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松井忠三 「無印良品」復活に導いた改革の要諦とは

松井忠三(前良品計画会長/松井オフィス代表取締役社長)

2016年01月26日 公開 2024年12月16日 更新

PHP松下幸之助塾<リーダーの条件>特集号より

生活の基本となるほんとうに必要なものを、シンプルで美しい商品として提供し、多くの人々から愛されている「無印良品」。そのブランドを展開する良品計画は、1989年に西友から独立したのち、企画開発・製造から流通・販売までを行う製造小売業として、国内だけでなく広く世界中に店舗を構えるまでに成長を遂げた。しかし、その道のりは決して平坦なものではなかった。特に、2001年ごろには深刻な経営危機に陥った。その当時、社長として舵取りを任された松井忠三氏は、独自の「仕組みづくり」によって企業風土や社員意識を改革し、見事にV字回復を実現した。はたして、どのような経営理念を掲げ、実践したのか。組織改革のヒントとなる考え方をうかがった。 

取材・構成:江森 孝 写真撮影:長谷川博一

 

「仕組みづくり」こそリーダーの仕事

意識改革から始めてはいけない

組織を率いるうえで私の最も重要なベースになったのは、良品計画の母体である西友での人事部時代です。西友には18年間いましたが、そのうちの15年は人事部で、主に社員教育を担当しました。この教育という仕事から、私は多くのことを学びました。

私が入社する前年の1972(昭和47)年、流通業界ではダイエーが三越を抜いて売り上げ日本一になりました。百貨店に代わって、総合スーパー、今で言うGMSが小売りの盟主に躍り出たのです。当時は「西のダイエー、東の西友」と言われていました。

1974(昭和49)年、日本のGDPは初めてマイナスに転じ、長く続いた高度成長が終わりました。高度成長に合わせて拡大した総合スーパー各社は、方向転換を迫られます。西友は、創業者の堤清二さんが「総合生活産業」というコンセプトを打ち出し、次には量販店に対抗して「質販店」という概念をつくり出しました。それと並行して、創業20周年の1973(昭和48)年からの「アクション20」や5年後の「アクション25」という社内活動でビジネスモデルを立て直そうとしました。

それには意識改革が必要であり、担当するのは人事部、それも教育だということになりました。私は教育担当課長として、会長・社長を除く役員と部長を対象に、アメリカの教育会社が開発した意識改革のための2泊3日の社内研修を取り入れました。そこでは、上司や同僚、部下からの評価をもとに自己改造計画をつくり、それを同じ役職の7人が1組になって、互いに批評するなどして何度もつくり直すのです。

役員や部長クラスが自分の欠点を指摘されるのですから面白くありません。懇親会と称した夜の飲み会になると、担当の私が呼び出され、「まったくお前はバカなことを始めて」と懇々と説教をされました。このとき、こんなやり方では意識は変わらないことを痛感しました。

意識を変えるには、仕組みや社風から変えないといけません。ビジネスモデルを整えたり、企業体質をよくする活動をしたりといった積み重ねと仕組みによって意識は変わるのです。それに気づいたのはだいぶあとになってからですが、無印良品を立て直すときに、まず仕組みづくりから始め、社風も変えたのは、この経験が根っこにあったからです。

著者紹介

松井忠三(まつい ただみつ)

良品計画前会長、松井オフィス代表取締役社長

1949年静岡県生まれ。’73年東京教育大学(現・筑波大学)体育学部卒業後、西友ストアー(現・西友)に入社。’92年に良品計画へ異動。総務人事部長、無印良品事業部長を経て、初の減益を出した直後の2001年に社長に就任。組織風土改革によりわずか2年でV字回復を成し遂げ、’07年には過去最高売上高(当時)を達成した。’08年会長就任後も、組織の「仕組みづくり」に継続して取り組む。’15年5月に退任し名誉顧問に。著書に『覚悟さえ決めれば、たいていのことはできる』(サンマーク出版)、『無印良品の、人の育て方』(KADOKAWA)などがある。

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