日本刀は日本文化の真髄だ
刀は「邪気」を祓い「強い生命力」をくれる
もともと神道には、強い生命力を持つものを見て、自らも生命力をもらうという考え方がありました。
たとえば、日本人がこよなく愛してきた桜もそうです。私たち現代人の多くは、お花見を、皆で集まって桜の花を見ながらお酒を飲む場ぐらいにしか思っていませんが、もともと日本人は桜の花を見て、生命力、すなわち「生きる力」をもらっていたのです。
刀も同様で、日本人は昔から、強い生命力が宿り、邪気を祓う力もある日本刀を見ることで、生命力が高まり、「生きる力」をもらうことができると考えていたのです。
刀のそのような側面をよく象徴しているのが、「守り刀」の伝統です。
かつて天皇家や公家、武家では、子供が出生した折には「守り刀」を贈る習慣がありました。その子の健やかな成長を願ってのものです。現在でも、天皇家に親王殿下、内親王殿下がお生まれになると、「守り刀」が当代きっての刀工の手で新調され、贈られます。これも、刀が帯びている「生きる力」を子供に授け、「邪気を祓って」健やかな成長を願いたいという思いに基づいたものでしょう。
日本刀には強い生命力が宿り、邪気を祓う力もある。古来、人々はそんな刀に「家を守ってほしい」「人を守ってほしい」という祈りを込めてきた――。このことは、実はとても大きな意味を持っているのではないか、と〝実感〞するようになったのは最近のことです。
私は刀鍛冶ですから、時折、「家にこのような刀が伝わっているのですが、どうしたらいいのでしょうか?」と聞かれることがあります。そういうときは刀を持ってきてもらって拝見するのですが、美術品としての価値はそれほど高くないものであることが多いものです。
若い頃には、そういう場合には「美術的価値はそう高いものではないようですから、お好きにされたらどうでしょうか」などとお答えしていたものでした。しかし、長年、この世界に身を置いていると、どうも「刀を持っていたときは守られていたけれども、刀を売ってしまったら、とたんに悪いことが起きてしまった」というようなことを、たびたび耳にするようになりました。持っていた刀を売ってしばらくしたら、健康が悪化してしまった、あるいは会社が傾いてしまった、などという事例です。
もちろん、たんなる思い過ごしかもしれません。しかし、「守り刀」の伝統を考えれば、あまり軽々に考えてはいけないように思えてきました。
たとえば、神社やお寺でお札をいただく方は多いと思いますが、そのような人に、「お札はたんなる紙切れや木片にすぎませんから、適当に処分してはどうですか」とは、なかなかいえるものではありません。
そこで最近では私は、「美術的な価値がたとえ低くても、家を守ってきてくれた大切な刀ですから、持ちつづけるのがいいのではないですか」とお答えするようになりました。
私はもともと「美術品としての日本刀」に興味を持ってこの世界に入りましたので、若い頃は、あまりこういう話は好きではなかったのです。しかしそんな私も、日本刀に真剣に向き合う中で、だんだんとそう感じるようになってきました。
思えば不思議な話ですが、そんな経験を積む中で、私はどうしても「日本刀は日本文化の真髄だ」と思えてならなくなったのです。