昨年6月10日に岩手県盛岡市の動物園で5頭のピューマの赤ちゃんが生まれた。しかし生後3日目に2頭が死亡。残る3頭は人工哺育や相次ぐケガに悩まされながらも、今年無事に1歳の誕生日を迎えることができた。子どもたちの誕生と成長を記録した書籍『ピューマのかぞく』(辰巳出版)も発売され反響を呼んでいる。ピューマ親子と伴走してきた盛岡市動物公園ZOOMOの飼育係・山本祐子さんに人工哺育にまつわる裏話を聞いた。
※前後編の前編です
ピューマが一度に5頭出産は国内初
5頭の赤ちゃんと母親のニーナ
――昨年生まれたピューマの子どもたちについて教えてください。
去年の6月10日に、ピューマのオス「タフ」とメス「ニーナ」のもとに5頭の赤ちゃんが誕生しました。ピューマが一度に5頭の子どもを出産するのは国内初、そして国内最多でした。ニーナは産後とても落ち着いていて、生まれたての赤ちゃんを自分のお腹に誘導しお乳を与えるなど、初めてのお産とは思えない立派な子育てをしていました。
ピューマは2、3頭の出産が多く、生まれてきた5頭は、見るからに小さな体をしていました。ニーナは献身的に赤ちゃんの世話をしていましたが、生後3日目の朝に、3頭に急激な体力の低下が見られ、動物病院に搬送しました。残念ながら、そのうち2頭はすぐに死亡が確認され、もう1頭のメスは人工哺育に切り替えました。
――体が小さく生まれてきた時点で人工哺育にしなかったのはなぜでしょうか?
私たち飼育係の使命は、生まれてきたピューマの子どもたちをピューマらしく成長させ、次の繁殖に繋げることです。生後すぐに人工哺育にしてしまうと、人になれすぎて、その子どもがピューマ社会に戻れなくなる可能性があります。他のピューマを敵とみなしてしまい、繁殖にも貢献できなくなるリスクが高まるのです。だから、人工哺育は最後の手段と考えていました。
とにかく命を繋ぐことに必死だった
メスの人工哺育初日の様子
――山本さんにとってもピューマの人工哺育は初めてのことでしたか?
はい。私は当園で飼育係を始めて24年になりますが、今回を含めて2度、ピューマの繁殖と子育てに立ち会ってきました。前回繁殖したピューマのペアは、飼育係に対して強く威嚇することもあるなど、性格の激しい個体でした。しかし出産と育児はかなり順調で「ピューマはあまり手のかからない動物」という印象すらありました。
一方、今いるオスのタフとメスのニーナは、2頭とも温厚な性格でペアの相性も良く、繁殖、出産までは非常に順調でした。たまたま園のリニューアルやコロナ禍を挟んだ関係で、私と彼らの付き合いも長く、ニーナの初のお産も「ニーナならきっと大丈夫」という確信のようなものがありました。
赤ちゃんの生死が危ぶまれたときも、ニーナは赤ちゃんを私たちに託してくれました。前のペアだったら、こうはいかなかったと思います。
私にとってもピューマの人工哺育は初めてで、とにかく命を繋ぐことに必死でした。だから「大変だった」という記憶はあまりないんです。
余談ですが、当園では、自宅で猫を飼っている職員はネコ科の動物の人工哺育を担当できないというルールがあります。ネコ科共通の病気の感染リスクがあるからです。
去年ピューマの子どもたちが生まれるすぐ前に、私は19年連れ添った愛猫を亡くしていました。先代のピューマの飼育に関わっていた時に保護した猫で、ピューマから一文字とって「ピーコ」という名でした。性格は、今いるピューマのメスの子ども「キャフ」にそっくりで、「ピーコが生まれ変わってきたのかな」なんて思うこともあります。
ピーコ亡きあとすぐにピューマの子ども(キャフ)の24時間体制人工哺育をすることになって、不思議な繋がりを感じましたね。
無事に家族の元へ戻すことに成功
家族への合流を果たした頃のメスのキャフ(手前)と、オスのツィー、シェダル
――人工哺育だった赤ちゃんはどうなりましたか?
体の小さかったメスは、約1カ月半の人工哺育を経て、無事に家族の元に戻ることができました。無事に…といっても、これは決して簡単なことではありません。1カ月半もの間、離れて生活していたため、親が子どもを子どもと認識せずに、最悪の場合は攻撃してしまう可能性もあったのです。そのため、状況を慎重に見極めながら、段階的に親子を対面させました。
これが成功したのは、一つは人工哺育だったメスの天真爛漫な性格があります。目に入るものはなんでもオモチャにするようなところがあり、最初にオスの子ども2頭と合流させたときも大きな鳴き声で圧倒し、激しくじゃれついて兄弟たちを翻弄していました。そして何より、母ニーナとオス2頭の大らかさが、メスの合流の助けになってくれたと思っています。
ただその後も、メスのキャフは骨折、入院、そして親兄弟との再合流など、まるで気の抜けない日々が続いたのですが…。