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「TPP不参加で農業を守れる」は幻想だ

浅川芳裕(月刊『農業経営者』副編集長)

2011年07月18日 公開 2023年02月07日 更新

"農業は「グローバル製造業」

 いま日本で、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)参加について議論が白熱している。

 TPPへの参加は、日本農業が発展を遂げるための大きなチャンスである。これは東日本大震災前も震災後も変わらない。むしろ、震災後のほうがその意義は大きくなっている。

 その議論の前に、まず前提としていっておきたいことは、いつの時代も肝心なのは、農家が健全な経営(黒字経営)を行なう、ということである。TPPがあろうがなかろうが、これは農業継続の必須条件だ。

 民主党は、農家に所得を補填すれば農業が成長すると思い込んでいる。今年度は、コメの生産調整に参加した農家への交付金に加え、政府が新規需要を見込む、飼料米、米粉、ソバ、ナタネなどに対して、8,000億円もの予算が投入される。

 だが特定の赤字作物への予算投下は、土地の生産能力と不釣り合いな農地代の上昇、補填を見込んだ作物価格の下落、農業従事者の作物間の非流動化、非効率な機械投資などを招く。補助金収入を見込んだ「農地の貸しはがし」も加速し、専業農家が長年、蓄積してきた資本が焦げつく可能性も高まる。結果的に、日本農業全体の生産性、収益性の向上を阻害している。

 いま求められるのは、政策の転換だ。つまり、農業の健全な競争環境づくりである。

 日本農業は、じつは「グローバル製造業」である。世界各地から輸入された燃料、種、肥料、飼料、農薬などの資材を農家が仕入れ、日本の風土を活かし、技術を駆使し、付加価値をつけて成り立っている。

 農業の国内生産額は、名目ベースで9兆8,132億円あるが、生産コストが付加価値額を上回る55%を占めている。これが現在、農家の経営を圧迫しているのだ。これに対して国ができることは、不要な輸入関税と国内規制を緩和することに尽きる。

 飼料を例にとって説明しよう。

 米麦豆、野菜、果物、花、畜産の農業主要5分野のうち、もっともシェアの高いのは、31%を占める畜産である。だが日本の畜産は、88%の生産コスト率のうち、飼料の占める割合が7割を超える。出荷価格が同じでも、飼料価格が2、3割上がっただけで赤字転落となる厳しい世界なのだ。

 そして購入飼料のうち、じつに86%が輸入である。

 日本の場合、エサ用麦は「政府操作飼料」として輸入されている。そのため農家が自由に輸入できないどころか、国家の「需給計画」に基づく数量制限と、未公開の関税(国家貿易は無税で輸入するため、農水省が指定買取業者に課す国家マージン)が課せられる。

 輸入飼料の関税および価格低減は、福島第一原発事故後、以前にも増して緊急の課題となっている。事故によって、東北・北関東を中心に、自給粗飼料(牧草やデントコーンなど)に放射性物質が付着してしまったためだ。

 汚染された農地で育った牧草などのエサを家畜が食べれば、放射性物質は肉や乳に移行してしまう。たとえ売り物にならなくても、家畜は毎日、その餌を食べる。被災した畜産農家のコストは膨らみ続け、一部はすでに廃業に追いやられている。

 いまこそ、飼料の輸入自由化を進め、関税をゼロにすべきである。畜産農家のコスト負担を減らすと同時に、農作物や家畜の汚染度を減らせば、経営再建の道も開かれる。

 さらに大きな問題がある。日本は過去5年、農産物の産出額は5,000億円減り、食品産業の市場規模は3兆円も減退している。少子高齢化による生産労働人口減少などで、胃袋のパイが年々減っているためだ。そこに直撃した東日本大震災によって、被災地の農地、工場は打撃を受け、生産能力は激減。さらに原発事故による放射線汚染で、被災地産農産物の信頼が失墜し、買い控えが発生している。

 マーケットはこの事態に迅速に反応し、海外からの完成食品の輸入が急増しつつある。じつは農業ビジネスの再生にとっていちばんの痛手が、この完成食品の輸入増である。

 国内の完成食品産業の規模が縮小すれば、結果として国産農産物の扱いが減退する。農業生産を回復したところで、それを商品化する企業がなくなれば、どうしようもない。このような事態に際して、日本は今後、早急に食品原材料のサプライチェーンを、国内外問わず構築していく必要がある。

 そこで、TPPは絶好の機会となる。TPP参加9カ国の農産物輸入額は、1998年の600億ドルから2007年に1,100億ドルと、10年で2倍近くも増えている。

 輸出大国というイメージがあるだけに、TPPを結ぶ相手として日本がもっとも警戒する豪州は、じつは輸入も非常に大きい。乳製品、豚肉、茶のほか、102億円ものコメを輸入しており、その量は年々増えている。

