性急な政治主導が招いた官僚たちの士気喪失
2011年06月20日 公開 2023年01月05日 更新
互いに不信感を募らせる悪循環
なぜ菅首相は、今回「空回り」をしつづけ、「人災」といわれるような悲惨な状況を招いてしまったのか。霞が関のなかからみえたことを、本稿では論じたいと思う。
まず、菅首相が「空回り」した原因は、明らかに官僚をうまく「使いこなせなかった」ことにある。いざ有事において、官僚組織を迅速に動かすためには、現場に臨機応変に対応できるような権限を与える代わりに、責任は自分が取るという強い覚悟が、政治家には求められる。上の立場の人間が、「俺が全部責任を取る」という態度を示さねば、現場はなかなか思い切り動けない。
だが、菅首相が示した態度は、「とにかく情報を早く上げてこい。決めるのは俺だ。決めたらいったとおりにやれ。それができない無能者は承知しない」というものであったように感じる。そういわれれば、官僚としては、さまざまな情報を上げ、判断を仰ぐ。しかし、これだけの非常時に、現場の細かい情報を集中させても錯綜するだけで処理しきれるものではない。
「官邸、しかも総理本人に情報を上げ、そこでの判断を待たなければならない」となれば、どうやっても時間がかかる。官僚からみれば、「急げというくせに、官邸に上げたら時間がかかるじゃないか。われわれを信頼してやらせてくれればもっと進められるのに」という苛立ちと焦燥感が募るばかりである。それでいながら、「できなかったらおまえの責任だぞ」などといわれれば、あっという間に士気喪失である。
もともと菅首相が非常に厳しく官僚に当たり、感情を露わにするという話はよく聞いていた。そのような地合があるところに、このような混乱状況が生まれてしまったら、周りを固める人たちからすれば、「何なんだ、この人は」という不信感の悪循環が生まれるだけになってしまう。
東電福島第一原発の話でも、ベントのタイミングが遅れたのではないか、といわれている。現場の状況をよく知らないくせにという批判を承知であえて指摘すれば、菅首相が「全責任は政府が取る」と明示して「命令」すれば、事故現場の暗闇で手探りで作業せねばならなかった事情はあるにせよ、もう少し早く行なうことができたのではないか。
「絶対に放射能を外に漏らしてはいけない」といわれつづけてきた原子力事業者からすれば、放射能を撒き散らすことになるベントは、精神的にきわめてハードルの高い決断である。しかも、運よく原子炉がすぐに安定状態になったとしたら、「なぜベントなど行なったのだ」と批判される恐れもあるのだ。そういうなかで、「おまえの責任だ」といわれそうな雰囲気の下、「早くやれ」と尻だけを叩かれても、それが正式な命令ではなく、ただの言葉の指示だけでは、現場としては必要以上に慎重にならざるをえないことは目にみえている。
もちろん、以上は民主党政権の「政治主導」の姿勢そのものを批判するものではない。民主党は「官僚は国民のためよりも、省益のために動く。放っておくと、縦割りで勝手なことばかりやる」と考え、政治家が、少し緩んだたがを締め直し、手綱を引っ張っていこうと考えていたのだろう。霞が関がその弊害にまみれていることは、まさにそのとおりである。
だが、今回の震災では、死者・行方不明者3万人以上という想像を絶する被害と、福島での原発事故という大きなリスクにさらされた。これだけの有事であれば、普段は惰性で仕事をしがちな官僚たちもさすがに危機意識を抱き、政府から的確な指示さえあれば、いつでも動ける体制をとっていたはずだ。そこにおいて、むしろ性急に「政治主導」の政治ショーをみせるためにギアを入れたのは、明らかに逆効果であったように思われる。
さらにいうならば、阪神淡路大震災や新潟県中越沖地震の教訓から、官邸と官僚組織には危機管理のノウハウがそれなりに積み重ねられていた。要するに、すでに大枠のルールがあり、それに従えば、末端の組織まで動く仕組みがすでにあったはずなのだ。
しかし、民主党政府は、それらをすべて白紙に戻してしまった。自民党時代のものは何でも否定したいという動機からであろうか。一方で、震災対応に向けた会議をたくさんつくったが、組織というものはいきなりゼロから立ち上げて、思いどおりに動くものではない。むしろ、指揮系統が複雑になって現場は混乱するばかりである。
おそらく民主党の政治家は、これまで危機管理というものを真面目に勉強してこなかったのではないか。だから、「政治主導」という空虚な概念を振り回すだけで、指示や命令に一貫性がないという状況になってしまったのだ。
民主党の勘違い
震災の話から一般論に戻そう。
