。あの頃、母は財布を枕の下に入れて寝ていたのですが、僕は、母が寝入って寝返りを打つのを待っていました。そして、寝返りを打ったときに、母の財布を枕の下からスッと出して、そこから10円なり20円なりをくすねるのです。それで、今度はまた寝返りを打つのを待って、財布を元の場所にスッと戻しておく......そんなことをやっていました。大ざっぱな性格の母なので、あまりきっちりと財布の中身を勘定していなかったから、少しくすねてもわからないだろうと、子ども心に思ったのでしょう。しかし、きっと母は気づいていたと思います。ただ、これは僕が何か変なことに使っているのではなく、映画か本以外に使い道はないだろうと見当がついていたのでしょう。だから何も言わなかった、そう思っています。