 さらに米国は、野菜・果物、畜産品、穀物は世界最大の輸入大国であり、ブドウ、キュウリ、茶、メロンなど個々の品目別にも大輸入市場を有する。畜産大国とのイメージに反して、牛肉、豚肉も大量に輸入している。先進国で唯一、人口が年々伸長している成長市場でもある。

 日本農業が脅威として捉えがちの中国も、新市場と考えれば恐れることはない。TPP参加協議国ではないが、中国の農産物の輸入伸び率は517%の世界5位で、すでに日本の農産物輸入額を超えている。日本が品質面・物流面で有利な畜産物、野菜・果物、コメなどの穀物・粉製品の輸入も増えている。とくに野菜・果物は934%、畜産品は1,443%の驚異的な伸びを示している。

 よく「新興国にとって日本の農産物は高く、太刀打ちできない」といわれるが、そんなことはない。たとえば、日本で物価の優等生といわれてきた鶏卵の競争力は、特段に高い。鶏肉でも日中の生産者価格差は10%以下である。日本の品質・衛生管理面を武器にした農産物はさらに多い。

 日本は、こうした市場を積極的に取りにいくくらいの気概が必要だ。

「農業壊滅論」の誤り

 だが、日本にはTPP反対派が根強く存在する。彼らがまず声高に主張するのは、「関税を下げれば安価な農産物が大量に輸入され、自給率は下がり日本農業は壊滅する」ということである。だが、それは事実ではない。

 たとえばパスタの国イタリアは、世界一の小麦輸入大国である。だが国内の小麦生産が壊滅した事実はない。

 そしてイタリアは、輸入した小麦をパスタや菓子などに加工したうえで、世界中に輸出している。じつは世界の農産物流通のうち、7割はこうした加工食品なのである。

 輸入大国のなかで輸出が極端に少ないのは、日本くらいだ。そして日本のお菓子や米関連食品、酒類などの食品輸出が少ないのは、それらの原料が国際価格で買えないからである。

 日本は世界でも指折りの食品加工技術先進国であり、原料を国際価格で輸入できれば、加工産業が競争力をもてる。そして農産加工品が世界に輸出されれば、国内農業をいい意味で刺激し、輸出向け商品の原料となる国産農産物の需要が引き出される。個々の農家が直接農産物を輸出しなくても、加工産業を通じて、海外に向けて市場が大きく広がるのだ。

 また、「輸入が増えれば国産が減り、輸入が止まれば国産が増える」という意見も事実ではない。

 実際、牛肉が自由化された1991年から5年後、消費量は全体で23万t伸び、国産は20万t増えた。輸入によって牛肉は日本人の食生活に完全に定着し、国産の需要も引き上げられたのだ。

 一方、BSE(牛海綿状脳症)問題でアメリカ産の輸入を停止した2005年、輸入が300万t超減ったにもかかわらず、国産出荷量も10万t近く減ってしまった。輸入牛肉の需要が豚肉や鶏肉に移行し、国産を含む牛肉消費が冷え込んでしまったのである。

 じつは肉牛農家にとって、輸入牛肉が増えることより、他の肉品目に市場を奪われるほうが深刻な問題である。日本人は、外国産牛肉vs.国産牛肉といった視野狭窄から脱皮し、これまで敵視してきた海外の牛肉関係者と戦略的な同盟を組むくらいのしたたかさが必要だ。

 そうはいっても、TPP反対派の「農業壊滅論」には、公的な“根拠”がある。次のような農水省の試算だ。

「農産物の生産額が4.1兆円減少、食料自給率が14%に低下し、雇用が340万人減少する。関連産業への影響も含めてGDPが約7兆9,000億円減少、実質GDPを1.6%押し下げる」

 農水省が試算する生産額減の4.1兆円のうち、約半分がコメで、その減少額は1兆9,700億円になるという。これは、最新のコメの生産額1兆9,014億円(農水省「農林水産基本データ集」2010年11月1日現在)より大きい。TPPに参加すると、現状のコメ農家の全出荷額がゼロになるどころか、マイナス700億円になるという計算で、そもそも論理破綻もはなはだしい。

 さらに農水省は、日本のコメが壊滅する理由を二つ挙げる。

 まず、「米国ではコメの輸出量が400万tあり、アジア諸国等の輸出量を含めると、わが国の生産量(831万t/2009年)を上回る」、つまり「競合する国産品は輸入品に切り替わってしまう」という。だが、国民が国産米をまったく食べなくなることはありえず、問題外である。

 二つ目は、「外国産米の価格は国産の4分の1程度で、品質格差も今後の品種転換等により解消可能」とし、日本米は価格・品質双方について、外米に完敗するというのだ。

 だが、アメリカのコメ生産量1,000万tのうち、日本人が食べる米(ジャポニカ米の短粒種)はわずか3%の30万tにすぎない。仮にすべて輸入したとしても、日本の生産量の4%にしかならない。