私が民主党の政治家にいちばん欠けていると感じるのは、「仮説」を立てる能力である。つまり、一つの問題を解決するために、どこを変えればよいのか、道筋と順番をつけられる力のことだ。
「仮説」を立てれば、結果が想定どおりにならなかった場合に、なぜそういうことになったのか、自分がとった考え方と行動がはっきり整理できるので、その原因の分析ができるはずだ。しかし、民主党はどんな仮説に立ってどう行動したのか、自分でも理解していないのではないか。それでは、いつまでも場当たり的な対応を繰り返すしかない。
そうなってしまうのは結局、民主党の政治家が政策に関する体系的な勉強をしてこなかったからであろう。野党時代の民主党は、与党の自民党の政策のアラを探して、そこを徹底的に追及していく、という政治手法を多用した。ところが、その分野について幅広い見地から勉強し、問題解決のための「仮説」を出して政策を推し進めていくのは、不慣れなようだ。
たしかに「消えた年金記録」など、民主党の粘り強い追及によって明るみに出た事実もある。これなどは、自民党の大半が気づきもしなかった問題だろう。だが、それだけで年金問題のすべてを理解したことにはならない。
自民党が、「そんなものはない」と言い続けてきた「埋蔵金」についても同様だ。民主党はマニフェスト(政権公約)で、予算の組み替えと「埋蔵金」で政策に必要な財源は十分に捻出できるとした。埋蔵金はもちろんまだあるが、民主党には全体像がみえていない。おそらく一部の予算の無駄だけをみて、単純にいくらでも財源は見つけられると勘違いしたのであろう。
一方の自民党だが、政策立案の場として、党内に「財務金融部会」「経済産業部会」「環境部会」といった専門の部会を設けてきた。これら部会は体系的に政策を学ぶことができる、若手議員の勉強の場でもあった。しかし、その先生役を務めるのは官僚だ。言い換えれば、自民党の議員は官僚に育てられて一人前の政治家になるという仕組みであった。だから、役所の枠をはみ出せない政治家になってしまう。
国民の利益よりも、省の利益の代弁者である「族議員」は、このシステムが生み出す弊害そのものであった。自民党政権時代には、こうした政官が一体となった「複合共同体」ができあがっていた。民主党政権になれば、それらは一度、ご破算になるはずであった。ところが、民主党政権には、官僚と新たな関係を構築し、政治を運営していくだけの能力はなかった。
思えばかつて民主党が自民党のアラを徹底的に追及できた背景に、自らの思惑を通したい官僚側の「リーク」があったことも、事実である。与野党ともの、このしがらみの構造を解きほぐさねば、真の改革は実現しない。
自民党はタブーへの挑戦を
民主党の失政のおかげで、自民党は元気を取り戻しているようにみえる。しかし、もう一度、政権を担ったところで、旧体質からの脱皮を図らなければ、とうてい国民の信望は得られまい。自民党はいまの野党のうちに、生まれ変わることが必要だ。このままでは日本は二大政党制のもと、「政策」ではなく「政局」ごとに、不毛な政権交代を繰り返していく恐れもある。
自民党が理解すべき重要なことは、「過去の延長線上を辿るなら、日本の凋落は避けられない」ということだ。たとえば、いまの年金制度ははたして持続可能なのか。そもそも、昔、年金制度が始まったときは、平均寿命はいまよりもはるかに短かった。いまや日本人の平均寿命は男性が79歳、女性は86歳。今後、年金支給年齢は段階的に65歳に引き上げられるとしても、15年、20年と働かないで年金をもらって生活していける仕組みが、この少子化の日本で維持できるはずがない。
これまでこのような仕組みをつくりあげてきた自民党は、国民にその不備を謝罪したうえで、新しい年金制度の構築をめざすべきなのである。
エネルギーについても、同じことがいえる。戦後、日本は技術もない、資金もない、また国民の理解も得られないという状態から、原発を建設してきた。それは明確な「国家の意志」であった。だからこそ住民の反対運動が起きたら、機動隊を動員してでも、原発の建設を推進してきたのである。
もっとも、戦後の日本では、幸か不幸か、長らく自民党の一党支配が続いた。だから「国家の意志」とは、じつは「自民党の意志」そのものでもあった。では原発の推進は「国民の意志」であったかというと、きわめて疑問だ。
もし再生可能エネルギーの導入について、今後の政府が、かつて自民党が原発政策を推進したほどの決意をもって「国家の意志」として進めていったなら、そうとうのことができるであろう。たとえば、風力発電に関しては、低周波被害の問題が指摘され、地熱発電では国立公園との兼ね合いや、近隣の温泉業者との調整という問題がいわれる。だが、昔の原発の反対運動に比べれば、その程度の調整はたやすいはずだ。また再生可能エネルギーは電力供給が安定しないという主張もあるが、技術的には解決可能、あとは「国家の意志」さえあれば推進できるはずだ。