 そこで、「関税がなくなれば、アメリカのコメ農家が日本用の品種をつくりだすのでは」という意見も出よう。だがそれも心配ない。

 短粒種の世界市場はきわめて小さく、これ以上開拓するのは困難、とアメリカのコメ・マーケット専門家は断言する。さらに、アメリカのコメ生産者にとって、短粒種は中・長粒種に比べて、施肥や農薬散布などの技術が必要でコストが高い。また、短粒種を作付けすれば長粒種より価格は3割増しになるが、収穫量は3、4割も少なくなるので、利益はほとんど変わらない。TPPが締結されても、短粒種にチャレンジする人はきわめて限られるだろう。

 ただ、長粒種にしても、日本のコメ価格と比べ価格は4分の1だから、低所得者や学生などに普及するかもしれない。だがこの貿易メリットを、関税障壁によって日本人がこれまで享受できていなかったほうがおかしい。

 食品メーカーにとっても、国際価格でコメが調達できるようになれば、新たな商品開発が進む。小麦やトウモロコシに代わる、コメを原料にしたスナックや加工食品が次々に生まれるだろう。その結果、コメの潜在需要が引き出され、国内の生産者にとっても新たな市場が登場するという相乗効果も出てくる。

経営黒字化を業界の常識に

 そして、すでに関税の低い農産物が壊滅したかといえば、事実は逆だ。

 コメを超え、農業生産額の22%を占める野菜の関税は、多くの品目で3%しかない。FTA(自由貿易協定)を結んでいる国とはゼロにさえなっている。現在、関税より円高のほうが野菜農家の経営に影響を与えているくらいである。

 花卉は初めからゼロ%だが、現在も90%が国産で、世界3位の生産額を誇っている。

 果物もほとんどが関税率5%から15%程度であり、海外産と直接競合する品目は、輸入自由化後も生き残っている。典型がリンゴで、輸入解禁後、逆に国産が外国で人気となり、主産地の青森県では生産量に占める輸出割合は1割を超えるまでになっている。

 日本でつくっていない品目が輸入され、刺激される農産物もある。温州みかんはオレンジの自由化で壊滅すると語られたが、ミカンをはじめとした小玉系柑橘類の生産量は、いまだ世界4位をキープしている。

 サクランボも、アメリカン・チェリーの自由化後、市場は30%拡大した。アメリカン・チェリーとの併売によって売り場の“チェリーシーズン”が長期化され、サクランボが消費習慣として根付いたのだ。

 野菜・花・果物については、TPPを通じて、さらに外国の関税を下げさせることができるほか、税関の手続きの簡素化など貿易をしやすくするルールもつくられる。その結果、日本農業に輸出に適した環境が整備される。

 究極をいえば、TPPがあろうがなかろうが農業の本質は変わらない。日本人か外国人かにかかわらず、その品目を喜んで買ってくれる顧客がいるかぎり、農業は継続できる。そして日本の技術や生産者がその商品化の最前線にいるための努力を怠らないかぎり、農業の持続性と将来性は揺るがない。

 恐れるべきはTPPそのものではなく、日本の農家の技術レベルが下がることである。

 たとえば現在、関税がゼロ%の大豆は、国産は5%、95%は輸入である。だが国産大豆が少ないのは、関税のせいではない。

 現在、日本の大豆農家の多くは、大豆栽培に支給される補助金取得が目的になっている。商品代金より補助金の金額が10倍にもなっているため、現場では補助金のための「捨てづくり」が横行し、収量はいっこうに上がらない。大豆の加工業者が国産大豆の使用量を増やさない理由は価格ではなく、品質が悪く、量も安定しないからなのだ。

 一方で、わずかだが品質と収量に目覚めた農業経営者が登場している。外国産と少なくとも同等の品質であれば、喜んで買ってくれる業者はいくらでもいる。消費者はなおさらだ。この真っ当な商売のサイクルが始まることが肝心だ。

 農業界、とくに稲作・畑作業界では、本業では黒字にするのは不可能と考える人が多数を占め、営業外収入(補助金)によって黒字にするしかないというのが常識になっている。日本の農業に必要なのは、経営黒字化のために創意工夫するインセンティブを働かせることだ。経営努力をして、黒字になるという姿が当たり前の業界風土にならねばならない。

 そのためには、現在の日本の長期停滞した農業界に、他の業界では至極当然である競争原理をまず働かせることが大切だ。その端緒となるものこそ、TPPなのである。

 国内を閉鎖して農業を守っていると思い込んでいる人びとこそが、日本農業の未来を危うくしているのである。

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