もともと自民党は、既得権の大きい特定のグループと結びつき、それらとのしがらみが強かった政党である。これらのしがらみを断ち切り、日本経済の成長率を押し上げるような思い切った改革をどこまで進めることができるか。野党たる「自民党」には、従来のタブーに挑戦するような姿勢をはっきり示すことが求められるのであろう。
「私心」なく政治に取り組めるか
民主党の問題に話を戻す。
「政治主導」「脱官僚」を掲げて華々しく政権交代した民主党だが、その後、妥協に次ぐ妥協を重ねて、それらは結果的に看板倒れに終わった観がある。
政権交代後、鳩山政権は政治主導の司令塔として鳴り物入りで「国家戦略局」をつくると打ち上げた。だが、次第に尻すぼみになり、最後には、そうした議論すら聞かなくなってしまった。
そもそも、「国家戦略局」のスタッフはあくまで首相のものであり、それを統括する国家戦略担当大臣は、本来なら総理の腹心を任命すべきである。ところが、鳩山由紀夫氏は国家戦略担当大臣に、必ずしも政治信条で一致するとは言い難い菅氏を起用した。この時点で国家戦略担当大臣は、たんに閣僚ポストの一つであるという意味しかなくなった。
官僚と戦うイメージが強かったのは、小泉内閣であった。小泉首相が強力なリーダーシップを発揮できた秘密も、自前のチームを形成できたことによる。小泉首相は、竹中平蔵氏をトップとする竹中チームと、飯島勲秘書官を筆頭とする飯島チームを連れて官邸に入った。小泉首相は、政策は竹中チーム、マスコミ対策は飯島秘書官に分担させた。
さらに竹中チームのなかには、大阪大学などの有識者グループや!)橋洋一氏や岸博幸氏など官僚ブレーンもいて、巧みに行政組織をコントロールし、政策運営を行なった。「政治主導」を実現するには、総理直結の自前のチームをもつことが不可欠だとわかる。
だが、その後、初期段階から自前のチームを形成して乗り込んできた政権は現われなかった。政権交代への期待を背に登場した民主党もまたそうであった。自前の「国家戦略局」を立ち上げることに失敗した民主党政権は、財務省に明らかに擦り寄り始める。財務省の協力なくして、予算編成も、経済政策もできないからだ。
そして菅首相になって、財務省に対する擦り寄りは、より露骨なものになっている。それは、財務省が望む増税論者である与謝野馨氏を経済財政担当大臣に起用したことでも明らかだ。
日本国民は悲しいまでに真面目だ。震災後、東北を救うためには、消費税アップもやむなしと考えている。だが、財務省が企む増税のみによる財政再建路線では、最終的に消費税は30%まで跳ね上がるだろう。そんなことをすれば、日本経済がデフレスパイラルで破綻することは確実だ。
財務省による増税一点集中路線を抑え、震災後の新たな日本創造のために、何が求められるのか。これからの政治にいちばん重要なのは、リーダーシップだといわれる。だがそれは、今回の危機対応で示されたような「政治主導」の姿ではない。リーダーシップとひと口にいっても、さまざまな要素があるが、とくに国を率いる政治家に求められるのは、国民を説得する力であろう。
説得力の背景には、理屈でははかれないものがある。それは一種のカリスマ性だったり、その人間が醸し出す雰囲気や信頼感であるともいわれる。
しかし、今後の日本においてなにより重要なのは、「私心」なく政治に取り組めるかどうかではないか。菅首相の官僚叩きは、どこかで国民の人気取りのためのようにみえてしまっている。そうした首相の下では、逆に官僚は改革に徹底的に抵抗するし、サボタージュする。まさに「政治主導」こそが、政治を停滞させる主たる原因となってしまうのだ。
だが、「私心」なく日本のために政治を行なう政治家であるならば、官僚も一目置かざるをえない。当然、官僚側も守旧派と改革派に分かれるだろう。そこで、政治の側の「改革熱」が頓挫してしまったら、改革に立ち上がった官僚は「立ち枯れ」てしまうが、私心なく政治を進める政治がある程度の期間、続くならば、そのときこそ霞が関改革は完遂されるはずである。
「身を捨てる」――それは、言うは易く、行なうは難いことだ。私自身、そのことを実感している。だが、震災以前から続いていた大きな危機が、確実に、日本を奈落の底に突き落とそうとしているいま、政治家にも、官僚にも、そして国民にも、もっとも求められることはその覚悟ではないかと思う。